国民文化祭の最後の締めくくりとしまして、自分のはどうなのかと、考えました。
もう少し出来るはずだと思う。あれもこれもやりたかった物があるが、これも実力か。計画性のなさか。ホント細かいところだけどももう少し手を加えられるだろう。そう思っている自分が恥ずかしい。こういう展示だから、仕方がないし、大作家ではないのだから。それでも搬出の事も考えてしまったことが悔やまれます。
個人的にはインスタレーションとは何かと考えさせられました。
空間構成、空間演出、造形。
などと言われますが、さて、実態はなにか。
与えられた空間を何かしましょう、と言う事は、
その空間でなくてはならないモノなのか、
その空間を劇的に変化させることなのか。
作品一つでその空間の空気を変えるような強い作品も有るが、それを置いただけではインスタレーションとは言わない。
作品の中に傍観者が入る事で作品として成立するもの、作品に包まれるという事か。
作品の中で傍観者が作品の一部となるモノも多い。作品に参加する物も。
関わりを持たなければならないかと言えばそんな事はもちろんない。役所の方にインスタレーションとはなどと説明したが、自分自身がよくわかっていない。
インスタレーションとは手法や技法ではなく「モノ」であり、作品そのものを指す言葉としてとらえるべきなのかもしれない。
「場」と言う素材を与えられて、そこに何かしらの表現をしなさい。と言う事なのだから、何でもありと言えばその通り。人との関わりを持たせる作品もありなら、その逆もまた有りである。
「こうでなければならない」
と言う言葉が嫌いな僕が、こんな事を考えるのは、ばからしいと思いつつ、こんな事を考えるのは、自分の作品がインスタレーションとは言いにくいのではないかと感じたからである。
出来上がってみるとこれはここでなくともそれなりの存在感を持つだろう。どこであっても、いきなり四角い箱が置いてあったら、それだけでも異彩を放つ。だからここでなくともよい。ここでも別にいいのだけど。でも、ここでやれって言われたからという感じがするのは気のせいか。
教室に四角い箱があるとまあ面白いかもしれない。でも、コンクリのブロックがそれぞれ独立していても様になるのだけど、みんな一緒にいる理由があったとしてもつながりを感じないと思うのは製作者のせいである。
せっかくこの場があるのだから、「場」との共演と言うかこの場所だからできる作品を作りたいと思う。二度と出来ない物を作りたいと考えているのだが、他の場所で連続してやっている人もいる。
こうでなくてはならないと考える事は仕様が無い事であるが、これは違うでしょと言われるのが嫌だから、色々考えるわけですが、本当はどうでもいいのだと思っている。場との共演に関しては始め、会場も傷をつけるなと言うのは解るが、かなり関わりを拒絶して来た感じは否めない。だからそれはそれでしょうがない。
「爬虫類」って特に身体的特徴があるわけではなく、鳥でもなければほ乳類でも魚でもない、そんなわけが解らない生き物を爬虫類ととりあえず呼んでいるような事を聞いた事があります。
インスタレーションはとりあえずそんな物かと思います。
もう少し出来るはずだと思う。あれもこれもやりたかった物があるが、これも実力か。計画性のなさか。ホント細かいところだけどももう少し手を加えられるだろう。そう思っている自分が恥ずかしい。こういう展示だから、仕方がないし、大作家ではないのだから。それでも搬出の事も考えてしまったことが悔やまれます。
個人的にはインスタレーションとは何かと考えさせられました。
空間構成、空間演出、造形。
などと言われますが、さて、実態はなにか。
与えられた空間を何かしましょう、と言う事は、
その空間でなくてはならないモノなのか、
その空間を劇的に変化させることなのか。
作品一つでその空間の空気を変えるような強い作品も有るが、それを置いただけではインスタレーションとは言わない。
作品の中に傍観者が入る事で作品として成立するもの、作品に包まれるという事か。
作品の中で傍観者が作品の一部となるモノも多い。作品に参加する物も。
関わりを持たなければならないかと言えばそんな事はもちろんない。役所の方にインスタレーションとはなどと説明したが、自分自身がよくわかっていない。
インスタレーションとは手法や技法ではなく「モノ」であり、作品そのものを指す言葉としてとらえるべきなのかもしれない。
「場」と言う素材を与えられて、そこに何かしらの表現をしなさい。と言う事なのだから、何でもありと言えばその通り。人との関わりを持たせる作品もありなら、その逆もまた有りである。
「こうでなければならない」
と言う言葉が嫌いな僕が、こんな事を考えるのは、ばからしいと思いつつ、こんな事を考えるのは、自分の作品がインスタレーションとは言いにくいのではないかと感じたからである。
出来上がってみるとこれはここでなくともそれなりの存在感を持つだろう。どこであっても、いきなり四角い箱が置いてあったら、それだけでも異彩を放つ。だからここでなくともよい。ここでも別にいいのだけど。でも、ここでやれって言われたからという感じがするのは気のせいか。
教室に四角い箱があるとまあ面白いかもしれない。でも、コンクリのブロックがそれぞれ独立していても様になるのだけど、みんな一緒にいる理由があったとしてもつながりを感じないと思うのは製作者のせいである。
せっかくこの場があるのだから、「場」との共演と言うかこの場所だからできる作品を作りたいと思う。二度と出来ない物を作りたいと考えているのだが、他の場所で連続してやっている人もいる。
こうでなくてはならないと考える事は仕様が無い事であるが、これは違うでしょと言われるのが嫌だから、色々考えるわけですが、本当はどうでもいいのだと思っている。場との共演に関しては始め、会場も傷をつけるなと言うのは解るが、かなり関わりを拒絶して来た感じは否めない。だからそれはそれでしょうがない。
「爬虫類」って特に身体的特徴があるわけではなく、鳥でもなければほ乳類でも魚でもない、そんなわけが解らない生き物を爬虫類ととりあえず呼んでいるような事を聞いた事があります。
インスタレーションはとりあえずそんな物かと思います。