和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年09月11日 16時37分09秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月11日(金)より転載】

【勝利島45】

 離島本部からの報告では、小笠原諸島には、三十世帯を超えるメンバーがいるとのことであった。

 山本伸一は、首脳幹部を通して、小笠原を訪問する離島本部の幹部に伝言した。

 「この機会に、小笠原に大ブロックを結成してはどうでしょうか。学会本部ともよく話し合って、人事なども、具体的に検討してください。

 また、島の皆さんに、こう伝えてください。

 『地理的には遠くとも、御本尊を通して、広宣流布に生きる私たちの心はつながっています。私は、日々、皆様の健康とご一家の繁栄を、真剣に祈り続けております』」

 そして、島の同志への記念品を託した。

 離島本部長の三津島誠司らが、小笠原諸島の父島に到着したのは、五月四日朝のことであった。船酔いの苦痛のなか、船を下りると、数人のメンバーが、こぼれるような笑みを浮かべて待っていた。そのなかに、母島から来たという、七十二歳の男性もいた。父島と母島とは、約五十キロ離れている。

 「本部から幹部の方が来られると聞いて、もう待ち遠しくて、二日前から父島へ来て待っとりました。山本先生はお元気ですか」

 彼は本土にいた時、ある会合で伸一が語った、「生涯、私と共に広宣流布に生き抜いてください」との言葉を胸に焼きつけ、母島で一心に信心に励んできたという。

 「師弟の誓い」に生き、「使命」を自覚した同志が、「広布の大道」を切り開いてきたのだ。

 三津島たちは、求道心にあふれた、その純粋な姿に、生命が洗われる思いがした。

 ――小笠原の広布は、一九六八年(昭和四十三年)に小笠原の島々が日本に返還され、本土などに強制疎開させられていた人たちが、父島に戻った時から始まっている。そのなかに佐々本卓也や浅池隆夫らの学会員がいたのである。

 佐々本は、漁業を行うために漁業協同組合をつくって組合長を務め、浅池は、東京都の小笠原の漁業調査船の船長となった。








   

芙蓉/今日の俳句 ≪第1892号≫

2015年09月11日 07時00分58秒 | 今日の俳句




  白芙蓉しだいに灯恋はれけり
       石橋秀野


  松の間の芙蓉にそゝぐ朝日かな
       野村泊月


  競ひ咲く花にはあらず芙蓉咲く
       三橋鷹女


  雷消えてゆく白芙蓉花そろふ
       田村八束


  日々為すなし芙蓉と海の明るきに
       多田裕計




※ 芙蓉・花芙蓉・白芙蓉・紅芙蓉・酔芙蓉
 中国原産のアオイ科の落葉低木。庭園に植えられる観賞植物だが、暖かい地方の海岸に、まれに野生化しているのが見られる。幹は直立し、または分枝し、星状の毛で厚くおおわれ、高さは一・五~三メートル(五~一〇尺)ぐらい。葉は三角状卵形で、掌状に三裂から七裂し、先端がとがり、縁には鋸歯がある。
 初秋のころ、幹の上部の葉腋に柄のある淡紅色の美しい花を開く。この花は一日でしぼむ。萼は鐘状で五片に裂け、花弁は五個。基部は互いにくっついている。花のあとの?果はほぼ球形、風が吹くとふれあって音をたてる。フヨウにはまれに白色品種や八重咲き品種がある。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※


 信心の真価は
 「行動」で決まる!
 いかなる立場でも
 情熱と挑戦を忘れるな。
 わが誓願に生き抜け!

   「2015年9月11日」



     ※☆*寸 鉄*☆※


任用試験の申込続々と。信心の柱築く好機(チャンス)。受験者も教える側も共に成長
        ◇
一日の命は「千万両の金(こがね)にも過ぎたり」と御書に。日々新たな決意で歴史を
        ◇
地球は小さく、大事にせねばー飛行士。恩師の地球民族主義に理念今こそ
        ◇
「環境危機時計」が昨年から4分進む。変革は待ったなし。まず足元から
        ◇
各地で甚大な豪雨被害。被災した皆様に衷心よりお見舞い。引き続き警戒




     ※名字の言※


「わが子を学会に入会させるかどうか、私には決められない」と、未就学の子どもがいる男子部員が迷っていた

信仰は人生の根本問題だから、慎重に考えたいーーそれも、親心の一つではあろう。そうした彼の心情を知った上で、彼の両親が向き合った。「私たちは『この子を絶対に幸せにしてみせる』との思いで、お前と信心してきたんだよ」と父。そばで、母がうなずいた

男子部員には、“自分の意思で入会したわけじゃない”と親に反発した時期もあった。だが、誰よりも自分を思ってくれた親の心があったからこそ、自分は今、こうして信心し、幸せになれたーー父母の心に触れた彼は、妻と相談し、“わが家の新たなスタートに”との思いで、一家での信心を始めた

門下の四条金吾夫妻に子が誕生した際、日蓮大聖人は祝福の手紙を送られている。「(この子は)現世には必ず後を継ぐ親孝行な子である。また後生には、この子に導かれて仏になられるであろう」(御書1123頁、通解)

親が子を、そして子が親を、幸福の軌道へと、三世にわたって導き合っていくーーそうした「同志」のような関係が、正法で結ばれた親子の縁である。信心こそ最高無上の“家宝”と決め、一家和楽を築いていきたい。(鉄)

【聖教新聞:2015年9月11日(金)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

     第2章  生命論

 六道から四聖へ

 以上の地獄界から天界までの六道は、結局、自身の外の条件に左右されています。
 欲望が満たされた時は天界の喜びを味わったり、環境が平穏である場合は人界の安らぎを味わえますが、ひとたびそれらの条件が失われた場合には、たちまち地獄界や餓鬼界の苦しみの境涯に転落してしまいます。
 環境に左右されているという意味で、六道の境涯は、本当に自由で主体的な境涯とはいえないのです。
 これに対して、その六道の境涯を超え、環境に支配されない主体的な幸福境涯を築いていこうとするのが仏道修行です。そして仏道修行によって得られる覚りの境涯が声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖の境涯です。

   

9月10日(木)のつぶやき

2015年09月11日 01時48分58秒 | 今日の俳句