蜉蝣の火に入るいのち音となる
飯田素蘭
蜉蝣や針葉樹林はをとこの香
草村素子
豊年虫車燈に殖えて故郷近し
貝梅文平
蜉蝣とぶ三番叟の振袖へ
堀古蝶
蜉蝣や手斧づくしの隠し部屋
渕上千津
※ カゲロウ目まどの昆虫の総称で、蜻蛉より細く、長い尾を持ち、美しい透明な翅を背中に立てている。つまめばつぶれそうな弱々しい虫で、羽化して卵を産むと数時間で死ぬものが多い。しかし幼虫時代は長く、二~三年も水中に棲んでいる。
蜉蝣の群れが池や川の面を狂ったように乱舞しているのは生殖の集いである。その上下に飛ぶさまが陽炎がゆらめくように見えるので、この名がついたといわれる。
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
※今週のことば※
各地で希望の出発。
リーダーを率先の行動が
勇気の万波を生む。
皆が清新な決意で
広布拡大の快進撃を!
「2015年9月7日」
※☆*寸 鉄*☆※
長崎で青年(SGI)会議。核廃絶は全民衆の悲願。断じて実現へ創価の若人が先駆
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皆が主体者の協議会を!これ広布の推進軸。黄金の歴史の総仕上げへ加速
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鹿児島の日。勇敢なる妙法の薩摩隼人よ。誉れの宝土に後継の人材城築け
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「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」。行学の大歓喜をまっすぐ伝えよ
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孤立化等で高齢者の犯罪が増加と。時代は求むー確かな哲学と心の連帯を
※名字の言※
福島県の飯舘村から避難している方々に話を伺った。壮年が語った。「父親が満州(現・中国東北部)から来て、掘っ立て小屋建てて、何十年もかけて開拓した」
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本年は戦後70年。飯舘村にも、私たちが忘れてはならない歴史がある。同村は全戸の3分の1が、旧満州などからの引き揚げ。未開拓の荒れ地だった飯舘に入植した(福島県農地開拓課『福島県戦後開拓史』)。隣の浪江町も、半数が引き揚げ家族である。
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県内の他地域と比べても、気温が数度低い寒冷地。人々は木を切り、土地を耕し、半世紀がかりで、「日本一美しい村」にも選ばれている麗しい里をつくった。だが今、村には、除染した後の包材があちこちに積まれている
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別の壮年が言った。「もう一度、村を開拓し直すんだ。戦後と同じだよ。そして20年、30年後に、帰ってきた孫たちに、じいちゃん、ばあちゃんは日本一の村を復活させたと、胸を張るんだ」
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何世代も費やし、苦労の末に築いたものを一挙に失う。そんな事態に遭っても、人間は、絶望から立ち上がる強さを持っている。人間の能力の中で、「希望を創り出す力」ほど尊いものはない。そしてその希望は、「自分のため」でなく「次代のため」にと、未来を見つめる中から生まれてくるのだ。(哉)
【聖教新聞:2015年9月7日(月)付】
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教 学 入 門
世界宗教の仏法を学ぶ
【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】
第1部 日蓮大聖人の仏法(1)
第2章 生命論
(3)畜生界
畜生という言葉は、もともとは獣や鳥などの動物を指します。畜生界の特徴は、目先の利害にとらわれ、理性が働かない「愚かさ」です。
大聖人は「癡かは畜生」と説かれています。因果の道理が分からず、正邪・善悪の判断に迷い、目先の利害に従って行動してしまう境涯です。
また「畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる」(957頁)、「畜生は、残害(=傷つけ殺すこと)とて、互いに殺しあう」(1439頁)と仰せのように、畜生界の生命は、理性や良心を忘れ、、自分が生きるためには他者をも害する弱肉強食の生存競争に終始していく境涯です。目先のことしか見えず、未来を思考できない愚かさの故に、結局は、自己を破滅させ、苦しむのです。
※ 畜生という表現は、古代インドの表現を踏襲したものです。動物であっても例えば盲導犬のように人を助けることを使命として生きる例もあります。また、逆に人間であっても、戦争のように他の動物よりも残酷な行為をする場合もあります。
地獄界・餓鬼界・畜生界の三つは、いずれも苦悩の境涯なので「三悪道」といいます。