昨日に続いて、「ラジオ・ジャパン」のベリカードで持っている、もう1つは、1985年の「国際放送開始50周年」時のものです。
日本からの、海外向け短波放送は、1935年6月1日に茨城県名崎送信所から北米西部・ハワイ向けに出力20kwで、英語と日本語による番組が1日1時間放送されたのが、最初だそうです。
当初の局名アナウンスは「東京からの日本放送協会の海外放送」で、長くて言いづらいということで、フランス語放送で「ラジオ・トウキョウ(トキオ)」と縮めて言うようになり、それが一般的に使われるようになったということです。
海外の聴取者向けの放送より以前には、外地や満州向け放送、また、日本での行事や出来事を取り上げた番組を、相手国の放送機関を通して流してもらう形での国際交換放送が、短波によって不定期に実施されていたそうです。
太平洋戦争中は、連合国軍向けのプロパガンダ放送となり、兵士らに評判となった女性アナウンサーは「東京ローズ」の愛称で呼ばれました。
戦後、しばらく短波放送は禁止され、ようやく1952年2月1日に新たに「ラジオ・ジャパン」として再開されることになりました。
放送開始50周年に当たる1985年6月に、8月までの期間の受信レポートに対して、記念デザインの2種類を含めたベリカードが、国内のリスナーにも発行されました。
日本からの、海外向け短波放送は、1935年6月1日に茨城県名崎送信所から北米西部・ハワイ向けに出力20kwで、英語と日本語による番組が1日1時間放送されたのが、最初だそうです。
当初の局名アナウンスは「東京からの日本放送協会の海外放送」で、長くて言いづらいということで、フランス語放送で「ラジオ・トウキョウ(トキオ)」と縮めて言うようになり、それが一般的に使われるようになったということです。
海外の聴取者向けの放送より以前には、外地や満州向け放送、また、日本での行事や出来事を取り上げた番組を、相手国の放送機関を通して流してもらう形での国際交換放送が、短波によって不定期に実施されていたそうです。
太平洋戦争中は、連合国軍向けのプロパガンダ放送となり、兵士らに評判となった女性アナウンサーは「東京ローズ」の愛称で呼ばれました。
戦後、しばらく短波放送は禁止され、ようやく1952年2月1日に新たに「ラジオ・ジャパン」として再開されることになりました。
放送開始50周年に当たる1985年6月に、8月までの期間の受信レポートに対して、記念デザインの2種類を含めたベリカードが、国内のリスナーにも発行されました。