BCLとベリカードの楽しみ

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プラハの風景写真  ヴィシェフラドの風景

2024-05-25 | エトセトラ
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、「プラハの風景写真」です。

今回は、「ヴィシェフラド (Vyšehrad)」地区の風景です。

旧市街広場から南に2-3kmほど行ったところで、ここは標高232mの丘陵になっていて、5世紀頃に最初の王城が建てられた、と考えられています。 (ヴィシェフラドとは、「高い城」という意味です)

その後、宗教上の対立による「フス戦争」中の1420年には、徹底的に破壊されましたが、それ以来、何度も再建され、1653~1727年にかけて、バロック様式の要塞に変わりました。

1672年に建てられた「レオポルド門」で、当時の神聖ローマ皇帝・レオポルド1世 (Leopold I) にちなんで名付けられ、要塞の南側にあたります。
「聖マルティン教会のロトンダ」(St.Martin Rotunda=円形建物) は、1120 年頃に建てられ、今でも当時の姿を保っているそうです。



1841年に建てられた「煉瓦門」(Cihlový、レンガ) は、要塞の北側にあり、すぐそばの「ヌスル (Nusle) 渓谷」に通じています。



ここで最も高い建物は、「聖ペテロ聖パウロ教会」です。元は、1088年に建てられましたが、今の姿は、1885~1903年に再建されたものだそうです。



教会南側の、「ヴィシェフラド公園」には、スラブ神話の人物をモチーフにした、いくつかの記念碑が建っています。

「伝説の王女・リブシェ(Libuše)と、その夫・プシェミスル(Přemysl)」の像です。チェコ人王朝で、1306年まで国を統治したプシェミスル朝の創始者、とされています。



リブシェ女王後の物語で登場する、「ツチラト (Ctirad) 王子と美女シャールカ (Šárka)」の像です。彼女は、策略で彼を死に追いやりましたが、その後、後悔に苦しみ、後追い自殺した、との伝説が残っています。



教会の東側には、3本の石柱が寄り添うように立っている、「悪魔の石柱」があります。



1700年頃の話で、ある司教が悪魔に対し、心と引き換えに、夜から朝のミサを終える時間内に、ローマの教会 (サンピエトロ寺院) から柱1本をここまで持ってくることが出来るか、の賭けをしました。 悪魔はローマに入って一番すぐの教会 (サンタマリア・トゥラステヴェレ教会) の柱を持って帰りましたが、神の妨げにより、遅刻してしまい、怒りに任せて石柱を地面に投げつけたため、3つに折れたと言われています。(トゥラステヴェレ教会の柱が1本ないのは、そのせいだとか) (歴史的には、これらは実際には1503年に倒壊した古い教会の柱の一部である、そうな)

元々は、ヴァーツラフ広場にあった「聖ヴァーツラフ像」(1680年制作)で、1879年にここに移されて来ました。代わりにその後、広場の上部に、新しい「聖ヴァーツラフ記念碑」が建てられました。 (ボヘミア公・ヴァーツラフ1世は、935年9月に28歳で殺害され、その後、プラハなどの守護聖人となりました)



敷地内には、「サマーシアター」と呼ばれる野外ステージや、「テニスコート」があります。



要塞なので、全体を囲む高い壁があり、最も高いところは、18mです。





「古きチェコの歴史公園」(Dětské hřiště Hradiště) という、子供の遊び場があり、古代の村に似せて造られています。
5世紀までに、祖先のスラブ人がこの地にやって来ていて、チェコ国の名前の由来となった、古代の神父「チェフ」(Cech) のトーテム風人物像が置かれています。



丘からの眺めです。

南方向は、ポドリー (Podolí) 地区で、川の対岸は、スミーホフ (Smíchov) 地区です。
1.5 km先では、新しい橋が建設中で、来年11月の完成を目指しています。









南西方向の眺めです。ヴァルタヴァ川で1893年に設立された「チェコヨットクラブ (ČYK)」 と「プラハ・マリーナ」があります。ここでは、川面でのパドリングボードも楽しめる、とのことです。



西は、川沿いに、1904年に掘られた「ヴィシェフラド・トンネル」があります。
この貫通により、丘に沿う南北道路が完成して、それまでフェリー・ボートを利用していた往来と比べると、格段に行き来が便利になりました。



西から北方面で、川に架かる「ヴィシェフラド鉄道橋」があり、遠くには「プラハ城」が見えます。



要塞の北壁近くには、下の方に家々が建っていて、ヌスル渓谷地区にあたり、谷には、自動車道とメトロ線路の「ヌスル橋」が架かっています。





教会東側の、「カーラッハ (Karlach) 公園」です。小さな礼拝堂の中には、使われなくなった井戸が、現在も残っています。






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