和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

なまはげ/今日の俳句 ≪No. 1473≫     

2014年01月18日 05時15分29秒 | 今日の俳句
なまはげ/今日の俳句 ≪No. 1473≫


     ☆なまはげ/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)1月18日(土)


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  ■1月18日(土)■ 

○ 都バスの日
 東京都交通局が制定。
 1924(大正13)年のこの日、東京市営乗合バスが東京駅への2系統で営業を開始した。

○ 118番の日
 海上保安庁が2011(平成23)年から実施。海上保安庁への緊急通報用電話「118番」を広く知ってもらうための活動が行われる。

○ 振袖火事の日
 1657(明暦3)年のこの日、江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失し、死者が10万人にもおよんだ明暦の大火が起きた。この大火は「振袖火事」とも呼ばれる。
 これは次のような話による。上野の神商大増屋十右衛門の娘おきくは、花見の時に美しい寺小姓を見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい、毎日寺小姓を想い続けた。そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳で亡くなってしまった。
 寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払った。その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花の手に渡ったが、それ以来お花は病気になり、明暦2年の同じ日に死亡した。振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに渡ったが、おたつも同じように、明暦3年の1月16日に亡くなった。
 おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。しかし、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  なまはげを襖のかげで見る子かな
         中村苑子


  なまはげに襲はる森の一軒屋
         松崎鉄之助


  なまはげのどかと去りたる囲炉裡かな
         磯貝碧蹄館


※ なまはげ→なもみ剥ぎ・なまみはぎ。
 恐ろしい異形の面をかぶり、蓑を着て木製の刃物や御幣を持った男たちが、奇声を発して家々を訪れる小正月の行事。
 怠け者を懲らしめる意味があるという。数百年続く秋田県男鹿市のなまはげは、現在、12月31日行われ、国の重要無形民俗文化財に指定される。類似の行事は東北各地と能登半島に伝わる。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月18日(土)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 学会活動の基本は
 地道な家庭訪問と
 丁寧な個人指導だ。
 一人の幸福に尽くす
 誠実のリーダーたれ!

        1月18日


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  ■※名字の言※■


牧口初代会長の出身校・新潟の荒浜尋常小学校が、創立50周年の記念に、「東京荒浜協会」から校旗の寄贈を受けた。90年前(1924年)の1月のことだ。同協会の会長だった牧口先生の筆による寄贈文が残っている。「思い出すのは母校の恩恵の洪大なる事で在ります」との真情がつづられている



前年9月の関東大震災から4カ月余。混乱の中にある首都から遠く故郷を、同窓を、教師を思いやる創価教育の父の姿がしのばれる。「最も痛切に感ずるのは教育第一ということ」との言葉も印象的だ



政治や経済優先では、心豊かな社会は創れない。池田名誉会長は語る。「『人間教育第一』で進むかどうかで、21世紀が平和となり、繁栄するかどうかが決定します」と



教育の力で、震災からの心の復興へ尽力する東北の教育部員たち。昨年11月、教育実践を報告する大会の模様が、本紙の東北版全面に掲載され、反響を呼んだ。東北、そして全国の教育本部の友が今、誕生30周年の教育部歌「太陽のマーチ」にある「ああ教育の 我らは太陽」の歌詞を胸に奮闘している



混迷が深まる時代の闇を払い、笑顔が光る未来を開くために、教育者はじめ全ての大人が、子どもにとっての“励ましの太陽”と輝いていきたい。(杏)



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正義14/新・人間革命

2014年01月18日 05時09分22秒 | 新・人間革命


      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月18日(土)より転載】



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 正義14(1/18)

 戸田城聖が学会の再建に踏み出した時、組織は壊滅状態に陥っていた。そのなかから再出発した在家の団体が、戸田の指導のもとに年ごとに力を蓄え、七十五万世帯という未曾有の大折伏を展開しようというのである。

 仏法の眼を開いて見るならば、まさに、創価学会は、法滅の危機を救い、末法広宣流布のために出現した仏意仏勅の団体であり、地涌の菩薩の集いであるという以外にない。

 しかし、在家である創価学会員が、喜々として広宣流布に邁進する姿を快く思わず、学会には御本尊を授与しないという寺さえあったのである。宗門には、信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていたのだ。

 戸田は、そうした悪僧とは敢然と戦った。

 もし、その悪を見過ごしてしまうならば、それは、やがて広宣流布を破壊する元凶となり、巨悪となっていくからだ。

 「されば御僧侶を尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなくてはならぬ」というのが、戸田の精神であり、弟子への警鐘であった。

 事実、学会は、正法正義を貫き、広宣流布を推進するために、悪侶とは徹して戦い、宗門を守り、発展に尽くしてきたのである。

 その学会にとって、忘れ得ぬ事件がある。

 それは、戸田が第二代会長に就任した翌年の一九五二年(昭和二十七年)四月二十七日、宗旨建立七百年慶祝記念大法会の折の出来事であった。

 戦時中、「神本仏迹論」を唱え、四二年(同十七年)秋に宗門から擯斥処分を受け、僧籍を剥奪されていたはずの謗法の僧・笠原慈行が、総本山大石寺にいるのを、学会員が見つけ出したのである。

 「神本仏迹論」とは、一言すれば、神が本地で、仏は神の垂迹、すなわち仮の姿にすぎないとし、そこに日蓮大聖人の真意もあるとする妄論である。国家神道をもって国論を統一して戦争を遂行する軍部政府に迎合し、大聖人の教えを根本から否定する邪説であった。


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