和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

御書と歩む (6)

2016年03月03日 07時18分18秒 | 今日の俳句
彡☆SGI会長が贈る指針☆*……☆★☆……☆★☆*☆……☆☆彡


広布の丈夫(ますらお)よ勇んで進め!


≪御 文≫☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡


人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ
(崇峻天皇御書、1173ページ)


≪通 解≫☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡


人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれである。人間がその身を全うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても悪い評判を残して終わってしまうよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。



≪同志の指針≫☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡

 壮年門下の四条金吾に贈られた、厳愛の指針である。
 「名をあげる」とは、世間の名声などではない。妙法流布に勇敢なる闘争の歴史を残すことだ。「あの人がいたからこそ」と同志の心に刻まれゆく、誠実と励ましの名将として、戦い勝つことだ。
 受け難き人身を得た我らだ。壮年部結成50周年の節――広布の「黄金柱」として、堂々たる大前進を共々に!


≪2016年(平成28年)3月3日(木)≫彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡



 


                           

白魚/今日の俳句 ≪第2064号≫

2016年03月03日 05時39分00秒 | 今日の俳句

≪2016年(平成28年)3月3日(木)≫(旧暦1/24)


 白魚の小さき顔をもてりけり
         原石鼎

 町空のくらき氷雨や白魚売
        芝不器男

 白魚火や国引せしといふ海に
       阿波野青畝

 昼深く生ける白魚をすすり食ふ
       五所平之助

 白魚のさかなたること略しけり
        中原道夫



※ 白魚・しらを・白魚捕・白魚汲む・白魚網・白魚舟・白魚火・白魚汁・白魚飯。
 シラウオ科に属する体長八~九センチの細長い小魚である。小さな腸や卵が透いて見え、腹部には小さな黒色点が二列に並んでいる。「白魚や目までしら魚目は黒魚 鬼貫」という句のように、墨を一滴落としたような黒い目が愛らしい。
 汽水域や内湾にすみ、春になると川や湖にのぼってくる。早い地方では、一月下旬の大潮のときから四つ手網を使って白魚を汲みはじめる。白魚は差し潮にのって河口に入り、引き潮に引かれて海に戻ることを繰り返しながら、上流の産卵場に着く。
 産卵後には死ぬ一年魚である。白魚火を焚いて夜も漁をするのは、潮時を利用するからである。四つ手網のほか、落とし網や立網を張って、簀(す)に受けてとる。躍り食いのほか、酢の物、てんぷら、吸い物、玉とじ、白魚飯と料理法は多い。ハゼ科の素魚と混同しないようにしたい。


【「俳句歳時記(春)/飯田蛇笏編」・平凡社より転載】


彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*わが友に贈る*☆※


 会合の無事故・成功は

 陰の尽力あればこそ。

 寒い中、多忙な中

 中継行事を支える

 全役員に心から感謝!


       2016年3月3日


       ※☆*寸 鉄*☆※


 どんな悩みも祈りに変えよ―恩師。唱題根本の人は無敵。宿命転換の劇を
      
      ◇

 大阪婦人部の日。尽きせぬ知恵と明るさで幸の連帯拡大。常勝の母、万歳!
      
      ◇

 誠実で充実した友情こそ最も貴重―作家。動き語った分だけ人生は豊かに
      
      ◇

 大学3年生ら就職活動をスタート!強気の挑戦で短期決戦を断固勝ち抜け
      
      ◇

 福島沖の魚、放射性物質基準超「ほぼゼロ」と。風評被害払拭へ後押し強く


【聖教新聞:2016年(平成28年)3月3日(木)付】



      ※☆*名字の言*※


灰皿に残る冷たい灰をキセルでかき回していると、小さな残り火が見えた。“これだ”――江戸時代、上杉鷹山が、存続の危機にある米沢藩を再建するため、出羽国米沢(山形県)へ向かう道中の場面に描かれる“火種”のエピソードだ(童門冬二著『小説 上杉鷹山』学陽書房)



心ある人の胸中に少しでも改革への情熱の火種が残っていれば、そこから新しい火を起こし、燃え広がらせることもできる。この鷹山の信念が、藩をよみがえらせた



福島の原発事故の影響で、今も仮設住宅に暮らす年配の夫婦がいる。夫は大震災の前年、脳梗塞で半身不随に。リハビリのかいあって、念願だったトラクターでの畑仕事ができた数日後、震災に遭う。過酷な避難生活で、再び体を動かせなくなった



祈りから再出発しようと、夫妻は、妻が運転する車で、避難した見知らぬ土地を走り回った。4日目、ついに学会の会館を見つけ、涙ながらに題目をあげた。そして今、「いっときはしぼんだように見えても、私たちの希望は消えていません」と夫妻。夫は“もう一度、田畑へ”と歩行訓練に励み、毎月、故郷の自宅に帰っては、トラクターのエンジン点検を欠かさない



人は前に進める。希望さえあれば。そして信心とは「無限の希望」の異名である。(白)


【聖教新聞:2016年(平成28年)3月3日(木)付】


彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡

常楽52〈小説「新・人間革命」〉

2016年03月03日 05時22分33秒 | 今日の俳句
【常楽52】法悟空 内田健一郎 画 (5740)

 一九七八年(昭和五十三年)の十一月九日夜、山本伸一は、空路、大阪へ向かった。この年、六度目の関西指導のためである。
 今回は、大阪・泉佐野市に完成した泉州文化会館の開館を祝う記念勤行会などへの出席が予定されていた。
 関西の同志と共に、弘教の金字塔を打ち立てた、あの五六年(同三十一年)の大阪の戦いから、既に二十二年がたつ。
 伸一は、関西が永遠に「常勝」の大城であり続けるために、今再び新しき前進のための布石をしておきたかったのである。
 大阪到着後、直ちに彼は、豊中市の関西牧口記念館へ向かい、関西最高会議に出席した。中心となる幹部への指導から、彼の戦いは始まった。
 「指導者として大切な要件はたくさんあるが、今日は次の諸点を確認しておきます。
 広宣流布のリーダーにとって、強盛な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く“教養”を身につけていかねばならない。
 学歴や知識が、そのまま教養になるわけではありません。学んだものが、知性、見識となって発揮され、人格の輝きとなってこそ、真実の教養です。それには、多くの書を読んで、学び考え、自らを高めていく努力を、日々、続けていくことです。
 第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。健康を守るのは、基本的には自分自身です。
 暴飲暴食を慎み、食事の取り方を考える。疲れがたまったなと思ったら、工夫して早く休むようにする。毎日、体操を続ける。また、手洗い、うがいを励行し、定期的に健康診断を受けるなど、基本的なことを怠らずに行っていくことが大事なんです。
 仏法は道理です。信心をしているから、不摂生な生活をしていても、大丈夫だなどと考えるのは間違いです。“健康になるぞ!”と深く決意し、唱題に励み、聡明に、規則正しい生活を送っていく。それが信仰者の姿です」

【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月3日より転載】


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡