デジカメぶらりぶらり

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涙ぐんだ

2008-11-09 07:24:28 | Weblog
テレビで見ている限り、17歳の選手はプレー中、大人の顔に見えた。「誰かに助けてほしい」と思うほど苦しんでいたとは意外だった。

緊張が解けたのか、優勝スピーチで涙ぐんだ時は、子供の顔になっていた。男子プロゴルフツアーでプロ転向後、初めてツアーを制覇した石川遼選手のことである。

高校2年生。可能性は計り知れない。大先輩の尾崎将司選手が言うように「うまい」ではなく「すごい」ゴルファーを目指しているのだろう。

自分は17歳の時に何をしていたのか、つい振り返ってしまう。自分に何ができるのか、その前に一体何をしていたのか。まだよく分らなかった。

この難問、大人になっても解決できるとは限らない。いくつであれ、頭をよぎることがあると思う。

大統領

2008-11-07 07:18:42 | Weblog
演壇にいたのは一人の若い黒人政治家。ケニア人と米国の白人女性の間に生まれ、ハワイや、継父だった人の国インドネシアで幼少期を過ごした。

その彼が例えば、こう呼びかけたのである。「黒人のアメリカも白人のアメリカも、ラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。あるのはアメリカ合衆国だけだ・・・」。

力強い「一つのアメリカ」の理想に会場は酔った。上院議員候補の座を勝ち得ていたとはいえ、その時点では一州議員の彼が18分で一躍、全国区の注目株に。

米紙ニューヨーク・タイムスが翌日の“スター誕生”の様子を描いている。<彼が動くと人々のささやきが追いかけた。「今通ったあの男性は、多分、史上初の黒人大統領になるね」>。

きのう、それが現実になった。あの日から上院議員当選を経て、まだ4年。名門とも豊かとも言えない家に育ち、速足で登った出世の階段だ。そう、彼の名はバラク・オバマ。

毒味

2008-11-05 07:12:21 | Weblog
山田洋次監督の映画「武士の一分」の主人公の仕事がお毒味役だ。実際、彼は毒にあたり失明してしまう。

封建制下の何とも酷なお役目である、文明社会の現代はそうした緊張とは無縁、と言いたいところだが昨今、食品には問題続出。

最近はまたハムだとか。こうなればもう何を食べるにも、まず慎重に臭いをかぎ、少しだけ舌先に載せ・・・。そんな習慣が広がるかも。

台所での一口はできれば、毒味でなく味見と呼びたいが、ひところ、この国では、しきりに「豊かさ」と言う言葉が使われた。

このごろ、とんと聞かなくなったのは、政治や経済が、人の暮らしを豊かにするのとは別の方を向き始めたからではあるまいか。

安心して物が食べられ、安心して子どもが産め、安心して老いられ・・・。この<安心して>こそ「豊かさ」の土台のはずだ。

2008-11-03 07:00:15 | Weblog
空と書いて「から」と読む時、それにはあまりよいニュアンスはよくない。たとえば、選挙でおなじみの「空約束」が一例。

元来が「殻」の意とか。とにかく、中身がないのである。株価はそこそこの反発も見せているようだが、少し前の水準には全然、戻っていない。

下落に歯止めをかけようと、政府が打ち出した対策の一つが「空売り」の規制なのだという。効果のほどはともかく、そもそもこの商い自体が、どうも不思議である。

そんなことしてよく手が後ろに回らないものだと思うが、何でも「ひとのものを売る」のだそうだ。しかも、株価が上がって儲かるのではなく、下がると儲かる・・・。

英語ではショート・セリングといい、ヘッジファンドがよく使う手法らしい。ざっとこんな仕組みのようだ。

たとえば、千株、百万円の株を証券会社からレンタル料5万円で借り、市場で売る。それで百万円の入金。

株価が半値に下がったとすれば、五十万円で同じだけ買い戻し金融機関に返す。これで、儲けはしめて四十五万円也。

規制で禁止されたが、人のふんどしどころか丸裸で相撲を取る、即ち、株を手当てもせずに売ることまでできたとか。

文字通り「中身のない」商いだ。この虚無こそ、金融市場と、現下の危機の象徴とも思える。

マラソン

2008-11-01 06:47:36 | Weblog
前略 高橋尚子様。 ついに引退されるのですね。本当にお疲れさまでした。あなたは記者会見でずいぶん「おわびしたい」「申し訳ない」「迷惑をかけた」と気にしていました。

確かに、北京五輪出場の道が断たれた後で宣言した、国内三大女子マラソン連続出場という公約は果たせませんでした。

でも、とても見事な引き際です。妙な連想ですが、わが国の前と前々首相のそれを思い出すのです。

師匠の小出監督から独立する道をとってでも、あなたはとにかく限界までやろうとした。その結果までやろうとした。

その結果としての引退は、壁に当たってあっさり「投げ出す」のとは対極にあります。考えてみれば、「投げ出さない」のがあなたなのかもしれません。

たとえば最後のレースとなった名古屋国際女子。世界で始めて2時間20分の壁を破った
五輪金メダリストが、まさかの27位・・・それでも完走はした。

最後まで走りきりました。レース苗のどきどきする感覚をよく「玉手箱」にたとえていましたっけ。人生はマラソンに似ていても無論、マラソンではありません。

でも会見を聞くかぎり、あなたはもう別の「玉手箱」をみつけている気がします。そういえば、ご自分でも「風になった日」に書いています。

<人生の金メダルを目指す>。みんながエールを送っていますよ。