和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年09月22日 16時01分14秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月22日(火)より転載】

【勝利島53】

 八丈島は、伊豆七島の一つで、東京の南方海上約二百九十キロに位置している。

 学会の大田区の組織に伊豆七島本部があったことから、八丈島の同志は、大田区の会館に立ち寄ることが多かった。

 この日、大森文化会館に来たのは、草創の八丈支部の支部婦人部長を務めた菊田フジ子、そして、同じ姓の菊田秀幸・淳子夫妻と、その娘たちであった。高校二年、中学一年、小学五年生になる三姉妹である。

 菊田秀幸は、中学校の教員をしていた。

 山本伸一は、彼の娘たちに、パンを渡し、ジュースを勧めながら、今日は、どこに宿泊するのかを尋ねた。

 「おばちゃんの家です」

 末娘が答えると、母親の淳子が、「主人の姉の家です」と説明した。

 伸一は、末娘に聞いた。

 「おばちゃんに、お土産は?」

 娘は首を横に振った。伸一は、「それでは、これをおばちゃんに」と言って、会員への激励のために用意していた菓子折を渡した。

 秀幸は、宿泊場所や宿泊先への土産まで気遣ってくれる伸一の真心に、胸が熱くなった。

 伸一は、菊田フジ子に言った。

 「あなたが苦労して戦われてきたことは、よく知っています。八丈島は、今、三支部に発展した。見事な拡大です。鼓笛隊も誕生しましたね。本当にすごいことです」

 伸一は、機関紙誌に離島が取り上げられると、克明に目を通し、島の様子を心に刻んできた。八丈島についても、『聖教グラフ』三月一日号に掲載されたルポルタージュを見て、島の同志を励ましたいと思っていたのだ。

 彼の言葉に力がこもった。

 「組織が発展し、皆が功徳を受けていくならば、それは、草創期に道を切り開いてきた人に、全部、福運となって回向されます。大聖人は『功徳身にあつまらせ給うべし』(御書一二四一㌻)と仰せです。苦労を重ねて広布の大地を開墾し、妙法の種を蒔いた人を、諸天は永遠に大絶讃してくださるんです」





   

小説「新・人間革命」

2015年09月22日 16時01分14秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月22日(火)より転載】

【勝利島53】

 八丈島は、伊豆七島の一つで、東京の南方海上約二百九十キロに位置している。

 学会の大田区の組織に伊豆七島本部があったことから、八丈島の同志は、大田区の会館に立ち寄ることが多かった。

 この日、大森文化会館に来たのは、草創の八丈支部の支部婦人部長を務めた菊田フジ子、そして、同じ姓の菊田秀幸・淳子夫妻と、その娘たちであった。高校二年、中学一年、小学五年生になる三姉妹である。

 菊田秀幸は、中学校の教員をしていた。

 山本伸一は、彼の娘たちに、パンを渡し、ジュースを勧めながら、今日は、どこに宿泊するのかを尋ねた。

 「おばちゃんの家です」

 末娘が答えると、母親の淳子が、「主人の姉の家です」と説明した。

 伸一は、末娘に聞いた。

 「おばちゃんに、お土産は?」

 娘は首を横に振った。伸一は、「それでは、これをおばちゃんに」と言って、会員への激励のために用意していた菓子折を渡した。

 秀幸は、宿泊場所や宿泊先への土産まで気遣ってくれる伸一の真心に、胸が熱くなった。

 伸一は、菊田フジ子に言った。

 「あなたが苦労して戦われてきたことは、よく知っています。八丈島は、今、三支部に発展した。見事な拡大です。鼓笛隊も誕生しましたね。本当にすごいことです」

 伸一は、機関紙誌に離島が取り上げられると、克明に目を通し、島の様子を心に刻んできた。八丈島についても、『聖教グラフ』三月一日号に掲載されたルポルタージュを見て、島の同志を励ましたいと思っていたのだ。

 彼の言葉に力がこもった。

 「組織が発展し、皆が功徳を受けていくならば、それは、草創期に道を切り開いてきた人に、全部、福運となって回向されます。大聖人は『功徳身にあつまらせ給うべし』(御書一二四一㌻)と仰せです。苦労を重ねて広布の大地を開墾し、妙法の種を蒔いた人を、諸天は永遠に大絶讃してくださるんです」





   

小説「新・人間革命」

2015年09月22日 16時01分14秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月22日(火)より転載】

【勝利島53】

 八丈島は、伊豆七島の一つで、東京の南方海上約二百九十キロに位置している。

 学会の大田区の組織に伊豆七島本部があったことから、八丈島の同志は、大田区の会館に立ち寄ることが多かった。

 この日、大森文化会館に来たのは、草創の八丈支部の支部婦人部長を務めた菊田フジ子、そして、同じ姓の菊田秀幸・淳子夫妻と、その娘たちであった。高校二年、中学一年、小学五年生になる三姉妹である。

 菊田秀幸は、中学校の教員をしていた。

 山本伸一は、彼の娘たちに、パンを渡し、ジュースを勧めながら、今日は、どこに宿泊するのかを尋ねた。

 「おばちゃんの家です」

 末娘が答えると、母親の淳子が、「主人の姉の家です」と説明した。

 伸一は、末娘に聞いた。

 「おばちゃんに、お土産は?」

 娘は首を横に振った。伸一は、「それでは、これをおばちゃんに」と言って、会員への激励のために用意していた菓子折を渡した。

 秀幸は、宿泊場所や宿泊先への土産まで気遣ってくれる伸一の真心に、胸が熱くなった。

 伸一は、菊田フジ子に言った。

 「あなたが苦労して戦われてきたことは、よく知っています。八丈島は、今、三支部に発展した。見事な拡大です。鼓笛隊も誕生しましたね。本当にすごいことです」

 伸一は、機関紙誌に離島が取り上げられると、克明に目を通し、島の様子を心に刻んできた。八丈島についても、『聖教グラフ』三月一日号に掲載されたルポルタージュを見て、島の同志を励ましたいと思っていたのだ。

 彼の言葉に力がこもった。

 「組織が発展し、皆が功徳を受けていくならば、それは、草創期に道を切り開いてきた人に、全部、福運となって回向されます。大聖人は『功徳身にあつまらせ給うべし』(御書一二四一㌻)と仰せです。苦労を重ねて広布の大地を開墾し、妙法の種を蒔いた人を、諸天は永遠に大絶讃してくださるんです」





   

小説「新・人間革命」

2015年09月22日 15時37分26秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月21日(月)より転載】

【勝利島52】

 一九七八年(昭和五十三年)一月、「広布第二章」の支部制が発足し、離島にあっても清新の息吹で新たな前進が開始された。

 山本伸一は、各島々の飛躍のために、ますます力を尽くそうと心に決め、島にあって広宣流布を支え、推進してくれた同志を、讃え、励ますことから始めた。

 彼は、それぞれの島に生き、戦う、勇者たちの英姿を思い浮かべ、祈りを込め、代表に激励の和歌や言葉を、次々と贈っていった。

 「奥尻の 友はいかにと 今日も又
   幸の風吹け 祈る日々かな」

 「大聖に 南無し護らむ 佐渡の地で
   広布の友の いくさ讃えむ」

 「いつの日か 渡り語らむ 隠岐の島
   わが友思はば 心はずみて」

 「ふたたびの 友と会いたし 徳の島
   幸の唱題 おくる嬉しさ」

 「はるかなる 宮古の島に 君立ちて
   広布の楽土を 祈る日日かな」

 東京・伊豆大島の同志にも詠んだ。

 「いついかん 椿の花の その下で 
   広布に舞いゆく 君らいかにと」

 沖縄・久米島の同志には、こう記した。
 「どんなに辛くとも 団結第一で楽しい人生を 題目と共に 生きぬいて下さい」

 この励ましに、同志は燃えた。

 吹雪の暗夜を歩み続けてきた人には、一言の激励が勇気の火となり、温もりとなる。苦闘し抜いた人ほど、人の真心を感じ取る。
  

 山本伸一は、どこへ行っても、離島から来たメンバーがいると聞けば、全精魂を注いで励ましていった。

 三月三十一日、彼は、東京・大田区に新たに完成した大森文化会館を視察した。会館の和室で地元のメンバーと懇談していると、区の幹部が、八丈島から来たという数人の会員を連れてきた。伸一は、立ち上がって、皆を部屋に招き入れながら語った。

 「八丈島! 八丈島からですか! 遠いところ、ようこそおいでくださいました」





   

菊/今日の俳句 ≪第1903号≫

2015年09月22日 06時34分20秒 | 今日の俳句
≪2015年(平成27年)9月22日(火)長月≫(旧暦8/10)
(国民の休日)
(長谷川かな女忌)


 どの部屋もみな菊活けて海が見え    吉屋 信子

 身に合ふは縞よ紬よ菊の頃       鈴木真砂女

 したたかに水打って菊据えられる    津根元 潮

 母のこゑして菊を炊くうすけむり    桂  信子

 弾みつ丶紺の夜空を菊車        村沢 夏風


※ 菊・初菊・白菊・黄菊・大菊・小菊・菊畑・菊の宿・菊作り・菊日和
 キク科の多年草で、春の桜と並び称される日本の代表的な秋の花。古代に中国から渡来したらしい。菊には延命長寿の滋液が含まれているという伝説があり、平安時代に宮廷で菊酒を賜る行事が行われた。
 園芸用の華麗な品種が作られるようになったのは、江戸時代中期以降、現在も広く栽培され、華麗な大輪から野趣豊かな小輪まで、種類がたいそう多い。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】


    ※わが友に贈る※


 「さいわい(福)は心より
 いでて我をかざる」
 全てに感謝できる
 境涯を開くのが仏法だ。
 報恩の道を歩み抜け!

        2015年9月22日



     ※☆*寸 鉄*※


北海道で全国男子部幹部会。新時代に輝く拡大劇。創価の心継ぐ師子が陸続
        ◇
東京・青梅総区の日。同志の胸に不滅の誓願。師弟の天地を幸福の理想郷に
        ◇
本物の一人がいれば広宣流布は進むのだー恩師。私から!勇気凛々と挑戦
        ◇
ネットの有害情報「子に悪影響」心配が7割。必ず親子で対話を。賢く活用
        ◇
大気汚染による死者、世界で300万人。環境問題に国境なし。対策へ総力





     ※名字の言※


まさに、その名にふさわしい幕開けとなった。横浜の日本丸メモリアルパークで行われている写真展「波涛を越えて」(会期は23日まで)。初日の18日は、朝方まで雷を伴う大雨。しかし、午前中の開会直前に雨はやみ、午後には陽光が降り注いでいた

海外航路に従事する壮年・男子部のグループ「波涛会」の友が撮った写真80点が並ぶ同展。作品には、しけの中に架かる虹、目前に迫る巨大積乱雲など、幾多の波涛を越えてきた海の男だからこそ、恐れなくカメラに収められたのだろうと思う迫力の写真もある

船が波涛を越える際の鉄則は、船首で波を受けるようにして、真っすぐ進むことだという。避けようとすれば横波を受け、かえって転覆してしまう恐れがあるからだ

「信心も同じです。真っすぐに。それがあれば、怖いものなしです」。1等航海士として働き、波涛会の草創を支えた友が語っていた。入会した半世紀前から、日々2時間の唱題を欠かさない。その中で幾多の自然の嵐も、がんなど人生の嵐も突破してきた

御書に「いかに強敵なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(504頁)と。何があろうが信心で勝つと決める。この真っすぐな決意で、我らも“人生の波涛”を勝ち越えたい。(聖)

【聖教新聞:2015年9月22日(火)付】



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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

     第3章 信仰と実践

〔2〕信行学

  (2)行

 生命変革の実践ーー勤行と弘教

 「勤行」とは、御本尊に向かって読経・唱題することをいいます。これが生命変革の具体的な実践の一つです。
 大聖人は、勤行を、曇った鏡を磨くことに譬えて次のように仰せです。
 「譬えば、闇鏡(あんきょう)も磨きぬれば、玉と見ゆるがごとし。ただ今も一念無明も迷心は、磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発して日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱たてまつるを、これをみがくとはいうなり」
 (384頁、通解ーーたちえば、曇っていてものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものである。今の(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くなら、必ず真実の覚りの智慧の明鏡となるのである。深く信心を奮い起こして日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。では、どのようにして磨いたらよいのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのである)