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戦後処理

2012-03-16 06:40:38 | Weblog
石橋湛山とGHQ戦後処理費の話がある。敗戦国はみじめだった。日本側が餓死者をだすほど窮乏している中で、米側の請求にはゴルフ場代、花や金魚の注文書まであったという。

その戦勝国の言うままの占領下に蔵相・湛山は、米側の要求額削減に腕をふるった。巷にはこんな話のある時代だった。戦争賠償金があると知った人が聞いた。「いつもらえるんだい」「冗談いっちゃいけない。こっちから出すんだ」「えっ?こんなに焼かれたんだから、いくらか、くれるのが当り前だろう」。

湛山は元々ジャーナリストである。敗戦直後に「再生日本の門出」と題して「前途洋々として希望に輝く」と書いた。夢も希望も持てない敗戦時に破天荒な表現で国民を勇気づけた。

敗戦が持っている楽天的な明るさと共通するものがある。67年前の「3・10東京大空襲」と1年前の「3.11大震災」が重なる。焼け野原から日本は立ち上がった。東北にも希望はある。