和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義8/新・人間革命   

2014年01月11日 08時00分37秒 | 新・人間革命


      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月11日(土)より転載】


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正義8(1/11)

 各寺院の発給する寺請証文は、婚姻や旅行、奉公、住居の移転などにも必要であった。いわば、寺院は、戸籍係の役割を担い、徳川幕府のもとで民衆の支配機構として絶大な権力を振るうようになっていった。

 人びとは、個人の意思とは関係なく、先祖代々の寺に所属し、宗旨、寺院を替えることは、原則、できなかったのである。

 さらに寺院は、葬儀などの法事、儀式を執り行うことによって、布施、供養を得て、富を手にしていく。権力と富を保障された僧侶は、真実の仏の教えを探究して切磋琢磨し合う求道の息吹を失い、腐敗、堕落していった。また、檀信徒を下に見る僧侶中心主義に陥り、葬儀や先祖供養などの儀式を重視する葬式仏教へと、仏教そのものを大きく変質させていったのである。

 明治の初めに、寺請制度はなくなったものの、権威の衣をまとって民衆を睥睨する、仏教界の体質は変わらなかった。また、時の政策で僧侶の妻帯が認められると、それを受け入れ、世俗にまみれていったのである。

 苦悩する人びとの、魂の救済に励むこともせず、儀式を執り行う形式・形骸化した宗教が、日本の仏教界の実態であった。

 福沢諭吉は、その姿を「日本国中既に宗教なしと云ふも可なり」(注)と喝破している。

 宗門も、例外ではなかった。

 寺請制度のなかで葬式仏教化し、明治に入って条件付きながら信教の自由が認められても、僧侶が折伏・弘教に奔走する姿は、ほとんど見られなかった。

 広宣流布という日蓮大聖人の御精神は、まさに絶えなんとしていたのである。

 仏法は、常住不変であり、法それ自体が滅することはない。しかし、その正法を継ぐべき者が、大聖人の御遺命である広宣流布を忘れ、死身弘法の大精神を失ってしまえば、それは、事実上の法滅である。

 まさに、その法滅の危機のなか、さっそうと出現し、広宣流布の大願実現に立ち上がったのが、創価の師弟であった。


■小説『新・人間革命』の引用文献
 注 福沢諭吉著『文明論之概略』岩波書店


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福寿草/今日の俳句 ≪No. 1466≫   

2014年01月11日 04時59分31秒 | 今日の俳句


     ☆福寿草/今日の俳句☆

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2014年(平成26年)1月11日(土)


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  ■ 1月11日(土)■ 

○ 鏡開き。
 正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事。
 武家社会の風習だったものが一般化した。刃物で切るのは切腹を連想させるため、手や木鎚で割ったり、砕いたりする。また、「切る」という言葉をさけて、「開く」という縁起の良い言葉を使っている。
 地方によって日が違い、京都では4日に、ほかに20日に行う地方もある。

○ 蔵開き。
 商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る。

○ 樽酒の日。
 奈良県の長龍酒造が2009年に制定。この日は鏡餅を開く「鏡開き」の日であるが、樽酒の蓋を割って開けることも「鏡開き」ということから。

○ 塩の日。
 1569(永禄11)年、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越後の塩を送ったとされている。この話が、「敵に塩を送る」という言葉のもととなった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  日輪の福寿草の庭二歩三歩
         安部みどり女


  吹雪冴えして岸壁の福寿草
         加藤知世子


  福寿草雪しりぞきしところより
         永田耕一郎


※ 福寿草→元日草。
 キンポウゲ科の多年草。山地に自生するが、多くは栽培される。根は髭根でたいへん大きい。普通は2-3月が花期で、黄金色の花は常に太陽に向いて開く。
 花後に茎が伸びて25センチにもなる。正月用の鉢植えは、褐色の鱗片に包まれた芽の端に開花させたもの。
 元日に用いるのでめでたい名をつけられた。変種が多く、歳旦草・側金盞花・長寿菊・賀正蘭など異名も多い。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月11日(土)より転載】


  ■※わが友に贈る※■

 「世界広宣流布」の
 未来記は学会が実現。
 後継の若き君よ
 新たな開拓の歴史を!
 希望の哲理を語り抜け!

        1月11日


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  ■※名字の言※■


東日本大震災で家族を失った子どもたちに、「心のケア」を続ける団体の催しで、長く孤児・遺児支援を続ける米国のNGO(非政府組織)代表の講演を聴いた



戦争や災害などで、家族を失った子どもたちに寄り添い続けた膨大な経験に基づく話は、示唆に富んでいた。代表は、大震災以降、何度も来日し、被災地支援を続ける。こう語っていた。「もうすぐ3年がたちます。周囲からの『いつまでも後ろを見ずに、前を向いて』という励ましは、ときとして被災者に大きなダメージを与えることになります」。なぜか?



「被災者は、ずっと前を見てきたんです。何月何日までに、避難所を出てください。何月何日までに、仮設住宅の手続きをしてください。ある意味、前ばかり見てきた3年間。ゆっくり振り返る時間が必要な方もいるのではないでしょうか」



人を励ますとき、最も大切なのは当事者の気持ちだろう。それを知るためには、まず「聴くこと」。時には、つらくて話したくないこともある。その時は「待つこと」。代表が語っていた。「あくまで人を信じること。どんなつらい目にあっても、人には、いつかは克服する力があると信じることです」



信じ合い、見守り支え合う。そこに必ず、春は来る。(哉)


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