染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

四角い部屋

2009年11月30日 12時03分45秒 | 芸術作品
国民文化祭の最後の締めくくりとしまして、自分のはどうなのかと、考えました。
もう少し出来るはずだと思う。あれもこれもやりたかった物があるが、これも実力か。計画性のなさか。ホント細かいところだけどももう少し手を加えられるだろう。そう思っている自分が恥ずかしい。こういう展示だから、仕方がないし、大作家ではないのだから。それでも搬出の事も考えてしまったことが悔やまれます。

個人的にはインスタレーションとは何かと考えさせられました。
空間構成、空間演出、造形。
などと言われますが、さて、実態はなにか。

与えられた空間を何かしましょう、と言う事は、
その空間でなくてはならないモノなのか、
その空間を劇的に変化させることなのか。

作品一つでその空間の空気を変えるような強い作品も有るが、それを置いただけではインスタレーションとは言わない。
作品の中に傍観者が入る事で作品として成立するもの、作品に包まれるという事か。

作品の中で傍観者が作品の一部となるモノも多い。作品に参加する物も。
関わりを持たなければならないかと言えばそんな事はもちろんない。役所の方にインスタレーションとはなどと説明したが、自分自身がよくわかっていない。

インスタレーションとは手法や技法ではなく「モノ」であり、作品そのものを指す言葉としてとらえるべきなのかもしれない。
「場」と言う素材を与えられて、そこに何かしらの表現をしなさい。と言う事なのだから、何でもありと言えばその通り。人との関わりを持たせる作品もありなら、その逆もまた有りである。

「こうでなければならない」
と言う言葉が嫌いな僕が、こんな事を考えるのは、ばからしいと思いつつ、こんな事を考えるのは、自分の作品がインスタレーションとは言いにくいのではないかと感じたからである。
出来上がってみるとこれはここでなくともそれなりの存在感を持つだろう。どこであっても、いきなり四角い箱が置いてあったら、それだけでも異彩を放つ。だからここでなくともよい。ここでも別にいいのだけど。でも、ここでやれって言われたからという感じがするのは気のせいか。

教室に四角い箱があるとまあ面白いかもしれない。でも、コンクリのブロックがそれぞれ独立していても様になるのだけど、みんな一緒にいる理由があったとしてもつながりを感じないと思うのは製作者のせいである。

せっかくこの場があるのだから、「場」との共演と言うかこの場所だからできる作品を作りたいと思う。二度と出来ない物を作りたいと考えているのだが、他の場所で連続してやっている人もいる。
こうでなくてはならないと考える事は仕様が無い事であるが、これは違うでしょと言われるのが嫌だから、色々考えるわけですが、本当はどうでもいいのだと思っている。場との共演に関しては始め、会場も傷をつけるなと言うのは解るが、かなり関わりを拒絶して来た感じは否めない。だからそれはそれでしょうがない。

「爬虫類」って特に身体的特徴があるわけではなく、鳥でもなければほ乳類でも魚でもない、そんなわけが解らない生き物を爬虫類ととりあえず呼んでいるような事を聞いた事があります。
インスタレーションはとりあえずそんな物かと思います。

国文祭の後で

2009年11月29日 08時40分50秒 | Weblog
野暮用で市役所に行きました。
話の流れの中で以前フジッピーの国文祭バージョンのプラモデルを戴きましたが、あまったいたら貰えませんか?と尋ねると快諾していただきました。
倉庫には見た事のある物が積んでありまして、プラモデルは十ほど戴きました。
中でも多いのが、ポケットティッシュ。
あまりにも沢山なので箱で戴きました。
だれかれにもと言う訳には行かないと思いますが、もったいないので、ぼくが使います。国文祭のチラシが入っているだけです。

こういった企画物ではありがちでしょうが、チラシなども含めて、余ったら使い道がありません。だったら余らせないように配ってしまうべきだったのではないか。
人が来ない事を嘆く前に出来る事をやれるだけやってほしかった。

やりきれなかった結果が山と積まれていました

わらの部屋

2009年11月26日 04時31分53秒 | 芸術作品
nagataさんのわらの部屋でありますが、この写真は搬出前で、作品等が片付けられている所です。
展示は後ろに色々貼ってあり、にぎやかでした。
この形については未だ不明ではありますが、あまり話したがらないのと聞きづらい事もあります。
会場に来る人との話のなかで色々言ったり、聞かれたりしたわけですが、まあ、なんかなんでしょう。勝手に想像してしまえばよろしいかと思いますよと言ったような言わないような、、、

まあそれはそれとして、彼の作品はこれまで、ちょっと皮肉っぽかったけれど今回は何もかんも楽しんでしまえという気概が感じられました。
藁を使って、文化や歴史、それらをひっくるめて、全体をわらわらと表現したと思う。出したい物をみんな出したと言う感じはしましたが、全体としては来てくれた方々は往々にして楽しんでいると思われました。インスタレーションってこういう事なのかなと、考えさせられました。

これまでの作品を見ながら、割と理想的な家庭や人の内面を描いている物が見受けられましたが、結構nagata家はさわやか家族であるので、言い表せぬ違和感を抱かせられた記憶が強いので、今回の作品は自分自身の大事な部分とは何であるかを表すと共に、人に問いかけるような気がしました。

芸術は二種類の要素があると常々意識し、制作をしていますが、この作品は悔しいけれども、両方を兼ね備えていると思う。
これは僕が藁に関して強いイメージを持っているから感じられたのかもしれませんが、僕が考える二つの要素は、
本能と歴史
本能とは人が人として持っている物、誰しもが生まれながらにして感じられる喜びや悲しみ。子供の描く絵が、時々すごい事をするのはこういう事だと常々思う。本能が描く絵は誰しもが共感できる。
歴史とは人の経験。つまり生き様。
作品と共感できるか否か。好きか嫌いか、奇麗とか汚いとか、臭いとか臭くないとかなんかも往々にして同調する。その経験や体験したものを表現したときに同じ体験をした人が多ければ多い程その作品の共感者が多いと言う事だと思う。当然表現力も大きな過重を占めますが。

この二つをね、藁が持っていると言うか、うまい事表現したと言うか、まあとにかくいいじゃない。

残念なのは、先に述べた僕の藁に関するイメージ。あんまりよくないんですな。
子供の頃祖父母の家に豚を飼っていまして、その世話をしていました。その小屋に藁がしいてあって、藁はその当時を思い出させます。豚は好きですが、そこの祖母と僕はあんまりうまくなくて嫌でした。今でもあまり思い出したくないですな。
兄が来たときに、
「藁だぜ」「藁だね」「嫌だな」「、、、嫌だな」
と言う会話だけをしました。
別に作品が悪いわけでも藁が悪いわけでもありません。悪いのは僕らなんです。
兄は結構皮肉屋なので、藁以外のところは気に入ったようです。何も言いませんでしたけど。気に入らないとひどいもんです。色々とね。

ガラス

2009年11月21日 16時20分13秒 | 芸術作品
国民文化祭で一緒に展示をしたガラスのgakkyの作品です。
吹きガラスが得意な作家です。色ガラスを使った瓶なんかは大変面白のですが、今回は透明なガラスと竹のみで構成していました。

正直申し上げると、ガラスの作家とはやりたくないですな。
こちらの無いものを全て持っているような気がします。色味や素材、さまざまな組み合わせで僕らは「透明感」を表現したいのですが、こちらは本物の「透明」なんだから、表現力うんぬんではありません。ホントに透明。また作品には湧き水を入れてありますが、水による屈折率の違いは入れてみないとよく解らないらしい。特に吹きガラスなど手作りのものは。
そんな感じがとてもうらやましい。

作り方など詳しい事をお酒が入った席で聞くと何時間になるか解りません。とにかく簡単そうに話しますが、大変でしょうなあと思います。技術的な事よりもガラスをよく知っている、ガラスの善い所を見てもらいたいという表現が出来ていると常々感じさせるモノづくりをしていると思います。



今回の作品は時間が止まったような凛とした空間を作っていました。
山の家周辺も寒いので、とにかく寒いと感じられましたが、それもガラスの持っている質感によるものだとは思われます。
nagataさんの展示で大騒ぎしていた子供たちがここに来ると何となくおとなしくしていたのも、何かを感じられたからでしょう。でも、ガラス、割れると危ないからね。

僕は作品の棒に竹を使う事が多いのですが、東京では珍しいのか「何で竹なの?」と聞かれた事があります。「何故って、、そこに竹が生えていたからさ」と変な回答をしてしまいましたが、他に答えようがありませんでした。でも今回の作品を見せられてからは自信を持って言い得るかも知れません。日本、アジアの文化的背景と、そこに存在する自分。さまざまな伝統文化と共にある竹はそれこそが自己同義性を表すのではないか。と。実際そんなオーバーではないのですが。

でも竹の使い方が良かったと思います。竹じゃなきゃダメだよねえ、と思わせられるモノだったと思います。gakkyは振り回されてもいましたが。しばらく笑いのネタになりそうです。

今回の作品はこれでいいのかも知れませんが、あの作品の床が白く塗られていました。先に書いたようにガラスを透したモノの見え方が色々である事をふまえると、下に何か書いてあると面白いんじゃないかと思いました。地下水脈の地図とかね。
言うのは簡単なので言いたい放題ですが、作品の主題などにもよるので、一概には出来ないでしょう。
特に、あの清涼感などは何もないほうがいいのかも知れません。
でもね、光を透したガラスの美しさもいいのですが、違った見方もしてみたいのは贅沢でしょうか。


ポンデケージョ

2009年11月16日 07時45分02秒 | 子供
以前ポンデケージョの画像を載せたら、これは作ったのか、買ったのかどうなの? とご意見をいただきましたので、昨日作りました。ほのかんが大体作りました。

材料  タピオカ粉   200グラム
    卵 mサイズ  2個
    水       60cc
    粉チーズ    適量  
    オリーブオイル 小さじ 1杯

今回は粉チーズがなかったので、ピザ用のとけるチーズを入れました。前回はカレー粉を入れました。胡麻なんかもいいそうです。
それと、水の代わりに今回は牛乳を入れました。

作り方
1  タピオカ粉をふるって、材料をみんな混ぜ合わせます。
ふるっとかないと小麦粉よりもダマが出来やすいです。ちょっと片栗粉に近いかもしれませんが、詳しくは解りません。

2  まとまったら、丸めます。


こんな感じ。2センチくらいの大きさにするといいのですが、そんなの小さいじゃないかと思って、大きな物を前回作ったら、さめると縮んでしまいました。膨らむ事は膨らみますが、中に大きく一カ所膨らむので、あまり大きいと見てくれが悪く仕上がり、2センチくらいが適当なようです。

3  大体170度で、20分くらい焼きます。
焼き上がりのところ。
温かい内に食べるとかなりおいしいです。
今回子供が混ぜたので、粉っぽいところもありましたが、おいしくいただけました。

割れが大きいので、動物とかには不向きだと感じました。
粉チーズは全体になじみますが、ピザ用チーズだと部分的であります。ちょっとチーズの香りが苦手な子供にもおいしくいただけるようです。
表に出て来たチーズがこんがりと焼けたとこなんか、かなりいけます。 

なかなかタピオカ粉が手に入りませんが、料理上手なお母さんには肩すかしな内容です。でも子供でも簡単に作れます。
色々な物を入れて楽しめそうです。
ポンデケージョ みんなで作ってください。

ギャラリー見学

2009年11月12日 19時11分29秒 | 芸術作品
本日は搬出作業を行なったあと、近くのryu galleryにiwasakiさんの展示を見に行きました。
昔のドローイング等を中心に展示をしていますが、流木で人体を作っています。これはこれで面白い。うまい具合に人体の曲線に合う木を見つけたなあと感心しました。
あと女の人ばかりでしたが、好きなんでしょうな。

展示は主にドローイングなんですが、素描と言うには書き込みが入っています。技術も高いんでしょうが、手が込んでいるなあといった印象でした。
創造的な動物や昆虫がならんでいますが、一本の線がよどみなくつながる様子はその線が一本の有機体のようでありました。

奈良美智氏の展示だったか、ラフデッサンや手帳のいたずら書きなども展示されたり、ポストカードになったりしていましたが、あまりにラフなので、これで商売するのはどうなのかと思いました。おそらく本人が希望したのではなく、プロデューサーや雑誌の編集者が何でも商売したがる所為もあるのでしょう。
同世代や若い子に多いのですが、カッコつけでデッサンやエスキースを展示するのはそれなりの画力がなければ寂しい結果になると理解する必要があると思いました。
と言いつつも、かつて自分がそんなのもかっこいいんじゃないかと思った事があった事を思い出しました。
素描やスケッチなどはいい絵というよりもうまい絵を求められることが多分にあるので、カッコつけでやってもカッコ悪いと自分で判断して思いとどまりました。
簡単そうな展示はそれまでの蓄積が反映され、かえって難しいと理解するには自分を知る事が大事なのでしょう。

話がそれましたが、一つ一つの作品が、それなりに制作されていて、独立しても鑑賞に堪える事は素晴らしい。全部ではないかも知れませんが、作品に対しての書き込みとそれ以前の書き込み、それが見て取れる。うまいねえ、と言った感じ。

まあ、人体の造形を見れば結構描けるだろうと想像は付きますが、水彩の使い方や素材の扱いもうまい。沢山描いている事が解る。そんな絵や造形がしてみたいと、否、しなくてはならないと痛感しました。
出来れば次回は本人の今一番の作品を見たいなあと思いました。

山の家の搬出は終わっていません。
明日役所の方が来て、トラックで一緒に運んでくれるはず。朝一番でいきます。他の皆はゆっくりしてください。


ポートレート

2009年11月11日 06時07分39秒 | 芸術作品
格好良く映っています。
棚の間から、顔を出して、挟まった感じの物もありますが、カッコいいと言うより、面白いです。
のんきな感じが出ていて、笑いが取れます。
「普段のあなたをよく知らないけれど、陽気な人って感じが出ているけど、これでいいの?」
とか言われていましたが、そんな感じがよく出ていました。
僕はまあどっちでもいいのですが、近々彼のHPにアップされるらしいので、彼が気に入った物をこちらでも紹介したいです。

昨日は搬出作業でした。
中央の箱が無くなりました。感傷に浸る間もなく奇麗さっぱりです。明日外壁を片付けます。

四角い部屋

2009年11月10日 07時08分34秒 | 芸術作品
本日搬出作業開始です。
nagataさんからもらった画像の中にいいのがありました。
四角い部屋の感じをなんとか写真に撮りたかったのですが、僕には出来ませんでした。
ありがたいです。

広角レンズを買おうか、一眼デジタルカメラを購入しようか迷っているところですが、いいねえデジカメも。
今時こんな事を言う人も少ないと思いますが、経済状況と写真環境等を考えると色々迷います。

でもこの部屋ね、今日で見納めです。解体します。残念です。
あと車の行き先が未定です。
車検の効くまでは乗ろうかと思いますが、その後廃車にするにしても、子供が描いたところは大事にしたいので、なんとかのこしたいのですが、どうにかならないか思案中です。

行き先が決まらなければ、僕の物置として、鉄くずでも入れておきましょうかねえ。

第24回国民文化祭 終了

2009年11月09日 06時45分06秒 | 芸術作品


終わりました。いろいろと皆様ご苦労様でした。
ご来場くださった方々には感謝いたします。今後ともよろしくお願いいたします。

僕もまあ大変でした。今回ばかりは「そうでもないよ」とか冗談では済まないくらい大変だったと思われます。
今思い返すと、腹立たしい事も時間と共にこれはこういう事だったのかと考えられるようになる事もあるかと思います。色々な事があったひと月でしたが、時間があるときに再考いたします。

そろそろ現実の世界に戻り、その他の制作やら生活に追われなくてはなりません。
展示会場の写真等はなるべく載せないようにしていたのですが、しばらくあんな事も会ったと思い出しつつ時折写真を載せたいと考えています。

これから後処理にかかり、搬出し作品や野地板等の保管場所を確保しなくてはなりません。
僕の作品群のなかから、「家の前に置いてあげようか」と言われた作品がありますが、残念ながらご購入ではありません。でもまあ我が家の庭先ばかりに置くよりも、色々なところに置いた方がよいかと思われるので、適当なところがあればどうぞよろしくお願いします。流石に壁の板状のものは今後展示方法に付いて考えなくてはなりません。

nagataさんの作品の写真は写真家の友人による撮影会まっただ中です。
僕も撮ってもらいましたが、このような家族写真は多分無理だろうと思いまして、僕は僕一人です。これは多分家族の団結力と趣味思考の多様性の違いかと思われますが、こんなに我が家は微笑ましくありません。残念ながら。
みんなでわーとやろうとすると、必ず誰かがやる気がないんですな我が家は。まだまだ子供が小さい事もありますが、今後の親としての課題です。
でもね、親に似るよ子供は。

それはそれとして、第24回国民文化祭終わりました。残念でもありうれしくもあり。

最終日ですよ国文祭

2009年11月08日 07時07分48秒 | 芸術作品
終わりでーす。本日で。寂しいです。
解っていた事ですが、解体作業がホント頭いたいです。悔しいので、絵を描き始めました。

       

昨日の午前中までは上の写真。そして昨日は


こんなもんです。
今日も早くから移動して、書き加える予定です。

そんな絵を見た子供が、
「あー、いたずらがきしてある! 描いてもいい!?」
何とも恐ろしい言葉が聞こえて来た主は、N氏の長女め*姫。チョークを持って踊っています。
ちょっと待ってくださいな。ほのかんもチョークを持ち出して、描く気満々です。
こうなると言う事を聞いている風ですが、する事しないと納得しません。仕方が無いので、パネルを持って来て書いていただきましたよ。

子供に書かせると大変な事になりますので、作品には参加させられません。
そちらに目を奪われちゃうので、勘弁してください。

日々進化している作品群を見て下さい。
本日もライトアップします。夕方来るといいかもしれません。寒さ対策を忘れずに。
それから、ムササビを見ましたよと管理人さんに話したら、この辺の杉林には結構いるらしいです。またバーベキューをしてると来るそうですが、その真実の程は解りません。でもムササビに会えるかも。