
私の参加している句会のよろしさは選評に有ることは,前にも書いた。
今回の私の句の選評に付いて,考えてみることにする。
「どの部屋をあけても独り障子更ふ」
Aさんの評
障子更ふ、、とはもうすでに更えてしまった意味もあるかもしれませんがはっきりと白い障子を出したほうがよいのではないか。
どの部屋をあけても独り白障子、、とすると季節が変わるが、「障子更ふ」という動きのあるものではなく、部屋に入ったときに白い障子がやわらかな壁をなしているほうが孤独感がしみじみと伝わってくる気がする。
Bさんの評
どの部屋をあけても独り」が、とても気に入りました。季語をベツのものにすると、良いのではないかと思います。
部屋→開ける→障子、と付きすぎのように思いました。
Cさんの評
どなたかのご意見の様に白障子の方が「独り」の思いを深くさせるかもしれません。
Dさんの評
ちょっとミステリーゾーン。山中のお屋敷で、どの部屋を開けて中を見てもよいが、この箪笥だけは決して覗いてはなりませぬという昔話のようだ。それでも人は禁をおかしてしまう。

自分のことでは無く、叔母の姿を詠んでみた。
叔父が無くなってからもその淑とした姿勢はみごとに変わらずにいる。
子供等も独立し,たった一人で住んでいる家は叔母一人では大きすぎる。
それでも,自分の行動半径だけを身綺麗するわけでなく。例年のように
いつ行っても、掃除が行き届き。季節ごとの絵や花々も換えている。
障子貼りは自分で行ったのか,業者に頼んだのかは分からないのだが、
作者としては前半の叔母の姿を詠みたかった。後半はBさんの評に
うなずける。
句会の連衆の評は本当にありがたい。
遠い結社の主宰を師と仰ぐより、連衆の評を信じる。

覚へきて鏡に手話す夜長かな

明日は絵をかくぞぉ~

縄文の湧水に触れ夏終わる あいさ
