和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義16/新・人間革命

2014年01月21日 05時39分32秒 | 今日の俳句
   
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月21日(火)より転載】



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 正義16(1/21)

 
 笠原慈行は、学会が彼の誤りを正したことを、暴行や傷害事件に仕立て上げて喧伝し、パンフレットまで配布したのだ。

 宗門では、臨時宗会を開いて、笠原に謝罪させたことを取り上げ、信徒が、大法会の最中に“僧侶”を糾弾した“不祥事“として、処分の検討に入ったのである。

 そして、笠原に対する決議は、教義に背反した「神本仏迹論」の異説を放棄したとは認められないとし、「宗制宗規に照し適切な処置を望む」と述べるにとどまった。

 一方、戸田に対しては、「開山以来、未曾有の不祥事」を起こしたとして、「謝罪文の提出」「大講頭罷免」「登山停止」を求める、極めて厳しい決議をしたのである。

 日蓮大聖人は、御書の随所で、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」(一三九頁)との仏典の一節を引いて、悪と戦うことの大切さを訴えられている。

 戸田は、宗会の決議を知り、宗門の僧たちから、その精神は消え失せてしまっていることを痛感せざるを得なかった。

 彼らに、正法正義を断じて守り抜こうとの心があれば、青年たちが笠原に、「神本仏迹論」の誤りを認めさせたことを大賞讃しよう。宗会は、正法破壊の悪侶を正すことより、滞りなく儀式を挙行することを重要視していたのだ。戸田は、大聖人の教えに違背した大謗法を責め抜こうとせぬ宗門の惰弱さが情けなく、無念でならなかった。

 「破邪」なくして「顕正」はない。いや、「破邪」なきは、結果的に「邪悪」への加担となり、同罪となることを知らねばなるまい。

 この宗会決議に対して、山本伸一をはじめ、学会の青年部は、各地の宗会議員と面談し、礼を尽くして、理路整然と、その理不尽さを語り、抗議した。そして、宗会議員の過半数が、決議の撤回に賛意を表していった。

 当時の日昇法主も、宗会決議を受け入れることなく、儀式を騒がせたことに反省を求めつつも、戸田の護法への功績を評価した裁定となったのである。



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枯柳/今日の俳句 ≪No. 1476≫

2014年01月21日 05時05分42秒 | 今日の俳句
     ☆枯柳/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)1月21日(火)


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  ■1月21日(火)■ 

○ ライバルが手を結ぶ日
 1866(慶応2)年のこの日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ。

○ 料理番組の日
 1937年のこの日、イギリスのBBCテレビで、料理番組の元祖と言われる番組『夕べの料理』の放送が開始された。
 第1回目は「オムレツの作り方」で、この日の担当のマルセル・ブールスタンは、世界で初めてテレビに出演した料理人となった。


※久女忌
 俳人・杉田久女[すぎたひさじょ]の1946年の忌日。
 高級官吏である赤堀廉蔵と妻・さよの三女として鹿児島県鹿児島市で生まれる。父の転勤に伴い沖縄県那覇市、台湾嘉義県・台北市と移住する。
 1908年(明治41年)東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)を卒業。この間に一家が上京する。
 1909年(明治42年)旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家の杉田宇内と結婚し、夫の任地である福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。
 1911年(明治44年)長女・昌子(後に俳人・石昌子となる)誕生。1916年(大正5年)兄で俳人の赤堀月蟾が久女の家に寄宿する。この時に兄より俳句の手ほどきを受ける。それまで久女は小説家を志していた。『ホトトギス』に投句を始め、1917年(大正6年)ホトトギス1月号に初めて出句。この年5月に飯島みさ子邸での句会で初めて高浜虚子に出会う。
 1922年(大正11年)夫婦揃って洗礼を受けクリスチャンとなる。1931年(昭和6年)帝国風景院賞金賞を受賞。1932年(昭和7年)女性だけの俳誌『花衣』を創刊し主宰となる。しかし、5号で廃刊となった。1934年(昭和9年)中村汀女・竹下しづの女などとともにホトトギス同人となる。
 1936年(昭和11年)虚子よりホトトギス同人を除名される。除名の理由は現在も明らかになっていない。しかし除名後も虚子を私淑しホトトギスへの投句を続けた。太平洋戦争後の食料難により栄養障害をおこす。
 1946年(昭和21年)1月21日、栄養障害に起因した腎臓病の悪化により福岡県筑紫郡太宰府町(現・太宰府市)の福岡県立筑紫保養院で死去、享年57。
 愛知県西加茂郡小原村(現・豊田市松名町)にある杉田家墓地に葬られた。戒名は無憂院釈久欣妙恒大姉。1957年(昭和32年)長野県松本市の赤堀家墓地に分骨される。ここに記された「久女の墓」の墓碑銘は長女・昌子の依頼で虚子が筆を取った。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  枯柳城に灯が入りかまくらもともるなり
         大野林火


  枯柳かまくらを覗く手形を雪に押し
         原子公平


  枯柳煮炊き暖かにかまくらはワンルーム
         清水衣子


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月21日(火)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 人生勝利の軌道は
 御書にあり!
 一節でも一行でもいい。
 御聖訓を拝そう!
 必ず壁は破れる!

        1月21日


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  ■※名字の言※■

「10人の本当の友人をつくる」を掲げ、決意を語り合った、ある支部の集い。「ところで本当の友人って、どういう友人だろうね」と一人の壮年が問題提起した



「本音が言える」「困った時に助け合える」など多様な意見が出た。「本当の友人」に定義はなく、それぞれ祈って決めよう、と話は収まった



博報堂生活総合研究所が毎年、生活者動向を予測し発表している。今年のテーマは「インフラ友達」(『生活動力2014』)。ソーシャルメディアなどで友人を広げる機会は増えたが、逆に、日本人の「一人で過ごす時間」は多くなった。
今、人々の関心は「本当の友達」、つまり生活のインフラ(土台)となる友を得ることにあるとし、50の友情の形を紹介している



ペットを通じて知り合い、人間同士も助け合うようになった「ペッ友」や、1年に1度しか会わないが、喜びを与えてくれる「ネンイチさん」。生きる気力をもらう「命友」、激しい口論になっても、最後は自分に〝気付き〟をもたらしてくれる「怒友」など



読んで気付いたことがある。形は多様でも真理は一つ。つまり、友人を得るには、まず自分が相手の「よき友」になるということだ。成長への挑戦こそ、本当の友人をつくる土台となる。(飛)


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