和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義21/新・人間革命           

2014年01月27日 05時58分02秒 | 新・人間革命

      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月27日(月)より転載】



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 正義21(1/27)

 宗門には、牧口常三郎の時代から、学会を正しく理解できず、蔑視したり、敵視したりする僧が少なくなかった。

 しかし、牧口と戸田城聖の、死身弘法の実践と宗門への赤誠を見続けてきた法主たちは、創価の師弟に賞讃を惜しまなかった。

 創価学会常住の御本尊に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と認めた水谷日昇法主は、広宣流布に邁進する創価学会の姿に感嘆し、一九五二年(昭和二十七年)の十一月、書簡に感謝の意を、こう記している。

 「今や学会の活躍は、宗門史上、未曾有の事で、万一、学会の出現なき時は、宗門はほとんど衰頽の期のところ、御仏の御利益により、戸田氏統率の学会が出現し、広宣流布の大願に邁進、日夜、止暇断眠、折伏の妙行に精進され、為宗(=本宗にとって)同慶の次第です。老生(=私)の時代に戸田氏と学会の活躍もまた妙縁で、名誉のことであります」

 戸田や学会との縁を「名誉」と述べる謙虚な言葉は、「日興遺誡置文」の「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」(御書一六一八頁)との御精神によるものであろう。

 宗開両祖の根本精神に照らす時、学会の偉業は厳たる輝きを放つのである。

 日昇の後を継ぎ、五六年(同三十一年)に登座した堀米日淳法主もまた、以前から学会を深く理解し、賞讃し続けてきた。

 四七年(同二十二年)十月の創価学会第二回総会で日淳は、殉教した創価の父・牧口常三郎を、こう讃えている。

 「私は先生が、法華によって初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によって開顕し、その面目を発揚なされたのだと、深く考えさせられるのであります。そうして先生の姿にいいしれぬ尊厳さを感ずるものであります。先生には味方もありましたが、敵も多かったのであります。あの荊の道を厳然と戦いぬかれた気魄、真正なるものへの忠実、私は自ら合掌せざるを得なくなります」


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白菜/今日の俳句 ≪No. 1482≫

2014年01月27日 04時47分12秒 | 今日の俳句


     ☆白菜/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)1月27日(月)


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  ■1月27日(月)■ 

○ 国旗制定記念日
 1870(明治3)年のこの日、太政官布告第57号の「商船規則」で、国旗のデザインや規格が定められた。
 それまでは、船によってまちまちのデザインの旗を使っていた。
 当時の規格は、縦横の比率は7:10で、日の丸が旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていたが、現在は、1999年8月13日に公布・施行された「国旗国歌法」により、縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、日の丸は旗の中心の位置となっている。これを記念して国旗協会が制定。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  洗はれて白菜の尻陽に揃ふ
         楠本憲吉


  白菜の積み残されて家は留守
         前田忠男


  何のむなしさ白菜白く洗ひ上げ
         渡邊千枝子


※ 白菜。
 中国原産のアブラナ科の一・二年草で重要蔬菜。変種が多く、結球性・半結球性・不結球性に大別される。
 蕪や漬菜類と容易に交雑する。主に漬物となるが、鍋料理などの煮物にしても美味。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月27日(月)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 「冬は必ず春となる」
 妙法に生き抜く人に
 最後の栄冠は燦然と!
 苦難との戦いの中で
 不動の自身を創れ!

        1月27日


  ■※今週のことば※■


 新時代の2月闘争だ。
 幸福の「仏種」を
 友の心に蒔きゆこう!
 自信満々と
 希望の大哲学を語れ!

        1月27日


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  ■※名字の言※■


自分のプレーやフォームを映像で確認することは、芸能やスポーツの世界で当たり前になっている。だが、昔はそんな便利な機械はなかった。どうしたか



「離見の見」という言葉がある。室町時代の能の大成者、世阿弥が言った。己を離れ、観客席から見るつもりで、演者の自身を見る。その時こそ「わが姿を見得するなり(自分の姿が見える)」との戒めである



能では、シテ(主役)が舞い終えると幕の内に入り、大きな鏡の前に立つ。装束も面も着けたまま、客席に見えていたであろう自分の姿を見る決まりがあるという。二十六世観世宗家の観世清和氏は、“舞台の出来不出来を突きつけられる厳しい時間”と(『能はこんなに面白い!』小学館)。この省察と精進が、700年の伝統を築いた礎と実感した



どの世界でも、活躍する人は、自分の成長を測る“物差し”を持っているものだ。仏道修行の根幹も同じである。御義口伝は、法華経に説かれる「七宝」を、修行に肝要な七つの宝に配する。その一つ「慙」とは“謙虚に自分を見つめること”



日々の勤行・唱題の中で、御本尊という“生命の鏡”に照らし、自分を見つめる。そして、行動に打って出る。その積み重ねが、明日の勝利へつながる。(馨)


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