こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年12月31日 木曜日 一年の終わりに

2015-12-31 22:41:02 | 写真日和

家で元旦をむかえたい、と懇願する親だが「仕方がないね。テレビを楽しんで。」となだめる。
うまれて初めて家族が欠ける元旦となる。

見舞いを終えて、ぶらぶらあてどなく歩き、シャッターを切る。
数時間後には人だかりになる神田明神や湯島天神を通過し、そのうち上野御徒町に近付いてしまう。

いつだって大晦日は上野のアメ横が舞台になる。数少ない戦後の匂いと猥雑さを遺す場所。
混雑を意識してたら今日行くつもりはなかったが、通り道となってしまい、人混みとせわしなさに出会う。
「師走」とはこのことを指すのだろう。

明日は独りで頑張っている親父をみんなで囲んで、とタケヤに入ってみると抜けられなくなる。
せわしなく買い物をする人と店員さんの成す”場”に取り込まれると、数の子やらなんやかんやと買ってしまう。

***

そこを抜け出ると、人の少ないほうへ。相変わらずmp3プレイヤーで音楽を聴きながら。
陽が落ち、松ヶ谷に差し掛かった頃、唐突にクリムゾンの「スターレス(&バイブル・ブラック・・・)」が現れ、かじかむ手でシャッターを切りつつ、今一度感銘を受ける。

足の痛さと冷え込みから、バスの助けを途中で借りながら、島まで歩く。
大荷物を持ち、指にビニール袋が喰い込み痛い。くたびれた中聴く今年最後の一枚は、トム・ウエイツの「ボーン・マシン」。ときに土俗的だったり、マーティン・デニー的キッチュなエキゾティシズムも覗く一枚。
陽が沈んだ後の大晦日に夜道を歩きながら聴いていると、心情とまじわり合いながら妙に安堵を運ぶ。
今の自分にとって、クリムゾンと共にリアリティに手が届く音楽。

この中の素敵なピアノ曲もあるが、今年最後の日に愛する人たちに一曲を贈るなら・・・と思うと、今の自分はこの曲を選ぶ。自分へも含め、たくさんの痛みをしずめるための鎮魂歌である。

■Tom Waits 「Tom Traubert's Blues」1976■














































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