【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月1日(火)より転載】
【勝利島36】
一九六五年(昭和四十年)一月十一日には、伊豆大島が大火に見舞われた。
夜遅く、元町の繁華街から出た火は、強風に煽られて、たちまちのうちに広がった。
大島支庁、町役場、図書館、郵便局、電話局をはじめ、商店、住宅など、五百八十余棟が全焼し、焼失面積約三万七千五百平方メートルという大火災となった。
死傷者がいなかったことが、せめてもの幸いであった。被災した人のなかには三十世帯近い学会員もいた。
山本伸一は、この時も直ちに幹部を派遣した。彼らは、伊豆大島に到着すると、その夜、座談会を開いた。会場は、類焼を免れた学会員の家である。
島は停電のため、電灯も消え、電話も通じていなかった。ロウソクがともされ、細々とした明かりのなかでの会合となった。
ロウソクの火が、心細そうな参加者の顔を照らし出した。天井には、皆の不安を映し出すように、黒い影が揺れていた。
落胆し、意気消沈した同志の様子に、一瞬、幹部は言葉を失った。しかし、生命力を振り絞るようにして語り始めた。
「山本先生は『命が助かってよかった』と言われ、皆さんにご伝言を言付かりました」
彼は、手帳を取り出し、伝えていった。 「皆さんの苦しいお気持ちは、痛いほどわかります。懸命にお題目を送っております。
大聖人は『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(御書二三二ページ)と仰せです。皆さんもまた、大島の柱となり、眼目となり、大船となる大切な方々です。
その皆さんが、決してめげることなく、強く、明るく、はつらつとしていれば、大島は活気を取り戻していきます。どうか、島の方々を支え、励まし、勇気づけ、復興の担い手となってください。皆さんは、妙法を持った師子ではありませんか!」
それは、伸一の魂の叫びであった。必死の一念から発する言葉には、魂の共鳴がある。