染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

本日の仕事

2008年03月07日 18時07分13秒 | Weblog
家を作りました。
昨日ほのかんと設計図を書いたモノです。
高さ4〓ほどです。色塗りはガッシュなのでそのうち色落ちするんではと思っています。クリアのペンキを塗れば良いかなあ。
舞台は四年ほど地に植えてあった盆栽。鉢に植え直してジオラマとして制作しようかと思案しています。

平城遷都1300年祭

2008年03月05日 03時54分11秒 | Weblog
平城京が出来て、1300年か。と思いまして、かつて勉強したことを思い返しました。そして、地元の浅間大社が1200年だったなあと結構すごいんだなあこっちも。と呑気に考えていました。

そのことを知ったのは勿論あの鹿小僧のことであります。
そのキャラクターが良いかどうかはさておき、作家さんの意見や、地元の反対者や選者の事等色々考えさせられました。

まず僕の第一印象はどう見ても大仏様や仏様を連想させる子供にツノを生えさせるのは宗教的な配慮に欠けているのではないだろうかと思います。日本人はおとなしいので、何もおこらないと思いますが、インドやタイなど、仏教の信仰心が高い国の方がみたらどう感じるだろうか。
作家さんは、まず見てもらうこと、好き嫌いはその後で良い。と言っています。
確かに、芸術作品はその通りです。でもこれはデザインです。その点の認識がかけています。
僕もこのデザインをした方の他の作品を見たことがあります。個人的にはあまり感動しないのですが、一応芸大の大学院教授である事が問題です。たいがいこの肩書きが、お役所の意見を決定します。
「こんな偉い先生がデザインした」「これはいくらかかった」とか表面的なことばかりで、内容がない物はみんないろいろ見て来ています。
デザインは、サインです。言葉であり、共通のイメージを伝える手段です。
出来るなら、全ての人に同じ意思を伝えたい物です。なかなかそうなりませんが。
芸術作品は好かれようが、嫌われようが、とにかくこの作品に対して、何らかの意見が聞ければ良いのですが、デザインは基本的に好かれなければいけないと感じます。(わざと嫌われるようにしたデザインもありますが)デザインのコンセプトと違ったイメージを持たれることはそのデザインは失敗であると思います。

中には可愛いと思う方もいる鹿小僧ですが、特に若者に人気がない様ですね。それが特にいかん。子供を怖がらせてどうするのか知らん。若者に人気になってこそのモノでしょうに。あんな着ぐるみが歩いていたら、たしかに怖いよねえ。
選んだ人もどのような経緯で、選んだのか明らかにした方が良いと思います。
名前だけで選んだとすると、後でとても後悔することになるでしょう。我が母校東京造形大学のように。
別に母校愛があるわけではありませんが、造形大の新校舎のコンペが行われた時に、僕は設計事務所にいまして、その時のボスが当時の学長の下で働いたことのある人でした。新校舎のデザインが磯崎新に決まった時も、「やっぱりな」と言っていました。肩書きが大好きな方だった様ですね。実際入学してみると、資金不足が否めない点もおおく、先生方の不満もよく聞きました。磯崎さん自身も、納得のいかない建築だった様です。予定資金をオーバーしている案を採用することも悪いし、中身を吟味していないこともあり、採用にはかなり遺恨を残したようで、決定後に『室内」という雑誌で、落選した方が模型と共に反論していました。全ての人が苦い経験をした典型です。
このように物事を決める方には広く意見を聞く耳を持ってもらいたいし、それを活用する人の身になれば、個人的な感情だけで決められないと思います。最終的な決定権を持つことは大事だと思いますが、それがみんなのためになるように判断していただきたいなあと思います。

この鹿小僧が良いかどうかは僕は地元民ではないので、はっきり言えばどちらでも良いのです。
奈良には行きたいなあと思いますが、このキャラには会いたく無いですけど。ただ、創作者、選者、賛同者、反対者等全ての人が、このキャラの目的と、「デザインとは何であるか」ということを十分理解していないのではないかと思います。
僕が十分解って、実行しているかといえばそうでも無いのが現実ですけど、あくまでそういう心意気です。