染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

ウサギ小屋修繕

2011年07月31日 23時14分51秒 | 子供
本日ウサギ小屋の修繕に行きました。実際は小屋の周りの柵ですけど。
友人が頼まれて、手伝いを頼みやすく仕事がとりあえず出来るやつと言えば僕なんで呼ばれました。

ウサギ小屋と言っても、小屋には入れません。画像左と後方。元々鶏を飼っていた所にウサギをいれ、鶏がいなくなってからはふれあい広場として存在しています。ウサギは画像にいる6羽  多分。 なぜならそこら中穴だらけで、全部出てきたのか解らない。しかもここは結構広い。テニスコートくらいはゆうに有ります。中はウサギの穴だらけで、ちょっとしたトラップが楽しめます。

でも午後スコールの様な雨があったので、午前中で切り上げました。雨が降るとウサギトラップにはまりやすい。しかも電気道具などが使えないので、本日はばらしのみ。これが一番大変だったりするもんですが、修繕するからにはそれなりに色々腐っていて、2人でも思いのほかスムーズに進みました。

ウサギたちは何となく懐いているけれど、中に入るとなかなか近寄れない。半野生化している感じ。お蚕で言うなら、てんざん みたいな感じ。
それでも、ウサギはかわいいです。

読書中です

2011年07月29日 07時13分57秒 | 子供
最近は難しい本を読むようにしました。
夏になると夏休みに向けて、子供向けに興味をそそる本が出回るからです。しかしながら、この辺でちょっとくらい大きな本屋でも欲しい本に当たるのはまれです。
八王子駅前の古びたビルの本屋が懐かしい。

それで、先日カマキリの件で色々調べた時に読んだ本のついでと言ってはなんですが、一緒に購入した本が「休眠の昆虫学」
内容についてはままそのうち色々な所で活用していくとしても、最近はこういった本を読んでいる所を子供に見せるようにしています。
それは最近ほのかんが、

「とうちゃんは漫画ばっかり読んでるねえ」とか言いやがったからです。

身に覚えが無いとは言いませんが、ムーミンとか良いじゃない。人間の悲哀や欲望を元にどう生きて行くか、スナフキンやリトルミイの冷たくも真実を言い当てる言動も、なかなか自分に置き換えて感化される点も多い。
そうはいっても漫画には変わり有りませんね。

それから、学校に教えに行っとるのですが、帰りが遅いので、相方にとうちゃんはどうしたのかと聞いて、
「学校にいってるんだよ」といったら、不思議そうな顔をした様なので、「学校に美術を教えに行ってるんだよ」と噛み砕いたら、ほのかんが、

「え、とうちゃん、教えてるの?」

とか言いやがった。
本当に学生として学校に行ってると思っていたそうです。
何年も行ってるんだけどねえ。まあ、教わりながら、お金がもらえるんなら、こんな良い事はないけどね。

どうもほのかんは父親を父親と思っていないらしい。同列のライバル心を持っている。
肝心な所で大人と子供を使い分けるけれど、本人によく言われます、

「とうちゃん子供みたいだもの」

って子供が言うな。しかも自分の子。
ほのかんは年齢よりも大人びている点が有りますが、言い過ぎです。

そんなんで、難しい本を読んだり、難しくってわけ解らない事いってみたりするんですね。それで自分も訳が解らなくなるんですけど。

放射能情報の共有について

2011年07月22日 05時23分14秒 | Weblog
下記内容を先ほど市長に送りました。

                 

昨日、富士宮の酪農家の干し草から基準値を大幅に越える放射能が確認されました。
おそらく県内のみならず、全国にこの情報が発信されたことと思います。今回の問題は3月の原発事故後の干し草を仕入れてしまった酪農家にも問題は有ると思いますが、全ての酪農家でないことを明確にしなくてはなりません。


一部の酪農家は、自ら放射能汚染を検査し、自身の顧客にはその情報を伝え、購入していただいている牛肉は安心である旨を伝えているようです。
その行為は結構ですが、一般の市民ですら、そのような情報を戴けていないのが現状です。私も伝聞でしか聞いておらず、その確認はとれません。その食肉も何処で購入できるか解らない。
つまり市民ですら、安全な食肉、牛乳などを選べないでいます。


出来ることなら、市で一括した情報をまとめ、こことここは安全が確認とれたので、安全ですと宣言し、せめて2~3ヶ月に一度は定期的に安全確認をしてほしい。


また先日と同様になりますが、今回の問題は特に早急な対応が求められます。
放射能検査をされた農家、酪農家のみならず、個人、企業などに声をかけ、情報の一元化をするべきです。
そして、こことここの食肉、牛乳は安全であると市が責任を持って宣言することは市民の安全のみならず、富士宮市の資源の確保、産業の保存にもなると思います。


今回の放射能汚染の報道は早くから「富士宮、放射能汚染、牛肉」とセットで報道されています。
間違ってはいないかもしれませんが、正確ではない報道です。
だからこそ、市の対応も早く正確にしなくてはおそらく甚大な風評被害を起こすでしょう。牛肉だけで済まないかもしれません。


市長のリーダーシップに期待いたします。
長々と失礼いたしました。なにとぞよろしくお願いいたします。

(上記内容を送りましたが、僕が確認した時と現在で隠されている情報が有る様なので、場所を特定できる箇所は割愛しています)

さて、先日の回答については、市長から連絡が有りませんので、届いているのか解りませんし、メールの返信などしないのかもしれませんが、何もしないでいるのもつまらないので、また懲りずに送っています。
先日の牛肉の報道についてですが、解らないことばかりなので、なんとかしてくださいよと言いたいのが本音です。我が家は、肉食わなければ良いだけですが、市としてはそういうわけにはいかないでしょうと言いたい。どうしようもないことかもしれないけれど、正しい情報を集めて皆に広めることは出来る。それをやってほしい。最後はほめ殺しのようになってクサいが、まあそのくらいなんでもありませんな。

僕は、農家でも酪農家でもないので、実害はあまり無いのですが、そういう人が声を上げないといけない。
なぜなら、利権やしがらみの中でこのような事を言っても、自分だけ良ければいいのか。自分の利益のために税金を使うのかとか言われかねない。おそらく多くの酪農家や農家の方は人がいいので、黙って自分の仕事を黙々としているでしょう。僕もほっといたっていいんですけど、、、、何でやってんのかな?


極論を申せば、牛君食べなけりゃ良いじゃない。無駄に殺さなくても良いじゃない。とか思うんですね。
それでも食べたいのは、どういうことか。色々考えています。世の中をどうこうする訳ではないけど、人間の欲望には際限がないのか、自制されるのか、現在の日本を取り巻く非常事態であっても、これまで通りの生活を営めると思い、邁進する姿は滑稽でもありますが、それが進歩だと言われればその通り。

色々難しいのだけど、我慢する時には我慢する。そんな事も大事だと思っています。


放射能汚染の情報の共有について

2011年07月18日 21時34分13秒 | Weblog


                  




富士宮で放射能の測定が行われています。
水道水と、大気中の測定だけですが、まあ気休め程度のものです。
水道水はやってもらってよかったと思いますが、あとはお役所仕事です。

以前小学校のプールなどについても測定した方がいいのではないかと友人の間で話が有りましたが、継ぎ足して行くプールの水は季節の後半には測定可能な数値が出るのではないかと思います。

現在の市の測定では放射能汚染はないのですが、個人で調べている方の中には少量なり汚染が確認されています。それにかかる費用は全て個人負担です。
追々その負担は東電が支払うべきと考えますが、富士宮市内の測定であるのだから、市内の住民が、情報を共有できるように、
市側が、かかった費用で、情報を購入したら良いのではないかと考えます。

そのお金は市が立て替えするのであって、市内の個人で測定した情報を集め、かかった費用は東電に訴訟でも何でもして、必ず支払わせれば良いのです。
人手が足りないと言っている市役所も市民が必要と思っている情報をより多く手に入れることが出来る良い手段だと思うのですが、
何処に行けばそんな話を聞いてくれて、役所を動かすことが出来る人はいないか知らん。


上記の内容を市長宛にメールいたしましたが、どんな反応が来るか楽しみです。骨は送ってません。完全に無視される可能性がありますが、まあ、しないよりはましかな。
2~3日の猶予を開けて市議会議員の方などにも送ろうと思っています。誰から動くのか見物でもあります。

放射能の数値が確認されたと言っても、3月末に測定したものだと、現在はあまり確認されていなかったりします。測定方法、サンプリングにも色々有るので、一概には何とも言えない情報も有ります。
しかしながら、多くの詳しい情報から、市民や観光客などが自分で判断できる材料が増えることは喜ばしいことであると思います。

そして、「不利な情報を流すな」と言われる方もいるかと思います。
でも、一時はそうなったとしても、情報の開示はその土地に対する信頼と安心を獲得することとなると確信しています。最近の牛肉のように基準値を大幅に越えてしまっているものなどが出たら、食べないでくださいと言えば良いんです。牛君食べなくたって生きられるよ。絶対。保証は東電にしてもらいましょうよ。当然。

富士宮の食材などはそれほど影響を受けていないのが現状であると農家の方にも伺いました。
だから、地産地消、近くに有るものを食べれば良いんですよ。富士宮なんか昔は豚肉だってまともに食べられなかったんだから。

でもこういった動きは全国でも可能だと思うんですが、何で何処もやらないのか不思議です。

それから、原発即時停止の署名なども署名しましたが、その後のこと、原発が止まってもそのあとに残ったものをどう処理して行くかみんなで考えなくてはならないと思いました。
イヤダイヤだとダダをこねるのは簡単です。じゃあ、どうしたら良いのですかって言われたら、ちょっとした回答を用意しておかないと、またお金で何処かの首長さんを抱き込んでしまわないとも限りません。
原発をなくして行くのは今しか有りません。その回答もみんなで考えなくては行けないと思っています。

個人的には中曽根元首相とか推進派の学者さんとかの豪邸にでもおいてもらえば良いじゃないと言いたい所ですが、それは無茶ですね。近所迷惑だろうし。

             

ムーミンと仲間たち展

2011年07月14日 17時41分56秒 | Weblog
仲間たちと、山梨県立美術館に行きました。

ヤンソン家を軸にムーミンの世界をひもといている様な展示。ムーミンの世界を漠然と理解しているだけで楽しめると思います。
飯能のあけぼの公園に行くことも考えてはいますが、夏はとにかく暑い。ムーミン屋敷なんかは子供でごった返すので、さらに熱いでしょう。ですから冬に行こうと考えています。
そんなこともありますんで、美術館なら涼しいでしょうと思いまして、ほのかんの憧れのお姉さんの一家をお誘いして、甲府まで行きました。

熱い東京をさけて、甲府へきた物の、流石甲府盆地。暑いです。

展示については、まあ複製が多かったのはいいのですが、ちょっとクオリティーがどうかって感じは否めない。知っている絵だから、まあ理解は出来るけど、、、残念です。
だったら、ちゃんとスキャンして、修正無しで汚れたものもそのままにしてくれた方が良かった。
原画があるものは人間味が出ていて楽しめる。やはりね原画の強みでもあるかと思うけど、時間経過も作品のうちだよ。重要な線はその他の空間から産まれてくるもんだと思う。
痛みが酷くて、展示に耐えられないとかも有ると思いますが、原画の強さを改めて知りました。

それはそれとしてもムーミン以前のガルムって言う雑誌の表紙が沢山有りました。これも結構政治色が強いけど、面白い。時代性も感じられて、良かったと思う。残念なのはこの企画展の図録に載っていないこと。
今ひとつ展示を企画した方々の意図が伝わらない。

展示自体は色々解って面白い。ムーミンの世界観が好きな人は行ってみる価値はあろうと思う。
色々ああしたら良かったとか色々考えてしまうのはきっと好きなんだろうと改めて理解しました。


常設展示はかつて日本中を席巻しました、ミレーの「種蒔く人」「落ち穂拾い」があります。
バルビゾン派と言われます。バルビゾン村に集まった芸術家たちの肖像画でない普段の暮らしを描いた芸術活動と言われていますが、実際は政治的混乱やコレラをさけて疎開してきたとか言われます。それでもとにかくバルビゾン村が、芸術活動の方向性を示したことは事実です。でもそんな中一部の絵画で、農民の格好をモデルにさせていたものは残念です。
そんなバルビゾン派ですが、ここ富士宮もそんな事が言えないかと思いました。
かつては甲府や富士吉田、青梅がそうであったと思います。芸術の潮流とはならなかったものの、そこに住む芸術家たちが、その場に誇りを持ちつつ活動して行くことがひとつの流れをうんで行くと確信します。この地で制作して行こうとする人々が集まって時代を作れれば楽しい。

実際には芸術性が多様化している現在、新しい流れを作るのは難しい。それでも、富士宮には色々な素材があると思うのですが、生かされていない。埋没していると言っても過言ではない。あまり目立った行動をとりたがらない県民性と言うか、市民性、村社会性が、出ていると言えます。いい面も有れば、その逆も多々有ります。村社会の活動理由が希薄になりつつある現代では現代では弊害となる面も多い。多くの芸術家が過ごしやすい環境整備をしろとはいいません。発表する場が与えられれば何処でもやると言う作家が集まれば、いいのではないでしょうか。こちらに移り住んでから、考えるのは、富士宮でとりあえず作品で暮らせることが出来れば何もいらない。そう出来れば、たとえ世界に出たとしても、誇りを持って富士に宮から来たと言えるようになると思います。

極論ですが、東北での地震で被害に遭われた方で芸術家を呼んで、住んでもらうってことは出来ないでしょうか。
空き家にとにかく生活してもらう。とにかく色々有ろうかと思うけど、我々地元の人間と一緒に大きな企画展を行うのはどうかな。展示して宣伝するだけなら、国文祭くらいのことは出来そうなもんだけど。仕事や人格で選んではいけませんが、半年後くらいにこんな企画が有り、作品を出すことを条件に移住してもらうと言うのも有りなんじゃないかと思いました。

現代のバルビゾンとなるか、ドンキホーテとなるかって感じか知らん。
どっちでもカッコいいじゃないかと思うけど。誰かやらないかな。

カマキリは予知できません。

2011年07月02日 12時14分03秒 | Weblog
私の結論です。よんだ本の内容に関しては。ってことですが。

「大雪を知っていた」は残念ながら、データの集め方や、そこから得られる情報の認識に関してまで、始めから目的の答えを求めるために進んでいるように感じられます。答えは自分の理念や想像です。科学的な検証をしたいのであれば、不都合な事象にも目を向け、自身の持論にも疑問を持たなくてはならないのに、始めから、カマキリは雪予報が出来ると言う信仰に向かって進みます。

この書籍は、「耐性の昆虫学』で、名指しで批判されています。
同様に、僕の感じた疑問を検証し、このカマキリの予報に関しての大前提を全て打ち砕きます。雪予報に関してはカマキリは出来ないと言うのは自明の理です。

科学とは誰がやってもいちおうの結果が出てこそ真実となります。曖昧なデータで、経験則による情報の削除などあってはなりません。そしてそれの改ざんに近い計算方法。始まりから終わりまで疑問は拭えません。

この書籍はある電気屋さんが、カマキリは雪予想が出来ると言う民間伝承を期待通りのデータを集め、それを毎年の降雪量と鑑みて、係数をかけ合わしているの過ぎません。そういった熱意と情熱を長い時間持ち続けたと言うエッセイとして読まれるのが適当かと思います。

「カマキリは大雪を知っていた」の著者に最も必要だったのはカマキリではなく 正しい助言と、冷静な判断が出来る人であったのではないかと思います。自身の希望とも言える予想に一点の疑問も抱かずに突き進んでいます。時には間違ったっていいし、回り道したっていいんだと言える人がいなかったのかと思う。欲を言えば、ちゃんとカマキリなどを研究している人に聞けば良かったと思う。工学部の先生に聞いたって解らないでしょう。

でも、これを読んで鵜呑みにしてしまうマスコミなどもどうかと思う。


それから、「大雪~」の大前提のカマキリの卵嚢は雪の中に入ると死滅してしまう件ですが、僕の経験同様、97%程度生き残り出てくるそうです。統計的には雪に埋もれた方が、鳥などに食べられないので、生存率は高いそうです。