染織工房豆ブログ

染織工房「豆」の日々の記録

展示会修了

2010年03月21日 05時51分02秒 | 芸術作品
展示会修了しました。
なかなか季節的にも厳しい時期でした。先週雪なんぞ降りまして、これは行けるかなと思いましたが、思い通りには行きません。

最終日は商店街で、イベント等があり、パン屋さんは一時急がしそうでしたが、皆せわしなく出て行く事が多く、なかなか中に入りません。
そんな中一人ニードルパンチをしていまして、来月の猫展に向け、制作をしていました。本日は3匹

ほのかんに見せると、「ネコ、ネコ、  くま?」  だそうです。

制作者本人もこれはクマだなあ、、と思ったり、別のは個人的にキンカジューっぽいかなあ、と思ったりしました。
どちらもネコ目ではありますけれど、キンカジューだと思ってしまうとキンカジューに見えてくるもんです。

そんな事はどうでも良いのですが、
そんな中、自由って何だろうと考えました。
ずっと針刺しなんかをしていると難しい事を考えてしまう物です。

「彼って自由だよね」

肯定的な意味で使われているとは思います。現代社会の中ではむしろ良い意味で使われているでしょう。
そんな中で本質的な意味はどこにあるのかと考えました。 
糸の切れた凧のような感覚なのか、自分の好きな事を好きなようにやっていると見えるからか。
学校で生徒に「先生は自由だよね」と言われますが、僕が学校で教鞭に立つ事自体自由ではない。拘束されているんだ。束縛されているんだと思っている。

他人から見ると、自分が抑圧されている部分に対し、それがない者を見ると自由であると思うのでしょう、それぞれの生き様や意識によっても変わる。
彼って自由だよねって言葉はその言っている本人にとっては自由奔放であると見えるのでしょうが、言われた本人にとってはどうか。自由を謳歌しすぎて、社会の中で、不自由になって行く人もいます。つまり社会生活の中で生きる限り、自由でもあり不自由でもある。どこにでも自由になれるし、不自由でもある。

平和の認識に近いのでしょうが、立場や環境による差が大きい。世界のほとんどの国から見れば日本は自由であると思う。
ただ法治国家である中での不自由さはある。社会生活と言う人間関係の中でこれは致し方ない。
そんな中でも自由に生きている人と言えば、知り合いの大学の教授が何人かいるし、ターシャ・チューダーなんかも自分のしたいように生きているが、それは資金と周りの多くの人間に支えられている。周りの人たちもそれがしたくてしているのだから、良いのですが、僕は自分のしたい事をしたいと思うわけです。
だから、僕にとっては中心人物だけは自由ですが、周りの人たちは不自由であると感じます。

でもね、それを選択してその場にいる人にとってはそれはその人にとって自由なんです。
その場にいたくない人にとっては不自由きわまりない事なんです。
だから正直僕が学校にいるのは不自由きわまりないとか言うと怒られますが、そうなんですな。生活のためです。

と言ったような事を「彼って自由だよね」と聞かれた瞬間に考えました。
頭が悪いので、数秒かかり、さらに答えは

「う、、うん」

そりゃあないぜ、俺。
もっと気の利いた事を言って笑わせなくちゃ。と反省しきりです。


キンカジューです。可愛いです。大好きです。
分布はブラジルから、中米あたり。ネコ目アライグマ科キンカジュー属 英語の別名から、ハチミツグマの別名もあります。