染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

モノを作る時

2012年01月24日 21時55分12秒 | Weblog
僕は物を作る時難しく考える方なんですが、皮革製品を作るときは結構ヘビーな事を考えてますよ。
でもね、皆自分の存在に感謝しろって事なのかな。1人で生きているんじゃないってことですね。

尊厳のある生涯

2012年01月23日 23時39分46秒 | Weblog
気高く誇り高い猫がさらに高い所へ行きました。かれこれ、もうひと月になります。
思いを馳せると心痛く感じられますが、彼女は彼女なりに生きようとし、次の段階を受け入れ、そして高い峰へ進みました。そう思います。

緊急入院し、退院後暫く安定していましたが、自宅療養中に急変しました。
入院中、先生方も良くしてくれ、治療に関しては不満はありません。人間並みの治療体制があり、薬があり、いくらでも延命治療は可能だと思いました。
しかしながら、タンゴを絶対に病院で死なせるわけにはいかないと決めました。
今の病院では当然であるし、お世話になっている病院はかなり整った病院です。これ以上は望むべくも無いのですが、ステンレスの個室に入り、動く事と言えば、寝るときとご飯を食べるときくらいです。ここで一時期は良いとしても、最後を迎えさせるのは忍びないと感じました。自分なら絶対に嫌です。
検診日には必ず行きましたが、それ以外はタンゴの体調を見ながら、なるべく移動も負担になるので、しませんでした。

これまで、トイレに入っている所を見られるのが嫌いで、人がいるとトイレをしなかったタンゴが、退院後自分でトイレにも行けずにいましたが、それがもし自分だったらどうなんだろうか、延命治療を本人は望んでいるのか、この延命は人間のエゴではないだろうか。僕が生きていてほしいからと言って辛い治療を続けて一月、二月と病院で生きて意味があるのか。本当に本人がしたいのは何だろうか。
色々な事を自分に置き換えて考えていました。

最終的には診断された病状と現状を鑑みて、それほど長くは無い事は解りました。その時間を彼女の好きなように過ごさせてやろうと言うことになり好きにさせました。
それでも一応病院への診察は予約を取りかかさず行きましたし、自宅で指示された処置は取って行きました。病状は改善はされないものなので、現状維持できる体力があれば何とかなるかもしれないと言う程度でした。でもその体重も、入院後も下がり続けていたので体力はほとんどなかったでしょう。

色々思いを馳せてみても、
延命してもっと生きたかったかもしれない、猫の気持ちを代弁しているつもりになって自分の考えを正当化しているのかもしれない。何を思っても何も正しい答えは出てこない。だとしたら、今生きている者たちは間際になってうろたえないように今を、今からを大事に生きようと思う。
もし明日その時が来ても、色々あったけど、全体としては良かったじゃないかと思える生き方をしなくてはならない。



画像はあるホスピスの庭で子供と作りました。
気高く、侵し難い誇りを持った最後を迎える事を望む方々がいる所。皆進む道が同じであるから、かける言葉が見つからない。だから表現で伝えたかったのです。車いすで散歩中の老夫妻に感謝されたのが、うれしかったです。



あたたか展

2012年01月23日 21時40分22秒 | 芸術作品
富士宮市万野原のRYUギャラリーで明日から始まります。企画展。 2月5日まで。時間は11時30分~18時まで

本日搬入してきました。
フエルトの方が多いのですが、ニットやロウソク絨毯の方もおります。色々です。8組9名の方々の参加による企画展です。

僕は今回「フエルトはNGで」と言われていたので、出しません。DMにはガッツリ、フエルト使っていますが、あったかい感じの写真を取りあえず送っておきました。

それで今回出したものは、これまでの絹やカシミアのマフラーを出させていただきまして、新作は毛物のバックです。獣です。
で、これは何であるかと言うと、リスです。他にウサギと羊がいます。

人間って調子がいい物で、見たく無い物は見ない物です。リスやウサギの毛やしっぽを使ったアクセサリーやマフラーは平気なくせして、まんまの毛皮は嫌悪感を抱き、触ろうともしない。でも、嫌悪感を持つ事に対しては悪く無いと感じています。そういう人がいなくては、この作品は成り立ちません。

食事に関しても同様ですが、現代の人々の多くはこれが生き物である事を理解しているかもしれないが、ひとつの命であると理解している人は少ない。
毛皮を反対している人はいます。それも理解します。その手法が一部の国では人道に反しているとして、バッシングされ、その製品を持っている人がさらにバッシングされると言ったおかしなことになっている世の中ですが、そこに相互理解がない事が一番の問題であると感じます。

肉を食べる、魚を食べる。鳥を野菜を食べる。全ての物、それらの食物の頂点に立つのが人間です。地球上全ての動物の命を脅かす存在であると行っても過言ではありません。つまり人間が生きている限り他の動植物は死んで行くんです。そうしなくては人は生きて行けない。
野菜をこれに含んでいる事に関しては、生き物として僕は植物を認めているからです。僕はベジタリアンって意味解らないんです。趣向としては理解しますけど。僕も一時野菜しか食べなかったです。そんな事はどうでもいいんです。

つまり現代の人間には命が見えていない。自分の存在がどうして成り立っているのか理解できていない。そういう風に世界を構築して行ったとも言える。嫌な事はなるべく見ないようにしている。それは正しいとは言えない。

だから僕は革は皆ひとつの命であるし、それを理解し使ってほしいと思います。
その生き物の恩恵を授かっている事を知り、活用してほしい。そのために僕も無駄の無いように作ります。これはかつて命のある物だったのだから。
皮革はその生き物の歴史を刻んでいます。
様々な傷がいやされて行った事も解るし、なおらなかった事も、毛が抜けてしまった事も解る。存在をぞんざいに扱われていたであろう事も解る。そんな傷を見ながら、その生き物の生きていた頃を思い感謝して制作しているつもりです。
どうかこの作品を見て、生き物の存在を顧みるきっかけとなれば幸いです。

でもねえ、ウチの相方
「これ、、欲しいって言う人いるだろうけど、、、少ないだろうね」  

やっぱりね。


ちなみに最も命を戴いている我が家の製品は絹織物ですよ。