≪2015年(平成27年)9月14日(月)長月≫(旧暦8/2)
葉鶏頭ひぐれの声が駆けめぐり
加藤楸邨
雁来紅しんしんと色噴きこぼれ
廣瀬町子
照り曇る空や照る日の葉鶏頭
石塚友二
いと低き門まうけあり葉鶏頭
渋沢渋亭
かまつかに教師さびたる服干され
星野麦丘人
※ 雁来紅・葉鶏頭・かまつか・紐鶏頭
雁が渡ってくるころに、色づくので、この名がある。鶏頭とは属を異にし、アオビュ・ヒュなどと同じ属のヒユ科の一年草。原産地は熱帯アジアで、古く日本に渡来し、観賞用に秋の庭園などに多く植えられる。
茎は直立して、非常に大きく、高さは一・五メートル(約五尺)ぐらい、長い柄をもつ葉は、茎の上下ともに密に互生し、形は菱状卵形のほかさまざまなものがあり、紅色、黄色、緑色などの斑(ふ)がはいっていて、目のさめるように美しい。
夏から秋にかけて、葉腋や茎の先に、淡緑色または淡紅色の細かい花をいっぱいにつける。秋が深まるにつれて葉の斑はいっそう濃くあざやかに、さまざまに変化するので、雁来紅という。
園芸品種が多く、黄緑・紅を呈したものを≪十様錦≫、これに紫色を加えたものを≪黄雁来≫などという。ガンライコウと同じ属のヒモゲイトウは、種子が穀類の代用となるので≪仙人穀≫ともいう。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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教 学 入 門
世界宗教の仏法を学ぶ
【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】
第1部 日蓮大聖人の仏法(1)
第2章 生命論
(9)菩薩界
菩薩とは、仏の覚りを得ようとして不断の努力をする衆生という意味です。二乗が仏を師匠としていても、自分たちは仏の境涯には至れないとしていたのに対し、菩薩は、師匠である仏の境涯に到達しようと目指していきます。
また、仏の教えを人々に伝え広めて人々を救済しょうとします。
すなわち、菩薩の境涯に特徴は、仏界という最高の境涯を求めていく「求道」とともに、自らが仏道修行の途上で得た利益(りやく)を、他者に対しても分かち与えていく「利他」の実践があることです。
現実の世間のなかで、人々の苦しみと悲しみに同苦し、抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)の実践をして、自他共の幸福を願うのが菩薩の心です。
二乗が「自分中心」の心にとらわれて低い覚りに安住していたのに対して、菩薩界は「人のため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯です。
この菩薩界の境涯の根本は「慈悲」です。大聖人は「観心本尊抄」で「無顧(むご)の悪人もなお妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり」(241頁)と仰せです。他人を顧みることのない悪人ですら自分の妻子を慈愛するように、生命には本来、他者を慈しむ心が具わっています。この慈悲の心を万人に向け、生き方の根本にすえるのが菩薩界です。