(むらさきつゆくさ 赤塚薬草園)
名選手すなわち名監督にあらず
これは俳句の指導に関しても言える事ではないだろうか
過去の名選手としては充分尊敬できるものが有るにせよ
栄光や経験だけでは、将来のス-パ-スター育てなれない
自分も現役として「今」を詠みつつ、「今」を捉える
俳句は昔から座のもの、やはりインターネットでの指導は
無理があるのだろう・・・
それは添削などの如実に顕れる
指導される側の個性を伸ばすような添削をするには、やはり
対座か同座が必要に思う
ともすれば添削者は自己の個性の中にあるもの以外は批判
の対象になる為に臆病になる
当り障りの無い句になるために詠み手としては不満が残る
私がもし将来指導する側に立つことがあれば、俳論でなはく
自分の実作の中から教える立場にありたい
指導者が批判を恐れて閉じこもっていてはならないと思う
また、添削句を鑑賞させ、どう受け止められているかを
気にしているようでなく、自信をもって指導する姿勢を
指導者に見たい
( 信越本線 青海川駅 )
昨年7月24日このブログで紹介した青海川(おうみがわ)の
駅のホームです 昨日の地震で線路上とホームは崩壊
した土砂に埋まってしまいました。
この写真は連衆との奥の細道、出雲崎へ出かけときの
ものです海に一番近い駅で色々なドラマにも使われるほど
美しい景色の駅です
朝10時14分東京でも大きく揺れた今回の地震ですが
震源地が柏崎だと聞き、当地に住んでいる旧友に
メール入れたのが10時17分、彼からの返信が午後4時
でした。 怪我はしていない 水の確保に走り回っていたと
ありました 無事が確認できてホットしましたが、まだ余震も
あるようで心配しています。 この友人の俳句のお仲間も
このブログをご覧になっているとの事、お見舞い申しあげます
どうぞ怪我をなさらないように事にあたって下さい
このブログを通じて何かをお伝えできれば良いのですが・・・
( しじみ蝶 )
夏蝶狂ほし修司句集かな
不思議なもので、夏の蝶ことに黒揚羽を見ると
寺山修司を思い出す、忌日は5月だったと思う
もう彼が没してから20年も経っているのに、それほど
彼の俳句にふれた覚えもないのに
手元に一冊の修司の句集「花粉航海」がある
青森の高校時代15歳~18歳までを昭和50年に編纂した
ものだが、その才能は中学時代から学級新聞というメディアを
通じて自己表現をおこなっていた、ガリ版刷りの新聞には
小説、詩、短歌、俳句が発表されてたという
十五歳抱かれて花粉吹き散らす
チェホフ忌頬髭おしつけ籠桃抱き
流すべき流灯われの胸照らす
朝の麦踏むものすべて地上とし
暗室より水の音する母の情事
癌すすむ父や銅版画の寺院
母恋し鍛冶屋にあかき鉄仮面
大落暉わが愚者の船まなうらに
便所より青空見えて啄木忌
わが夏帽どこまで転べども故郷
巻末に「今こうして思うと顔赤らむ思い、句のわかれも
すみやかに果たしてしまいたい 何もかも捨ててしまい
たい 書くことによって 読むことによって」とある
私にとって三輪明宏、三島由紀夫、寺山修司は蝶のように
ことに夏蝶のように思われてならない
(小葉擬宝珠 赤塚植物園)
束の間の日差しにひらく花擬宝珠
私にとって俳句は切って血の出るようなもので無くては
ならない。たとえ句が拙くとも・・・・
どんなに綺麗に添削されても自分の気持ちが生かされて
いなくては、自分の心を詠ったものでなくては意味がない
ある方のブログにも書き込みましたが、私が過去所属の
結社では女流俳句には特別厳しかったことを覚えている
それは女性に対する蔑視ではなく、性に甘えることなく
ならではの感性を堂々と詠むべしという教えです
私があるIT句会へ投句しはじめた頃、そこの連衆と意気
投合するまで、女性だと思われていました 俳号も句風も
きっとそれを感じさせないものだったのかもしれません
少し寂しくも思いましたが、振り返れば俳句というものの中に
男性という個性を持ち込まなかったことなのでしょうね
良いのか悪いのか・・・・
( 筆と絵手紙展 )
ここに来て梅雨らしい日々が続いていますが
皆様のお住まいの地区では雨の被害は無いでしょうか
お見舞い申し上げます
秋の季語に「硯洗う」というのがあります
七夕祭の前日、文事に携わる者が硯や机を洗うという
北野天満宮の神事からきたものですが・・
この季語の季感を捉えた句は少ないように思います
それだけ私たちの現代の生活にそくしていないのかも
しれません。
先日郵便局へ行った折に筆の里工房の「ありがとう」を
テーマにした墨書と絵手紙を募集というパンフを見て
掲載の拙い絵手紙を送りました 色紙大のものです
文字を書くために少しだけ高価な松煙墨を買いましたが
硯の中に溶け出してゆく墨の香りはやはり今までのものと
比べ様になく良いものです 文字は日頃からお付き合い
頂いている俳句の仲間に、長く俳句を詠まさせて頂いた
日本の四季に自然と思うままに書いたもので
「ありがとう」 は今の私の気持ちです
先日の句会の折、選評で内容の良いものは勿論、俳句は
文字にして良いもの、耳で聞いて良いものがあると言いました
こういう事も俳句の楽しむことだと思っています
現代こうしてPCで俳句をしているとますます文字は書きません
自分は字が・・・なんて言わずにどうぞ墨書をして下さい
墨汁はいけませんよ 墨をする時間を楽しんでください