和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義6/新・人間革命    

2014年01月09日 05時23分14秒 | 新・人間革命


      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月9日(木)より転載】


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正義6(1/9)

 山本伸一が、「広布第二章」の世界広宣流布にあたって、最も力を注いできたのは、教学の深化と展開であった。

 日蓮大聖人が示された永遠不変の妙法の法理を探究し、御本仏の大精神に立ち返り、それを万人にわかりやすく開き示し、世界へ、未来へと伝えていくことこそ、最重要の課題であると、彼は感じていたのだ。

 そして、学会として協議を重ね、一九七七年(昭和五十二年)を「教学の年」とした。伸一は、自ら「諸法実相抄」など、重書の講義を開始し、世界に開く新しい教学運動を推進していった。

 この年の一月十五日に行われた第九回教学部大会でも、仏教史観について記念講演をした。そこでは、仏法は本来、「人間のための宗教」であることや、民衆のなかで広宣流布に戦うことが真の法師であること、寺院の本来の意義等について論じていった。

 さらに、翌七八年(同五十三年)も、「教学の年」第二年とし、学会の仏法研鑽の大潮流が広がっていったのである。

 また伸一は、「広布第二章」を迎えた時から、世界広宣流布の道を開くために、全会員が先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の精神を継承していかなければならないと強く感じていた。先師、恩師の精神とは、全人類の幸福と平和を実現するために、広宣流布に一身を捧げ抜く決意である。日蓮大聖人の正法正義を貫く、慈悲と勇気の信心である。

 大聖人の仏法は、万人が本来、妙法蓮華経の当体であり、「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であると説いている。いわば、「生命の尊厳」と「人間の平等」の哲理である。学会は、創価教育学会の時代から、その教えを掲げ、弘教を推進してきたのである。

 それは、「現人神」といった国家神道の考えを、根本から否定するものにほかならなかった。つまり、国家神道を精神の支柱にして思想統一を図り、戦争を遂行する軍部政府と学会は、原理的に対決を余儀なくされていたのだ。そこに、牧口、戸田の戦いがあった。



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   初旅/今日の俳句 ≪No. 1464≫   

2014年01月09日 05時20分06秒 | 今日の俳句

     ☆初旅/今日の俳句☆

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2014年(平成26年)1月9日(木)


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■ 1月9日(木)。
○ 風邪の日。
 1795(寛政7)年のこの日、横綱・谷風梶之助が流感で現役のまま亡くなった。
 亡くなる10年ほど前に流感が流行している時に、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ」と語ったことから、この時に流行した流感が「タニカゼ」と呼ばれたが、後に谷風の死因となった流感(御猪狩風)と混同された。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  初旅の友来る富士の裾野より
         沢木欣一


  初旅の橋をいくつも渡りしこと
         伊藤通明


  一期は夢一会はうつつ旅はじめ
         石 寒太


※ 初旅→旅始・旅行始。
 新年になって初めての旅行のこと。大晦日の夜に夜行列車に乗って旅行に出かけたりすることも初旅には違いないが、正月を迎えてから神社仏閣に詣でる旅の方が、初旅の感じが出る。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月9日(木)より転載】


    ■※わが友に贈る※■

 「百千万億倍・
 御用心あるべし」
 風邪や流感に注意!
 手洗い・うがいなど
 予防を万全に!

        1月9日


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    ■※名字の言※■


「これを見てほしい」。壮年が地面を指さした。案内してもらった場所は横断歩道。その両端に2cmほどの段差があるが、一部が滑らかな傾斜になっている



車いすのタイヤが通るための道だった。歩くには、ほとんど気にならない段差も、車いすだと難渋する。傾斜は「段差で転倒がないように」と壮年が行政に訴え、実現したものだった。「息子がいるから気づけました」と、壮年はほほ笑んだ



子息は交通事故に遭い、車いす生活を送る。事故当時、近くにいた父は、自分を責め、悲嘆に暮れた。立ち上がれたのは、唱題と、家族のような同志の励ましの中で心に無限の希望を創り出す信仰の力を実感したからだった。過去を悔いることをやめ、現実と向き合い、今は、親子で命の大切さを訴える講演も行う



「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」(内藤濯訳)。有名な『星の王子さま』の一節を思い出す。同じものを見て、同じ事実に遭遇しても、見る人の心によって、見える“風景”は違ってくる。“心の眼”を養い、人に同苦する力、絶望の中にも明日への希望を見いだす力を培うために、信仰はある



「ただ心こそ大切なれ」(御書1192頁)。これほど明快で、これほど深い意味を持つ言葉もない。(将)



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