こんなの作ったよ。みつけたよ。

毎日の生活のなかで
埋もれてしまいそうな
そんな
何かを…

四国・祖谷

2020-01-16 | 歴史
祖谷温泉に一泊してきました。
宿泊はホテル秘境の湯というところ
大歩危駅から迎えに来てもらってホテルまでの道のりがすごい!
もうびっくり仰天の険しい山々。
その山々の急斜面にへばりつくように建てられた民家があちこち。
こんな険しい山奥で暮らすのは大変。
と思いながら車はどんどん険しい山道をぐるぐる上っていく。
えっこんなところにという所に中学校が。まわりは山しかないよ。
もう驚きと感動の風景の連続。(写真なし泣く)

お土産に「祖谷さしみこんにゃく」と「蕎麦米」購入
この土地で採れたものでの生活。思いを馳せ。


どうしてこんな山奥に暮らすようになったんだろう
**以下転載**

 四国山地に位置する祖谷地方には、かずら橋に象徴されるように、屋島での源平合戦に敗れて逃れ、最後にこの地にたどり着いた平家一族にまつわる遺跡や伝説が数多く残されています。また、この地域は、深い渓谷によって、古来、他の地域とは隔絶された世界を形成してきたことから独自の文化やエネルギーを感じさせる地域でもあります。

祖谷のかずら橋と祖谷渓谷
平家の落人が隠れ住んだ祖谷渓谷は、剣山から流れ出る祖谷川が、深い山々をV字型に切り込んで流れ、断崖絶壁が続く。渓谷にかかるかずら橋は、落人が考案したといわれる吊り橋で、野生のシラクチカズラで作られており、長さ45m、幅2m、水面からの高さは14mもある。国の有形民俗文化財。

キューバ

2018-06-08 | 歴史
写真は地味なお弁当ですが、食物繊維たっぷりでーーす。

食物繊維革命のことを思ってら、キューバ革命のことを思い出した。


唐突にメモ

キューバは・・・(以前読んだ本より)
キューバは、
ソ連崩壊にともない石油、農薬、化学肥料、農業機械の輸入が激減し、アメリカの貿易封鎖もあり、 食料危機になるが、ひとりも餓死者を出すことなく、有機栽培で自給率を上げた。
 それも10年で!!
それまでは日本と同じような近代大規模農業でした。
でも、石油も農薬も化学肥料も農業機械も使えなくなった。
それでどうしたかといったら!!!国全体を有機農業に転換したのです!!!
いろんな工夫をして、 街中に農地を作ったのです。
土のあるところは、もちろん農地として野菜が作れますが、それだけでは足りない。
それでどうしたか
コンクリートのブロック、石、ベニヤ板、金属片などで囲いを造り、その中に堆肥や厩肥を混ぜた土を入れ、どこでも畑にして野菜を作ったのです。
 少しの空き地(土のないところ)もこのやり方で畑にしたのです。
といっても有機農業はそう簡単ではないんです。
大変なんです。 
いろいろ工夫されるなかで
印象に残ったことを書き出すと
・効果的なミミズ堆肥
・自然の力を活かした堆肥づくり
・生ごみもミミズで堆肥に
・微生物肥料の活用
・緑肥作物との昆作・輪作
・石油不足で復活した牛耕(牛で耕す!!)
・牛乳に代わる豆乳製品(豆乳ヨーグルト、豆乳アイスクリーム、豆乳チーズなど)
これらのことを10年でやってのけ、有機農業大国と呼ばれるまでになった!!
1人も餓死者を出すことなく、有機農業で国民を救ったのです。

すごい!!

これが革命!!

食物繊維革命のはなし・・・なんだけど・・・・
とりあえずキューバのことを歴史に入れとこ

奄美大島(歴史)

2017-04-07 | 歴史
今日黒糖を買いました。
一口食べてみました。濃く深みのある甘みが口に広がりました。
(この黒糖の一欠片でも口にできたらどれだけ潤うことができただろう・・・)
先日、テレビで奄美大島のこと(歴史)を知りました。
大島紬は有名で、その紬ができるまで(染める、織る)の手の込んだ作業もすばらしいものだと思ってました。
ですが、それ以上にびっくり仰天してしまったのが、江戸時代のころのこと。
その頃はお米の取れ高でその藩の財政が決まるほどで、山の多いこの日本の土地で段々畑を作り少しでも収穫量を増やそうとしていた。お百姓さんは自分たちが作ったお米は食べられなくて雑穀などを食べていた・・・という話しは聞いたことがあった。
奄美大島もやはりお米を作るように苦労をしていたようですが、お米のできはよくないので、さとうきびを植え黒糖を租税として薩摩藩に納めるようになったそうです。
少しでも多くさとうきびを植えるため山を段々畑にし、島全体がさとうきびの畑になるほどだったそうです。そしてさとうきびから黒糖を作るのも農民ですが、一口も口には入れられなかったそうです。
島全体がさとうきびの畑になってしまった奄美の人たちは何を食べたらいいのでしょう。
そこでびっくり仰天したのが、毒のあるソテツを毒抜きをして食べたというのです。それで、島の人たちは生き延びることができたということです。
私は本当にびっくり仰天して、今でもえーーっ!!何で?何で?って思ってしまいます。
そういう時代だったと言ってしまえば御終いですが、この黒糖、当時はとても貴重なものだったにしても、何も食べるものがないほど島全体をさとうきび畑にして、一口も口に入れることを許さなかった。
もうそのことで頭がいっぱいになり、何で?何で?って思ってしまいました。
一日に一欠でもいいではないですか。その一欠でどれほど潤ったことだろって思います。
でも生き延びた人たちの知恵はすごい!って感嘆します。毒のあるものを食べざるを得ない。さとうきびの他にソテツしかなかったのですから。人間ってすごいなーーとも思いました。
なぜかこのことが頭から離れず、黒糖を食べてみたいと思い購入し、食べてその甘さおいしさに感動しました。
忘れてはいけないと思い日記に書きとめました。