7月20日

2007-07-20 00:18:01 | Weblog

  (むらさきつゆくさ 赤塚薬草園)


名選手すなわち名監督にあらず
これは俳句の指導に関しても言える事ではないだろうか
過去の名選手としては充分尊敬できるものが有るにせよ
栄光や経験だけでは、将来のス-パ-スター育てなれない
自分も現役として「今」を詠みつつ、「今」を捉える
俳句は昔から座のもの、やはりインターネットでの指導は
無理があるのだろう・・・
それは添削などの如実に顕れる
指導される側の個性を伸ばすような添削をするには、やはり
対座か同座が必要に思う
ともすれば添削者は自己の個性の中にあるもの以外は批判
の対象になる為に臆病になる
当り障りの無い句になるために詠み手としては不満が残る
私がもし将来指導する側に立つことがあれば、俳論でなはく
自分の実作の中から教える立場にありたい
指導者が批判を恐れて閉じこもっていてはならないと思う
また、添削句を鑑賞させ、どう受け止められているかを
気にしているようでなく、自信をもって指導する姿勢を
指導者に見たい

コメント
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