こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年12月13日 日曜日 「ニューウェイヴ・カセットシリーズ ② 1981年11月20日」 

2015-12-14 00:19:54 | 音楽帳

カセットをシリーズ化し出した、その2巻目。
A面1~4曲目はNHK-FM「軽音楽をあなたに」から。すべてライヴであり、レコードにはない魅力的なヴァージョン。
この日、学校からまっすぐ帰って、夕方聞きながらエアチェックしたものだった。

この4曲は、新譜「URGH!MUSIC WAR」に収録された曲。
新譜と言っても、実際この2枚組LPが国内発売になったのは9月21日のこと。

そして、5・6・7曲目は、クロスオーバーイレブンからの曲。
この並びを視て「そういえば・・・」とカセットテープを今年買ったラジカセに入れてみると、記憶は正しかった。
実際は8曲目が入っている。

途中で切れたためにインデックスカードに記載は無いが、ジャパンの「マイ・ニュー・キャリア」が入っている。ティム・ブレイクの音が細くなって行き、消えていく後に出てくるジャパンへの繋がり。その合い間にある静けさの中のFMノイズ。
それがわたしには絶妙で、切れてしまった曲を消さずに残していた。

■Japan 「My New Career」(Old Grey Whistle Test, Dec. 1980)■

ひとりきりになりたいなんて
思ったことはなかったくせに
とにかく僕はそっと家を抜け出して
ここまで来てしまったんだ

南に住む人々は
ささいな人生の浮き沈みを繰り返しながら
まっすぐ前を向いて歩いてる
確かな足取りで

彼らが僕たちの唄をうたってる
外の人々には何も聞こえないけれど
彼らが僕たちの唄をうたってる
僕の新しい人生のはじまりに

やっと気づいたんだ
違う生き方もあるということに
船が港に着くたびに
出発の時はやってくるのだから

南へ行けと彼らは言うよ
太陽は僕の町には沈まない
僕を物憂い気分にさせるのは
この熱風の中の疾走

僕は誰ひとり傷つけたりしていない
ことに 君を傷つけるような真似は

1981年すり切れるほど聴いたジャパンのLP「孤独な影」。1980年作品。
デヴィッド・シルヴィアンがこの曲を創ったのは、まだ21歳。

すでにジャパンとしての4作目。
少年の中で鬱屈したものを表現として昇華させ続け、相当な自己との闘いの末、到達した4枚目。この方向感はすでにこの時点で確固たるものとなっており、その後進むべき道を明示している。

LP「孤独な影」は、じぶんの中でも(YMO群を除いた)生涯の100枚の中の一枚である。
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2015年12月11日 金曜日・深夜 「雑記帳 パースペクティヴ」

2015-12-12 01:46:43 | 雑記帳

たけしさんがかつて言っていた言葉が記憶に残っている。
その言葉は雑誌で読んだものだが、その雑誌がどこの何かは忘れた。忘れたくらいに遠いが、咀嚼されて体内に在る。

人は生きていく中で、いろんな選択肢が現れ、それらにまたがって多種多様な興味ある全てを構っていたいんだけど、ある道を選んで他を捨て去らねば前に進めないときがくる。

実際はこう言ったわけじゃないないのだろうが、じぶんとして解釈するとこうなる。
たけしさんがテレビを引いて、やっとやりたかった映画に熱中する50代入ってのことと、勝手に思っている。それが妙に最近しっくりくる。

***

たけしさんのような能力とガッツのある人とは違う・・・という自己卑下の言い回しはあるが、それでもそんな言い方はしたくない。じぶんをはぐぐみ・労を費やしてくれた方、数少ないながらもこんなじぶんを未だ愛してくれる人や逢えなかったおじいちゃんやその前のことを想うと、そんな言い方はすべきでない。

そういう夜に、渋谷(陽一)さんのラジオを録音回して聴きながら、もう要らない雑誌を分解してゴミに。生真面目になってペンチを握り、中綴じのホチキスを曲げている。ある人にはどうでもいいことでも、じぶんが今までの怠惰を含め堆積させてきた紙ゴミを「処分、処分」。

***

他人が見ればゴミ扱いの堆積物はとてつもないが、取捨選択の基準は大竹(伸朗)さん曰くの「グッとくる(きた)もの」以外は正直いらないのだろう。それは音楽も同じ。
80年代だけにこだわっていると勘違いする人も周りに居るのだが、90年代も21世紀以降も出会いがあった。あるいは70年代からさかのぼること広大な領域。
それらはたくさんあり過ぎる。だからと言って、それを捨てるという意味ではない。

削っていくと結果的に80年代のものの分量は多いのだろうが、心に響いたのはそれだけじゃない。砂に埋もれていては路が見えなくなりつつあるので、そういったノイズを除去したい。

コトをリアルな私生活に落とせば、「冷えた愛でも夫婦という形式」で付き合い続けられない性(さが)は、世間体ではガキそのものと嘲笑されても、そんな相手と付き合い続けられないのがじぶんである。相手だってつらいだけだろうし。
今は今で一番肌合いが近い人と付き合っているが、来年どうかなどは解からない。

***

生きていくといろんな障害が目の前に立ち現われる。生きれば生きるほど。
30代の終わり頃から、それまで知っていた点と点が線や面となるようにして解かり始めることが出てくる。ある意味、驚きだった。視野が広がり「歳を取るのは良いことだ」と思った。それを心身ともに体温として感じた。

だが、どうもそれも40代後半になると気付き過ぎてしまい、黙ってしまうことが多くなっていく。気付いてしまった現実を目の当たりにすると、その一割も言葉に出来なくなる。まさに障害ばかりが立ち現われる。それはあくまでじぶんのケースであり、何も変わらずのペースで居られる人もいる。

ここでまた、再度三島さんが言っていた言葉や、なぜあの歳で自らを絶たねばならなかったのかを巡る会話がよぎる。社会的に置かれた状況の側面、その一方、あくまで個人としての三島さんの姿、二つがあるのだが、今は後者の方のこととして。
この2つが交錯し合うので、なぜあんな亡くなり方を。。。という事は混乱を産む。

今朝朝風呂に入る時間、武田鉄矢さんのいつもの”三枚おろし”を聞いていた。
そこから偶然「また」「例の」三島さんのハタチまでの成り立ちが流れた。何度も、それを聞きたくはないのだが。

政治家ではなかった作家としての猪瀬。
彼が細かい調査の上で書いた「ペルソナ」は、友人MZ師を通じ、NHK番組を通じよく知っている。
ラジオからは、そこに記載された、三島父子が徴兵検査でアウトとなった場から去ったありさま。
身近にいた同期が言う”彼(三島さん)は、ああいう路と真逆で、当時は可能な限り戦から離れた場所に行きたかった”としても、そんな十代終わりから四半世紀の心の変遷を想う。

■インタビュー 北野武&蓮見重彦■


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2015年12月9日 水曜日 「ニューウェイヴ・カセットシリーズ ① 1981年11月10日 sideB」

2015-12-10 00:46:47 | 音楽帳

先般のっけたカセットテープのB面。筆舌にしがたい1981年の冬の刻印。

受験勉強と称しては、机に向かって何をしているかと言えば、FM雑誌に蛍光ペンでアンダーラインを引き、エアチェックにふける。火曜日は、教授のサウンドストリート~ふたりの部屋~そしてクロスオーバーイレブンというささやかな楽しみの夜。そのとある11月深夜に録音したものがB面にあたる。

しんしんと冷える冬の夜には、密閉型のヘッドフォンから漏れる音以外は何もない。
周囲が自然に囲まれた、引っ越し後の孤独な田舎生活の夜は、東京下町には味わうことなかった深さと戸惑い。誰も近くに知り合いがいない厳しさだった。孤立無援の戦い。

時折鉄橋を渡っていく電車の、ガタゴトする彼方の音がやってくる。
それはそれまで、三ノ輪の夜に南千住引き込み線から聞こえる「ガチャ」「ポポーッ」という貨物列車の音の優しい響きでは無かった。

とてつもなくしんしんと冷える部屋に、暖房器具は足元に置いた小さい電気ストーブ1個。
気遣ったのは親の方だったが、ジャパンの「My New Career」に感化されたのも含め、あえてじぶんを苦境に立たせるようにして”それでお前さんはどうするんだい”という自問自答を自らに課していた。マゾといえばマゾそのもの。自らを律するために、放っておけばありつける様々な恩恵・支給を拒否した。

渋谷(陽一)さんがラジオで言っていた「わたしは痛み止めを飲まない主義で・・・」に影響を受けるのはその後だが、それまで親や家庭状況に流されてきたものを捨て去り、すべての選択肢を自らで行わねばならない、と思った1981年であり、そんな初めての冬だった。
それでも状況は一介のコドモごときを許すわけがなく、じぶんを呑み込んでいくのだが、そう目指した夜の連なりだった。

クロスオーバーイレブンのジングルが終わり、始まった1曲目が初めて出会ったアイスハウス。
その後長い付き合いになっていくが、このとき彼らがオーストラリアの人と知らず”ブリティッシュ”という認識でいた。

■Icehouse 「Icehouse」1981■
どういう組み立てだったのか?当時、不思議とクロスオーバーイレブンは火曜日にニューウェイヴの新譜が掛かることが多かった。教授のラジオとリンクさせたのか否かは未だに不明である。



みうらじゅんさんが夜な夜な、自室でフォークソングを作って・それを録音していたことが、結果「仮性フォーク」として紹介されるのだが、現れ方は違えどおんなじような想いがこのカセットテープにはある。
DT仲間の伊集院光さんにはそれを捉えた言葉があり、それを解釈して揶揄する場面を多く視る。
しかし、悩める少年としては極めてまっとうな在り方でなかっただろうか?。

ヒトはみんなそんな痛い夜を超えて生きていくんだと思う。それを忘れてはならない。
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2015年12月7日 月曜日 「雑記帳 冬の気配 -12月 83/15ー」

2015-12-07 23:50:59 | 音楽帳

12月6日(日)
さんざ歩き疲れて、家路を辿る。
家に着いてラジオをつけ・着替えをしてると、TBSラジオは橋幸夫さんの番組終わり部分から10時半を過ぎ、”・・・こんばんわ。吉永小百合です。・・・”という声。

吉永さんの熱心なファンではないが、ただ単にひたすらラジオが流れるのがいつもの風景。
だから、この番組を聞いていることにに大した理由はない。でも、無いとリズムが乱れる。

しかし、最近いきなり気が付いてしまったことがある。
番組に流れるJRのCM。遠いことと思っていたのだが「大人になったら」と50代からの旅会員「大人の休日倶楽部」。まったく意識をしていなかったことをいきなり突き付けられる。

そして「正直、感心しないCMなのだ。あらがってやる。」
そう心で吐いてみるが、云われると覆いかぶさってくるものはある。こっちにおいで、とキツいときに限って、顔色を窺ってはそのスキに入り込もうと、現れてはたぶらかそうとする駅前の新興宗教みたいなもの、と一蹴したくなる。

土曜日は冬らしい美しい日。荒木(経惟)さん言う「カーン」という日差し。
「写真は光と影がつくり出すんだよ」という通り、冬に向かう太陽は絶妙なコントラストを描き出す。

そのいっぽう、日曜日はマグマのようにうねる雲が空を覆った冬の日。
公園に行って樹々の森を見上げシャッターを切る。そうして樹の下を歩くと、ほとんど落ちつつある葉っぱはさくさくと軽い音をたてる。
落ち葉焚きに向いた乾いた葉っぱ。

この季節・散策して歩いていると「Walk In The Forest・・・」と始まる部分、細野さんの声が聞こえる。YMO最後のアルバム『サーヴィス』に収録された「Madmen」の一節。

そしてゆったりとしたテンポが優しい「Shadows On The Ground」。
「November・・・My Whole World Was Cold And Grey・・・」。
11月はすでに終わってしまったけど、『サーヴィス』の曲を聴いていたのは12月。1983年のこと。

まだ紅葉は美しく、季節は秋との喫水線に位置している。そして、しだいに冬の風情に変わってく。

■YMO 「Shadows On The Ground」1983■













雑誌「サウンドール」最終号、1984年3月号もカビがひどくなってきた。

5年間の活動で疲れ果て、再度真っ白になり、その後・中沢新一と旅に出る細野さん。
その細野さんがこのときまだ36歳だったことに、今さらながら唸ってしまう。
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2015年12月5日 土曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月29日(日)-」

2015-12-05 12:36:35 | 音楽帳

11月29日(日)
10時40分ごろ目覚めると眼痛。朝立ち上がりが不安定で・調子悪いのはいつものこと。緩和する術をじぶんなりに工夫してきたが、ただここ数年は、それまでと違う。
しばらく寝床で横になったまま、ラジオから安住さんの声。小田原での公開放送。

周囲の整理。電話帳(タウンページ)2015年版。いざという時、こんなものをめくるだろうか?めくらないだろう。捨てる。
とっておくモノは使えるか使えないか、ではなく、使うか使わないか、である。まさに。

これは断捨離啓蒙活動家が言っていた言葉。なるほどと思う。
彼らの本にお金を投資することは避けて、ヒントだけ取り入れる。

ネット環境がここ数日不安定で、ときに切断されたまま。スタンドアローン状態のパソコン。
そんなときはせっかくのきっかけなので、なくてもいい過ごし方をしてみる。録画した過去の映像を視る。
15時前外に出る。いつもの公園に住まうネコたち三人にカリカリ。ネコを見て走ってきた小さい子供たちに、一時ネコたちは避難・食事は中断される。
空は曇り。なんでこんなに気がふさぎ苦しいんだろうか?と途中で薬服用してなかったことに気付く。
天気の悪さがこころに作用している部分もある。

各所で祭り・様々な催し物がある季節。歩くと各所で酉の市とすれ違う。
それなのに、今日さえ逃げ切れれば、避けることが出来る。そんな神経に傾き、人が集まる箇所を逃げて歩く。一つならまだしも、そこいらじゅう・いつでも・毎日がひたすら祝祭日であるのは苦しい。そんな東京のありさま。
歩きながら様々な楽曲がmp3プレイヤーから現れる。

・スティーヴ・ヴァイ「ボーイ・フロム・シアトル」
・トーマス・リア&ロバート・レンタル「デイ・ブレイクス,ナイト・ヒールズ」
・ロストジョッキー「マターズ・オブ・セラピー」
・コネットプロジェクト「ニュースター・ブロードキャスティング・イリディアル」
・テストデパートメント「パックス・ブリタニカ」
・アウスゲイル「キング&クロス」
・デヴィッド・トゥープ「チェア・ストーリー」
・コワルスキー「Tschak」
・ニューオーダー「マーダー」「夢盗人」
・ペイルファウンテンズ「サムシング・オン・マイ・マインド」
・アズテックカメラ「想い出のサニービート」
・カール・ストーン「ウォール・ミー・ドゥ」
・バンドアパート「マルセイユ」
・ボックス・オブ・トイ「アイム・シンキング・オブ・ユー・ナウ」
・シカゴ「サタデー・イン・ザ・パーク」


■Chicago 「Saturday in the Park」 1972■

12月5日(土)
毎週土曜の楽しみはラジオを聞きながら歩くこと。
その中でも15時からの「宮川賢パカパカ行進曲」。笑えるお便りを紹介する番組。
宮川さんのこの番組で掛かる音楽は、かつてのヒットチューンが多いが、そのあんばいがとても絶妙。

いつもこの番組を聞いていると頭にはシカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク」が鳴っている。実際この曲が番組内で掛かった日もある。
このシカゴの曲には、公園で自由にそれぞれの人がそれぞれの時間を過ごすさまが浮かぶ。

この曲に込められた深い意味。それを知ったのは最近のこと。
音楽に限らずすべてのものは受け取る側の想い次第だが。
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2015年12月2日 水曜日 「ニューウェイヴ・カセットシリーズ ① 1981年11月10日」

2015-12-02 23:55:18 | 音楽帳

今年、夏以降だろうか?新しいラジカセを買った。
お店で悩み、価格とデザインと機能を検討して買ったラジカセを、「とっても」気に入っている。

ところが、買ったものを買っただけで放置してしまうクセあるじぶん。
ラジオを聞くばかりで、購入主目的だった「カセットテープを聞くこと/mp3化すること」を行えずにきた。

やり方がよく分からず、寝かせていたのだ。
やっと重い腰を上げたのはここ最近。コツコツと1本づつ聞いてはmp3化をやり始めた。
雑誌類にカビが生え出してきたように、カセットテープも安心はならない。
すでにアウトなカセットも多いだろう。

こないだ手始めに、イーノのインタビュー番組を聞きながらmp3化した。
そして、先週からは、1981年から作り出した「ニューウェイヴ」カセットシリーズ(46分か60分テープ)を聴き出した。

このシリーズは主に、渋谷陽一さんのサウンドストリートやクロスオーバーイレブンなどを聴きながらエアチェックした曲で構成されていた。
モノによっては「サウンド・オブ・ポップス」「ジェットストリーム」などなどのラジオ番組で発見した曲、場合によってはLPレコードから落とした曲も入っている。
音楽の「今」を体内に取り入れるための媒体として、勝手にシリーズ化し出した。

それまでに分散して録音したカセットはあったが、時々刻々進む音楽シーンを俯瞰するには。。。と考えた末で「全部好きな曲はその時点で入れ込む」という方法に行き当たった。

最近、とある人が”全てのものを一冊のノートに”といった日記法でカネもうけをしていることを知ったが、そんなことは誰もがやっていること。そういった考えに基づく、じぶんなりの音楽版。
みうらじゅんさんのエロスクラップ・ブックも、同じような想いで始めたものだろう。

いずれ消え去るものへの郷愁。
好きになれた曲を時系列に記録していく、というその一点だけに夜な夜な費やしていた。

2015年今このカセットテープを聴いても、エアチェックした時々はまったく色褪せないし、電波乱れや曲の初めや終わりの余韻の空気の音の感じは記憶と完全一致している。

下記のテープは、そのシリーズのNo.1。
A面は、1981年11月渋谷さんのサウンドストリートから。
この日(たぶん)イギリスのベストバンドはがき募集から、途中歯抜けもあるが、曲が進むに従ってハガキ枚数が多い10位から1位への流れになっていく。それぞれのバンド楽曲から1曲選んだのは渋谷さんと思われる。
いわば当時の”海のこっち側”でのブリティッシュロックTOP10みたいなもの。

入っている曲数は9曲。
60分テープ片面で30分。そこで1曲抜け落ちているのだが、それは渋谷さんの語りをポーズボタンでカットしているうち、出だしを逃がした曲があってのこと。また(たぶん)はがき枚数が多かったクラッシュの曲は、カセットテープの分数をオーバーして途中で切れている。

インデックスカードにはかなり荒い文字。
この荒さに、じぶんが平常書いているよりも興奮している心境が窺える。
渋谷さんが言った曲名を速記で紙に書いて、それを起こしていたので、実際の曲名と違うのもリアルである。

■XTC 「ジェネラル&メジャーズ」1980(4枚目作品「ブラック・シー」より)■
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2015年12月1日 火曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月28日(土)-」

2015-12-02 00:31:40 | 音楽帳

11月28日(土)
10時過ぎ目覚めると首が痛い。暖房つけたまま寝たのだが。夢の中で地震があった。
TBSラジオ・ナイツの放送、五七五川柳「冬が来た からだのかゆみが ボクに言う」
なるほどそれでカラダが最近かゆいんか。

休みの午後。
外に出ると、光は風景にコントラスト強く当たっていた。たぶんこの秋最高潮の日差し。
こういった日は、どこに向けてシャッター切っても絵になる。そこいらじゅうを撮ってはいずり回る。

イヤホンで久米さんの放送を聞きながら放浪していたが、14時台のゲストが面白くない日は浮気をする。今年知った文化放送の番組に変えると、いきなり世良(公則)さんの声、あんたのバラード。

曲が掛かるだけでなく、当人がゲスト出演。
インタビューで語る世良さんのコトバの歯切れよさ、そこに惹き込まれる。
「50代なんてまだまだ」という言葉のチカラ強さ。説得力。じぶんに照らして言うのではない言葉である。それはこないだ爆笑問題のラジオにゲスト出演した際にも思ったこと。

ストーンズや多くの先達たちが現役で未だ走り続け格闘している中、へたっている場合じゃない、世良さんはそう言い切る。言っている内容ではない。肉声の強さがもたらすもの。

何ら変わらずアグレッシヴな姿、そこに情動を掻き立てられ、鳥肌が立つ。
世良さんの最近の言行一致の姿は何一つブレがない。たぶんこの人には、ウソや作為というものが存在しないんだろう。

みうら(じゅん)さんが西城秀樹を語った際、「なんでこの人は、大げさな手振り身振りをするんだろうか?」と考えた末、そうかこれがロックなんだな、と気付くくだりがあった。
同じ疑問をじぶんも70年代抱いていたが、世良さんのありさまにも同じ”わけのわからなさ”を「ザ・ベストテン」を視ながら思っていた。
それは、誰も見ない深夜テレビで初めてRCサクセションを見たことにも言える。
こたつに入りながら、見るつもりもなく見てしまったRCのハデハデの衣装に「まるで、チンドン屋だな」と独り思った夜に繋がる。その夜が、その後に繋がるとは思いもしなかった。

当時、サザンの桑田さんが「オールナイトニッポン」で、半ば酔っぱらいながらジョン・レノン等々の音楽を掛けていた裏、文化放送「セイ・ヤング」ではふとがね金太(ツイストのドラマー)がDJをやっていた。小学生の夜の楽しみだったTBSラジオ「一慶・美雄の夜はともだち」から一拍後、この2つの番組を深夜・交互に聞いていた。

”ロック”という言葉を忌避してきた80年代以降の曲折。
いったいロックとはなんぞや?という疑問は未だ晴れないが、今の世良さんの姿には惹かれる。当時観て・聴いた「あんたのバラード」は、今違う響きをしてくる。

爆笑問題の日曜サンデー『ここは赤坂応接間(世良公則)』(6月7日)
https://www.youtube.com/watch?v=WuoSq1S5nRI


光と影、冬をめぐる歩き旅は、生地三ノ輪、王子経由で池袋方面へ。
ラジオは久米さんから宮川さんへ移ろい、陽はあっという間に赤く傾く。
駒込で立ち食いそばを喰らい、裏道街道を伝っていく。
夜、見舞い。三日前よりはるかに調子良い。
病室のテレビチャンネルを回す、BSで松下奈緒さんがモネを紹介する番組を見る。
モネの好きな絵が50代に描かれたことを知る。

交通網に頼りながら、最後は亀戸に辿り付き、そこから島まで歩いた。
やっと辿り付いた深夜、伊藤政則さんの「パワー・ロック・トゥデイ」を聴く。
ピンクフロイドの「ザ・ウォール」をめぐるあたりの話しとインタビュー。

■ピンク・フロイド 「幻の翼」1987(アルバム『鬱』より)■
1987年当時、同じ病を持つ人から「今度のフロイドは良いよ」とさかんに言われた。
それを流して耳をふさいでいたじぶんが作品「鬱」の良さを理解したのは、3・11があった2011年の暮れのこと。

今年、酒を飲みながら兄と音楽談義をする機会に多く恵まれた。
ここ数年フロイドを聴いているじぶんに『どのへんを聴いているの?』と聞きながら、作品タイトルでは分からない兄に、このジャケットのこの曲という伝え方をしては「ああ、あれね」とやっと理解される具合で話は進行した。
作品「鬱」全体が好きではあるが、お互い一致したのが「幻の翼」だった。

過去の栄光を持つ者は、決してドサ回りやナツメロに堕ちるなかれ。








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2015年12月1日 火曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月27日(金)-」

2015-12-01 23:17:00 | 音楽帳

12月1日(火)師走初日
夜、戻る場所が見えてくるとトイレをもよおす。
思ったよりやけに徒労感があり、家に入って雑事を済ませどっかと座ると、もう動けない。
じっさいは動けるのだが、動きがにぶくなる。帰ったらやろうと思うことは次第にへなへなとしおれていく。そういうものだ。
今夜はウツの虫が出始めて、まぶたが重く、頭痛で発狂じみてくる。そんなときは無作為に意味のないことをする。世間はこういったものを総量一括で「ストレス」とくくるが、これほど安易なモンタージュ作戦の一翼を成す言葉はない。

11月27日(金)
朝、何もしたくないほど酒残る。
「もう外でお酒を呑むまい」そう何十回言い、何十回カラ手形を切ってきただろう。
外に出ると青空、鮮やかな朝日。霧(きり)で電車遅れ。車中でジャンセン・バルビエリがたおやかに鳴る。

朝日の下、川のほとりで、パンフルートを練習するおじさんに出会う。乾いた音と青空。
仕事場着いても、まだ赤ら顔。お茶2リットルボトル飲む。昼はお弁当、ねばねばサラダ、そしてポタージュでカラダをあたためる。

歯医者さんに行くべく2時半に外に出ると、空の青さと光の純度は元旦のよう。
もう秋ではない光が唐突に、じぶんに向けて冬のおとずれを裏打ちしてくる。

ハナ垂れ小僧は、夕方かなりハナをかんだ。
これがよくなかった。その後突発性難聴?右耳が聞こえなくなる。
音が聞こえずこもり、周囲の音は脳内でダブって多重演奏。疲れから来たものか?平衡感覚もおかしい。「これはまずい」と明日でも行ける耳鼻科を「万が一」と探す。

夜の帰り道。
マフラー巻いて歩くと空にまん丸お月様、橋の上から。イチョウが街灯浴びて黄色く輝く。
耳の悪化を恐れ、何の音楽も聴かずに帰る。音のない視界に「ああそうだったか・・・現実は」という発見がある。

島着いて隘路を迷走すると、路側の下水のフタから水の音が聞こえる。
島の各所にある水琴窟の水滴みたいに良い音を鳴らす。
森の夜闇に白ひげタワーとスカイツリーが浮かぶ。

帰ると着替えて一週間分の洗濯。ひとりだけの夜、ゴージャスな夜。

お湯割り呑みながら片付けもの。洗濯物の室内干し完了。
聞こえなかった片耳、しだいによくなる。作業しながらイーノの作品「スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー」を聴き、寅さん第24作目見る。
23時、渋谷(陽一)さんの「ワールドロックナウ」。月末はリクエスト特集とのこと。
渋谷陽一 『ワールドロックナウ』 ~月末リクエスト特集『ロックで踊れ! この一曲』~
・HOUND DOG // ELVIS PRESLEY
・SAVED // BOB DYLAN
・LONELY BOY // THE BLACK KEYS
・UPTOWN FUNK feat. BRUNO MARS // MARK RONSON
・SMOOTH CRIMINAL // MICHAEL JACKSON
・DANCE OF THE SCREAMERS // IAN DURY & THE BLOCKHEADS
・TWO HEARTS BEAT AS ONE // U2
・A BRAIN IN A BOTTLE // THOM YORKE
・GET LUCKY // DAFT PUNK

(ニューヨーク情報)
・WHAT DO YOU MEAN? // JUSTIN BIEBER
(11月のエンディング)
・WAITING TABLES // DON HENLEY
 (渋谷さんのホームページから引用)

実に豊かな楽曲で埋め尽くされたリクエスト特集だった。

■Jansen・Barbieri 「Moving Circles」1985■

エノキ・キャベツ・ニンニク・にら・タラコを具材に、焼きそばを創る。
0時からTBS「粋な夜電波」ビートルズのナンバー。
数日前から、パソコンのネット不調。それでもラジオは健在。
1時からみうらじゅん先生の「仮性フォーク」。3時睡眠薬服用、消灯。
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2015年11月30日 月曜日 「雑記帳 冬の気配 -日記・11月26日(木)-」

2015-12-01 00:44:26 | 音楽帳

11月26日(木)
朝、静岡茶とレーズンパン。鎮痛剤2錠、その他服用。
今週ついに暖房(エアコン)つけて寝た。朝風呂。朝も雨が残り、寒さは続く。急いでマフラーを下ろして首に巻く。押入れにしまっていたにおいがする。
コートにはまだ早い、寒さは年明け後だ。でも、もう無理はしない。我慢もしない。

外でもマフラーのおかげであったかい。
そんな恰好をしていると、ついキツネの親子や、朝には立ち寄れない露地ネコたちが脳裏によぎる。
歩き過ぎでさらにおかしい足、エレベーターを使う。

電車に乗ると、寒暖差でメガネがくもる。
携帯ラジオから流れるAMラジオを消し、mp3音楽に切り替える。
ティム・ストーリー’84年秋のアルバム、ムーンライダーズ『アニマルインデックス』etc。。。

途中座る。肩はまだ痛む。昨夜「痛いよー」と言うお袋の肩をさすったことを想い出す。ベッドにずっと横になっているから肩が痛いはずだ。
電車を降りると小雨模様、雲が空を覆った暗い光、鳥たちはあまり居ない。

数時間仕事をし、11時後輩の運転クルマに同乗して地方都市へ。
時間がなくて、コンビニでパンとおにぎりを買う。全部を食べきれぬまま打合せへ。

夕刻都内へUターン戻る。事故渋滞で高速はべたべた。
その流れで、夜誘われて1年に何度かのご奉公、夜の付き合い。中華屋で紹興酒を呑み過ぎ、早々に酔う。

深夜帰宅、泥のように眠る。

■ムーンライダーズ 「駅は今、朝の中」1985■






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