【常楽57】 法悟空 内田健一郎 画 (5745)
二十二年前に山本伸一と食事をしながら懇談した人たちは、その時に出し合った食事代が百円であったことから、「百円会」という名をつけ、以来、共に広布の誓いに生きようと励まし合いながら、前進してきたのだ。
人生には、さまざまな思い出や、転機となる出会いがある。それを大切にし、心の宝物としている人は強い。負けない。何かあった時に、返るべき発心の原点があるからだ。
このメンバーは、伸一との誓いを深く胸に刻み、友の激励に、弘教にと奔走し、人生の凱歌を轟かせてきたのだ。
今、?を紅潮させて、奮闘の来し方を報告する同志の姿は、たくましく、尊かった。
「皆さんは、本当によく頑張ってくださった。私は、それが嬉しいんです。一人ひとりが庶民の大英雄です。
ところで、『百円会』という名前ですが、新しい名称にして再出発しませんか。『百円会』は、開けっぴろげで、いかにも大阪らしいのですが、もう少しセンスがある名前の方がいいんじゃないですか」
朗らかな笑いが広がった。
「こんなに美しい菊のなかで再会したんですから、『菊花会』としてはどうでしょうか」
賛同の拍手が沸き起こった。
さらに彼は、句を詠み、贈った。
「なつかしや 遂にあいたり 菊花会」
泉州文化会館の開館記念勤行会は午後六時前から開始され、伸一の導師で厳粛に勤行・唱題した。地元幹部のあいさつ、表彰に続いて、婦人部と女子部の合唱団が、「母の曲」、関西の歌「常勝の空」、さらに、皆が初めて聴く新曲をはつらつと歌い上げていった。
[歌記号]堂々と 王者の城か 泉州の
友らがつくりし 人材の石垣
伸一が、二年半ほど前に、泉州の友に贈った和歌に曲をつけ、「王者の城」と題して披露したのだ。彼は、皆の気持ちが嬉しく、“ありがとう!”と心で叫んでいた。
【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月8日より転載】
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二十二年前に山本伸一と食事をしながら懇談した人たちは、その時に出し合った食事代が百円であったことから、「百円会」という名をつけ、以来、共に広布の誓いに生きようと励まし合いながら、前進してきたのだ。
人生には、さまざまな思い出や、転機となる出会いがある。それを大切にし、心の宝物としている人は強い。負けない。何かあった時に、返るべき発心の原点があるからだ。
このメンバーは、伸一との誓いを深く胸に刻み、友の激励に、弘教にと奔走し、人生の凱歌を轟かせてきたのだ。
今、?を紅潮させて、奮闘の来し方を報告する同志の姿は、たくましく、尊かった。
「皆さんは、本当によく頑張ってくださった。私は、それが嬉しいんです。一人ひとりが庶民の大英雄です。
ところで、『百円会』という名前ですが、新しい名称にして再出発しませんか。『百円会』は、開けっぴろげで、いかにも大阪らしいのですが、もう少しセンスがある名前の方がいいんじゃないですか」
朗らかな笑いが広がった。
「こんなに美しい菊のなかで再会したんですから、『菊花会』としてはどうでしょうか」
賛同の拍手が沸き起こった。
さらに彼は、句を詠み、贈った。
「なつかしや 遂にあいたり 菊花会」
泉州文化会館の開館記念勤行会は午後六時前から開始され、伸一の導師で厳粛に勤行・唱題した。地元幹部のあいさつ、表彰に続いて、婦人部と女子部の合唱団が、「母の曲」、関西の歌「常勝の空」、さらに、皆が初めて聴く新曲をはつらつと歌い上げていった。
[歌記号]堂々と 王者の城か 泉州の
友らがつくりし 人材の石垣
伸一が、二年半ほど前に、泉州の友に贈った和歌に曲をつけ、「王者の城」と題して披露したのだ。彼は、皆の気持ちが嬉しく、“ありがとう!”と心で叫んでいた。
【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月8日より転載】
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