【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月23日(水)より転載】
【勝利島54】
山本伸一は、八丈島のメンバーに語った。
「皆さんご自身が、本来、仏であり、皆さんは、自分の今いる場所を常寂光土としていくために出現したんです。どうか、力を合わせ、八丈島を広布模範の島にしてください。広布第二章の大潮流を八丈島から起こしてください。私は、じっと見守っています」
また、彼は、八丈島の同志を代表して、菊田秀幸に歌を贈った。
八丈に わが友君が ありつれば
妙の薫風 幸とかおらむ
伸一の激励は、菊田一家にとどまらず、島全体に大きく感動を広げていくことになる。
この一九七八年(昭和五十三年)十一月、八丈本部が誕生するが、後年、菊田秀幸は本部長として活躍することになる。
また、八丈島では、「聖教新聞」の購読推進に力を注ぎ、学会への理解を深め、二十一世紀へのスタートを切ろうと話し合った。そして、皆が友好の輪を着実に広げ、地域貢献に努めていくなか、島の購読世帯が三五パーセントを超える結果をもって、二〇〇一年(平成十三年)五月三日を飾ることになる。
一九七八年(昭和五十三年)八月十三日、伸一は九州研修道場で行われた、佐賀、長崎、鹿児島の三県合同幹部会に出席した。
その翌日、彼は、奄美へ帰る十数人のメンバーと会って懇談のひと時をもった。
伸一は、皆の顔を見ると、笑みを浮かべた。
「どうも、遠くからご苦労さまでした。一緒に、記念の写真を撮りましょう」
懇談が始まった。参加者の一人が言った。
「先生! 『龍郷支部歌』のテープを持参してきましたので、お聴きください」
伸一の目が光った。
「龍郷! 大変な迫害を勝ち越えてきた、あの龍郷ですね。聴かせていただきます」
伸一は、最も苦闘してきた人たちのことを生命に焼きつけ、題目を送り続けてきたのだ。