染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

染めると言う行為に対して

2016年08月06日 07時18分17秒 | 工房豆
染織を一応生業としておりますが、染めることについて一考察。

個人的な染織に対する姿勢ですので、誰に強制するものではありません。

現在、富士山環境に関係する活動を少々しておりますが、その極論と言われてしまいそうですが「人は地球に寄生している」ということ。
友人の言葉ではありますが、マダニ君の扱いを考えていた頃、「結局さ、、」という話になりました。
ただ、寄生虫と言われる多くの生き物は宿主を殺しません。宿主が死んだら自分も死んでしまうから。
一部の寄生虫や宿主を違えてしまった者には、殺してしまうものもあります。人間もそれと同様ではないかと思います。

奪うばかりで返さない。これが今の人類の行為ですね。
多分自分たちが滅ぶまで奪い続けるでしょう。人体ですら焼却してしまう事になって生き物に返還しない。

という考えが自然に入ってきたことには、何の疑問はありませんでしたが、自分の仕事について考えてみました。


天然染料による染色は、基本何でも染まるかのようです。
ただ、日光堅牢度や摩擦、色が染まるということを考えると、本当に染まることと、汚染されることは違うと思います。

あれは染まるかとかこれはどうとか聞かれることは多いですが、
つまらないこと言っても仕方がないので、一応染まるけど、色落ちするよっていいますし、そのワークショップしてくれと言われることもあります。
どうしてもと言われれば行いますが、自分の商品としては出せません。
堅牢度が悪いだろうと思われるものを使って、半年もしたら、色が変わってしまったと言うのでは話になりませんね。
よく聞く、天然染料だからってのは言い訳でしかありません。
仕事とするのなら、そういった感傷的な思考は危険であると思います。
なぜなら、それは責任を自然に転嫁しているからに他なりません。

上手く染まらなかったとしても、これが自然の色だよっていうのは、染織に携わるものとして許せません。


与えられた色を楽しむとかいう言葉にはとても強い違和感を持っているのですが、
これは何故かなとずっと思っています。
自分は天然染料や天然素材を使うにあたって、奪っている、搾取していると言う意識があるからだと思います。
だからこそちゃんとしたものを、ちゃんと使う。全部使う。

楽しむ染織は全く構わないのですが、商品制作、活動にそういうものを持ち込むことには違和感を持ちます。

人間の生活、活動は自然からの搾取なしにありえなくなっておりますが、
人間生活が自然や天然からの乖離を、多くの人の手から離れつつある染織から、見ることが出来るのだなと思いました。

現在の環境活動に携わることに、何ら違和感が無かったことと、染織に対する向き合い方の根幹は変わりがなかったことがなんとなくわかりました。


ちなみに、
博物フェスは、まあ、あんなものかなという感じ。
いろいろわかったこともありましたので、次回に活かせたらいいかと思います。次回があればですけどね。
大物が獲れたら、制作しますが、暫く休眠です。現実と世間の風は意外と冷たかったです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。