こんなの作ったよ。みつけたよ。

毎日の生活のなかで
埋もれてしまいそうな
そんな
何かを…

お花

2012-12-20 | 日記
(この写真の撮り方はしっぱいですが・・・)
お花をもらいました。
お見舞いだよ~って。
うれしいですね。いやされますね。
体調を崩すと、いろいろ不安になったり、いらぬ心配をしたり。
そんなとき↓この記事を読んで涙が出そうになりました。
         弱くてもいいんですね。




☆東八幡キリスト教会 「牧師の言葉から」転載
        「絆 ―弱かったから」

 絆とは何か。三月一一日以降、そんな問いを持ちつつ歩んできた。
震災によって日本中が絆ブームに沸いていた。
僕自身「絆」や「関係性」、すなわち「ホーム」ということを長年考え模索してきたこともあって
「絆」が「ブーム」となっていくことにドキドキしながらも少なからず戸惑いを感じていた。

 何を戸惑ったのか。「元気な人、強い人が、弱く苦しんでいる人を助ける」という絆のあり方がどうも腑に落ちないでいたのだ。
ホームレス支援においてもそうなのだが、多くの場面でこの構図に陥る。
「助けない」と言うよりもよっぽどいいのだが、助ける側と助けられる側の固定化は実に厄介なのである。
助ける方はいつも「どうぞ」と声を掛け、助けられる方がいつも「すいません、ありがとう」と言わされる。
急性期はともかく、これが長く続くとお互いに元気が出ない。そもそも絆とは何であったのか。

 先日「ヒューマン」(NHK出版)という本を読んだ。
この中で大変興味深い記載があった。
米国のデラウエア大学古人類学者カレン・ローゼンバーグ博士は、骨盤の形の解析の専門家。
博士が言うには、人類と他の霊長類では出産の仕方がかなり違うというのだ。つまり、人類だけがものすごく難産なのだ。
だから、出産からして協力するということが必要となった。
これまで人類の進化のポイントとして、言語が生まれたこと、
あるいは二足歩行が可能となることによって道具が使えるようになり狩猟が始まったことなどが指摘されてきた。

博士いわく「男性の活動が注目されていましたね。それに対して、出産はあまり注目されなかった」。
人類は七百万年前、直立歩行をはじめた。そのために骨盤が狭くなった。さらに脳が肥大した。
人類の出産は難産となり、ほかの人の介助がなければ出産できなくなった。
結果、家族や一族、そして社会が生まれたと言うのだ。人間だけが子育てを集団で行うと言うことも指摘されていた。
この説は興味深い。つまり、人と人との関係、すなわち社会と言うものは『難産』、いわば弱さによって生まれたと言うのだ。
弱さこそが、絆の原点なのだ。
とかく弱いことを忌避する現代を生きる私たちにとってこの事実は、人間とは何かを今一度知らしめるものであった。

パウロも弱い人間であることを認めている。そして、その弱さこそがキリストとの絆の原点であることを。
「(主は言われる)『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」第二コリント一二章。

弱かったから人間に成れたのだ。弱かったから神様とも出会えた。
なのに、いつの間にか一人で生きるのが人間であり、誰かに助けてもらうことは、ほめられた生き方ではないと言い出した。
絆は切れ、みんなさびしくなった。それでは生まれることさえできないのに。絆を取り戻そう!

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