和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年09月03日 17時16分40秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月3日(木)より転載】

【勝利島38】

 伊豆大島の同志は、目覚ましい勢いで、弘教を加速させていった。

 大火から八カ月後の一九六五年(昭和四十年)九月には、待望の伊豆大島会館の起工式が行われた。

 大火前、島の学会世帯は五百世帯ほどであった。しかし、この年の十二月には八百数十世帯となり、翌六六年(同四十一年)一月には、遂に念願の千世帯を達成したのである。

 皆が奮い立つ時、新しい前進が始まる。

 皆が心を合わせる時、新時代が開かれる。

 一月二十一日、晴れて会館の落成式が挙行された。大島空港に近い、小高い丘の上に立つ会館の広間は、歓喜の笑みの花で埋まった。

 会館建設とあわせ、わが家を新築できたという人もいた。新しい街づくりに奔走し、地域に大きく貢献した人もいた。

 皆の最高の喜びは、会館の落成とともに多くの新会員が誕生し、島の随所に妙法の希望の灯がともったことであった。

 この法城は、大火の悲しみのなか、涙を拭って立ち上がった同志にとって、人生と広布の勝利の記念塔となったのである。

 山本伸一は、わが同志の奮闘を心から賞讃し、万感の思いを込めて祝電を打った。

 「伊豆大島会館の落成、まことにおめでとうございます。仲良く、楽しく、ここに集まって、幸せを築いてください」

 その言葉に人びとは、この一年の来し方を思い、目頭を熱くするのであった。

 一人ひとりが幸せに――彼の願いは、それ以外に何もなかった。そのための信心であり、学会であり、広宣流布である。迫害も、試練も、修行も、永遠の幸せを築き上げるための鍛錬なのだ。

 さらに二十六日には、伊豆大島支部が新設され、約二千人が集い、支部結成大会が開催されたのである。

 御聖訓には、「わざは(禍)ひも転じて幸となるべし」(御書一一二四ページ)とある。大島の宝友は、大火という災いを乗り越え、皆が自身の幸福の基盤を確立していったのである。




 

きりぎりす/今日の俳句 ≪第1884号≫

2015年09月03日 06時21分35秒 | 今日の俳句


  月の夜や石に出て鳴くきりぎりす
       加賀千代女


  明けかかる高窓引くやきりぎりす
       室生犀星


  きりぎりす島の砂嘴また波に消え
       友岡子郷


  ひとりねのひるの底よりきりぎりす
       桂信子


  草の国飛騨の白川のきりぎりす
       原田青児




※ きりぎりす・ぎす・機織
 キリギリス科。秋の虫のなかでは、いちばん早く現われ、川の土手や畑・草むらなどで、ギィーツ、ギィーツ、またはチョンギースと、機織りの音のような高い調子で鳴く。涼しい日よりも暑い日のほうがさかんに鳴く。
 体形はイナゴに似ているが、性質は獰猛で、あごの力が強く、指などにかみつかれると血がにじむ。体長四~五センチ(約一寸三分~一寸七分)ぐらい。平安朝の昔はコオロギをキリギリスとしてつくり、またキリギリスのことをコオロギとしてつくった。
 季節的にキリギリスは残暑のころ、コオロギは晩秋のころによく聞かれる。キリギリスよりも、ややからだの大きいヤブキリも、チョンギースと鳴き、よくキリギリスとまちがわれる。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】

■釈迢空忌

釈迢空(1887年2月11日-1953年9月3日)しゃく ちょうくう。本名は折口信夫(おりくち しのぶ)。日本文学研究者・民俗学者・詩人・作家・劇作家。

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。
歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】




     ※わが友に贈る※



寒暖差が激しい時期。

体調管理を万全に!

生き生きと若々しく

広布の勝利を決する

名指揮を頼む!


「2015年9月3日」





     ※☆*寸 鉄*☆※



戦いには突進力がなければならぬー恩師。青年よ広布拡大へ大胆に挑戦を

        ◇

任用試験、申し込み進む。世界第一の仏法を学び行じる誉れ。功徳は厳然と

        ◇

幹部(リーダー)は一回一回の会合に精魂込めよ。入念な準備と大生命力で波を起こせ

        ◇

高校生の1割「ネット上だけの友達が50人以上」。危険性も知り、賢く利用

        ◇

9月は食生活改善普及運動。病は「飲食節ならざる故」。健康人生を聡明に





     ※名字の言※


現代社会のさまざまな問題を見つめ、学会活動の価値を再考・再発見していく「マンスリーウォッチ」。今月のテーマは「人生90年時代」で、高齢社会における“魅力ある生き方”を多角的に探求していく



「人間五十年……」とは、織田信長が好んで戦いに舞ったといわれる「敦盛」の一節だが、実は、平均寿命が50年を超えたのは戦後のこと。まして、鎌倉時代は、戦乱・疫病等で、長寿を全うするのは容易でなかった



御書をひもとくと、日蓮大聖人御在世当時、高齢の門下が、師弟の道を意気軒昂に進んでいた様子が浮かび上がる。例えば、90歳になる富木常忍の母が、丹精込めて縫い上げた帷子をご供養した際、大聖人は「自ら両目を無理し、身命を尽くして作られたことでしょう」「(この恩は)報じがたい」(968頁)と返礼を送られている



また日興上人は、大聖人の御入滅後も、半世紀にわたって妙法流布に生き抜かれた。「未(いま)だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618頁)--この「日興遺誡置文」は、亡くなる直前に記されたと伝わっている



信心に“定年”や“引退”はない。秋へと進む季節の営みを感じつつ、常に「力の限り」の精神で、自身も前へ前へと進みたい。(明)


【聖教新聞:2015年9月3日(木)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (2) 立正安国と広宣流布

9月3日
 創価学会こそ広布の唯一の団体

 この大聖人の御精神を受け継いで、御書に仰せの通りに妙法を弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧(仏法実践者の集い)が創価学会です。
 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(1360頁)と仰せのように、大聖人の御心のままに妙法を広めてきた創価学会こそ、広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の団体にほかなりません。
 大聖人滅後七百年、創価学会が出現するまで、誰も妙法を広めることはできませんでした。創価学会が釈尊と大聖人の未来記(予言)を実現したのです。そこに創価学会が広宣流布の使命を担って出現した、仏意仏勅の教団である根拠があります。
 そして、「閻浮提に広宣流布」と経文に示されたように、事実の上で、日本はもとより、世界中に妙法を広めてきたのです。

   



           

9月2日(水)のつぶやき

2015年09月03日 01時46分39秒 | 今日の俳句