和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

公魚/今日の俳句 ≪第2065号≫

2016年03月04日 05時37分46秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)3月4日(金)≫(旧暦1/26)


 竿ばかり立ちて公魚漁といふ
        深見けん二

 街灯りてわかさぎの眼のごとし
          飯田龍太

 わかさぎを薄味に煮て暮色くる
           桂信子

 わかさぎ生死(しょうじ)どちらも胴を曲げ
         宇多喜代子

 白飯に公魚あと引き切りもなし
          鈴木榮子



※ 公魚・桜魚・公魚漁・公魚舟
 キュウリウオ科の魚。体長は六、七センチから十五センチほどで、背は淡黄色、腹は銀色、体側に淡黒色の縦線がある可憐な姿である。
 公魚と書くのは、吉野の桜が落ちて水に入り、この魚になったという伝説から当初桜魚(おうぎょ)といっていたものが公魚に転訛したものといわれる。また、潮来の麻生藩より徳川へ年貢として納めたことからという説もある。魚公・魚若・若鷺とも書く。
 早春、海から川に上って産卵する。近年は各所の湖に移植され、終生淡水に棲むもの(陸封性)があるが、本来は海産魚で、淡水で生まれ海で育ち、再び産卵のために淡水に入るのである。
 帆引舟で有名な霞ヶ浦は漁獲が多いが、これも陸封性のものである。公魚はもともと寒帯魚で、冬の冷たい水中でも春の産卵にそなえてしきりに餌を漁るため、結氷した湖に小穴を開けて釣る穴釣が行われる。淡白な味でフライ・天ぷら・佃煮・南蛮酢漬などとして賞味される。


【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】




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       ※☆*わが友に贈る*☆※


  今の課題は何か。

  綿密な打ち合わせが

  勝利への鍵だ!

  活動の焦点を明確に

  心を合わせて進め!



       2016年3月4日


       ※☆*寸 鉄*☆※


 学会は民衆の力を解放し個々の人生を蘇らせた―学者。万人が輝く社会へ
      ◇
 東京・世田谷の日。山の手に人間共和のスクラム!広布勝利の地涌の旗振れ
      ◇
 王城会・香城会の皆様に感謝!溌剌たる姿は皆の模範。陰徳は必ず陽報と
      ◇
 「千里・二千里・来れる人の如く」。身近な同志ほど大切に。真心尽くして
      ◇
 昨年のサイバー攻撃、500億件以上と。不審なメールは開くな。警戒忘れず


【聖教新聞:2016年(平成28年)3月4日(金)付】



      ※☆*名字の言*※


新任の男子部部長に会うと、以前より生き生きとしている。訳を聞くと、「学会活動で培った生命力が、仕事の大きな活力にもなっています」と言う



彼は人工透析のクリニック院長として働き、多い日は1日70人の患者を診る。透析の治療は長期に及ぶ。医師は患者一人一人の話から、体調や暮らしの細かい変化を聞き取る。根気強く人間と向き合うことを必要とされるだけに、疲れ果ててしまう日もある



その後に彼は、学会活動に歩く。仕事と違い、訪問激励はまず、会えるかどうかから始まる。祈る。不在なら手紙を書く。会えたら悩みを聞き、真剣に応える。御書を拝す。また祈る……。心を砕く連続だ。だからこそ、心が通い合った時の喜びは大きい。「家庭訪問でつかんだ確信が、医師としての自分を成長させてくれる。何より自分が元気になるんです」



池田SGI会長は語った。学会員は「仏子」であるゆえに、「その学会員を、ほめれば、自分が功徳を受ける。自分の仏界が強まる。相手を、ほめているようでいて、実は、かえって、自分の仏界をも賛嘆しているのである」と



他人を励ませば、自分も励まされる。境涯が大きく広がる――この不思議な生命の真理を実感できるところに、学会活動に歩く喜びがある。(満)



【聖教新聞:2016年(平成28年)3月4日(金)付】


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常楽53〈小説「新・人間革命」〉

2016年03月04日 05時12分53秒 | 今日の俳句
【常楽53】法悟空 内田健一郎 画 (5741)

 山本伸一は、さらに訴えていった。
 「信心の世界にあっては、一つ一つの課題に対して、常に真剣に取り組んでいかなくてはならない。
 学会活動は、現代における最高の仏道修行です。仏道修行というのは、己との対決であり、自分の限界を打ち破って、心を強く、大きくし、境涯を開いていくためのものです。
 したがって、人の目を意識し、格好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な人、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。
 信心が惰性化していくと、この根底の真剣さが萎えてしまい、一生懸命やっているように見せかけて終わってしまう。そうなれば、どんな幹部であろうと、信心の歓喜はなくなり、人を触発することもできません。
 二十二年前の、あの“大阪の戦い”で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです。だから歓喜があり、功徳があり、確信が湧き、感動のなかに凱歌を響かせることができた。
 新しい『常勝関西』の建設のために、中心となる幹部の皆さん方は、このことを忘れないでいただきたい」
 こう語る彼の口調には、関西の大飛躍を願う、強い思いがあふれていた。
   
 翌十日、山本伸一は、二年十カ月ぶりに、大阪市の南に隣接する堺市の、堺文化会館(後の堺平和会館)を訪問した。
 草創期、大阪支部に続いて関西に誕生したのが堺支部であった。当初、規模の小さな支部であったが、その奮闘が、大阪支部に奮起を促し、関西の牽引力となっていった。
 また堺は、古くから対明・対南蛮貿易などで栄え、豪商による自治都市がつくられた。町人文化も盛んで、自主と進取の精神が脈打つ地域であった。その誇り高い気風を受け継ぐ堺から、関西に広布の新風を起こしたいと、伸一は考えていたのだ。

【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月4日より転載】


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