和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年09月12日 17時02分26秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月12日(土)より転載】

【勝利島46】

 小笠原へ旧島民が帰還してしばらくは、本土と父島を結ぶ船便は、月に一便であった。当然、生活物資が届くのも月に一度である。

 島に、住民が移って来るたびに、佐々本卓也や浅池隆夫は、学会員がいないかどうか聞いて回った。

 父島には、旧島民のほかに、新しい住民も増えていった。また、アメリカは、終戦の翌年には欧米系の旧住民の帰還を認めており、欧米系の人たちが暮らしていた。

 佐々本や浅池は、その人たちと融和を図りながら、島づくりに励んできた。

 彼らが父島に戻って二年がたった一九七〇年(昭和四十五年)ごろから、座談会も開かれるようになった。島での生活は、断水や停電も日常茶飯事であったが、そのなかで同志は、離島広布の先駆になろうと誓い合った。

 漁業調査船の船長である浅池は、海流やプランクトンの分布、魚群の種類の調査等のほか、父島と母島の物資の輸送や急病人への対応、海上遭難者の救出などにも奮闘した。

 地域への貢献を通して、信頼を勝ち取ることが、そのまま広宣流布の前進となった。

 「信心即生活」である。ゆえに学会員一人ひとりの生き方のなかに、仏法が表れる。

 彼は、船長を五年ほど務めたあと、小笠原支庁の職員となった。

 学会員のなかには、日本最南端の漁業無線局の局長もおり、多彩な人材がいた。

 島には、次第に観光客も増えていった。それにともない、ゴミが無造作に捨てられるなど、自然環境の破壊も進み始めた。

 島の未来を憂慮した学会員の有志が中心となって、「小笠原の自然を守る会」を結成。ゴミ拾いや自然保護のための運動を開始した。

 また、母島の広宣流布を担ってきた一人に勝田喜郎がいた。母島生まれの彼は、二歳の時、家族と共に強制疎開の船に乗る。移り住んだ八丈島で一家は入会。彼の父親は、母島に帰ることを夢見て生きてきた。喜郎は父と、「小笠原が返還されたら一緒に母島へ帰り、農業をしよう」と約束していた。







   

木犀/今日の俳句 ≪第1893号≫

2015年09月12日 06時47分30秒 | 今日の俳句



  木犀の香に昇天の鷹ひとつ
       飯田龍太


  金木犀風の行手に石の塀
       沢木欣一


  木犀の香を負うてゐる男かな
       小寺正三


  山麓の百年の家銀木犀
       坪内稔典


  行きすぎて金木犀は風の花
       木村敏男




※ 木犀・金木犀・銀木犀・桂の花
 銀木犀ともいう。中国原産の庭園に植えられるモクセイ科の常緑小高木。幹の高さは三メートル(約一〇尺)以上に達する。密に茂った葉は有柄で対生し、楕円形で先が短くとがり、縁に多数の細かい鋸歯がある。
 深緑色の葉は革質で堅い。晩秋のころ葉腋に白色の小花を散形状に群がり開く。花には芳香がある。同じ属の金木犀はモクセイによく似た木で、革質の葉は表面が緑色で裏面はいくぶん黄色みをおびている。花は橙黄色で、モクセイよりはるかに芳香が強く、数十間さきからもにおってくる。
 同じ属のヒイラギ・ヒイラギモクセイも多少よいかおりがある。モクセイ類は、その花から香科を採り、また乾燥したものを烏龍茶の添香料とする。材は質がすぐれており、彫刻その他の細工物に用いられる、漢名でモクセイが銀桂、ギンモクセイを丹桂といい、木犀のにおう秋の季節を≪桂秋≫などという。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※


 新時代の太陽と輝く
 ヤング・ミセスの友よ!
 希望の哲理を胸に
 地域に幸の語らいを!
 笑顔の花を咲かせゆけ!

   「2015年9月12日」



     ※☆*寸 鉄*☆※


竜の口法難の日。大聖人に直結し忍難弘通の創価三代。師弟に連なる誉れ
        ◇
努力する人は希望を語り怠ける人は不満を語るー作家。我らは挑戦の人と
        ◇
「信は道の源功徳の母」。勇気も希望も喜びも強盛な祈りから。勝利そこに
        ◇
高齢者生活環境、日本は世界8位。医療で高評価。公明よ幸齢社会へ全力を
        ◇
5歳未満の死亡数、この25年で半減ー調査(ユニセフ)。子は宝。世界の英知結集せよ





     ※名字の言※


未来部員会で元気がなかった少年部員に声を掛けると、「あのね」と悩みを打ち明けられた。前の日の夜、両親が口げんかをしたという。それを見た彼は「胸がギュ-ッとなり、ポロポロ涙が出て、心が痛くて痛くて……ぼくはどうしたらいいの」

これほど無垢で小さな心に、どんな励ましの言葉を掛けたらいいか、考え込んでしまった。すると隣にいた少女部員が、「そんなときはね」と口を開いた

「うちのパパとママも時々、けんかをするよ。そうしたらわたしは『ストップ!』と言って、2人の間に割り込むの」。そして少女は、両親の手を片方ずつ握り、父親を見て「ママに言いたいことは、私が伝えるから内緒話で教えて」と耳を貸すしぐさをするのだという

引っ込みの付かない父親は無言だが、少女は「ふむふむ」とうなずき、「けんかしても解決しないね。ママごめんよ」と勝手に代弁する。すると3人で大笑いして、けんかは終わるという。見事な解決法に恐れ入った

憎しみは憎しみを生み、、「分断」をもたらす。分かち合おうとする努力が和解、ひいては団結を生む。家族から国家間に至るまで、人間同士の付き合いに本質的な違いはないはずだ。人と人、心と心、地域と地域を結ぶ日々の行動の中に、平和の種は詰まっている。

【聖教新聞:2015年9月12日(土)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

     第2章  生命論

 (7)声聞界
 (8)縁覚界

 声聞界と縁覚界の二つは、仏教のなかでも小乗教の修業で得られる境涯とされ、この声聞界と縁覚界をまとめて「二乗」と呼びます。
 声聞界とは、仏の教えを聞いて部分的な覚りを獲得した境涯をいいます。
 これに対して、縁覚界は、さまざまなものごとを縁として、独力で仏法の部分的な覚りを得た境涯です。独覚(どっかく)ともいいます。
 二乗の部分的な覚りとは「無常」を覚ることです。無常とは万物が時間とともに変化・消滅することをいいます。自分と世界を客観視し、世間すなわち現実世界にあるものは、すべて縁によって生じ時とともに変化・消滅するという真理を自覚し、無常のものに執着する心を乗り越えていくのが、二乗の境涯です。

   

9月11日(金)のつぶやき

2015年09月12日 01時48分04秒 | 今日の俳句