こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年12月14日 月曜日 「スケッチブック -モネ展・上野都美館-」

2015-12-14 23:56:04 | スケッチブック

前を通るたびに「また行列か、、、も少ししたら来よう」。
毎週そうつぶやいている間に最終日になってしまったモネ展。
ついに尻に火が付いて、必死になって行った上野の都美館。

正直、展示内容は大仰な広告ほどのものでは無かった。
また、絵の配置の仕方、人の動線を考えていないロケーションが上手くなかった。
そういうスタッフ側の出来は別にして、モネ展を見れたことに感謝した。

見終わって外に出た道で友人MZ師からTELあり。
「どこに居るの?」「今、上野の森だよ。」
そんな彼は、奥さんの義母を連れて箱根に居るという。「偶然だが、午前中箱根の印象派の絵を視ていたよ。」

彼に言われて「そうだな」と思ったのが、よほどなことがないと普通見られない絵を、目の前で見られる幸福。
「お互い、カネと自由時間がある利益収奪者や泥棒連中じゃないからね。海外になんか早々行けやしないんだから。」

最終日とあって、中に入るのに50分を要する。辛抱する。
都美館3フロアのうち、上がって行った最終フロア2階。

そのフロアは、70・80代にモネが描いた絵をまとめていた。初めて見たものばかり。
しだれ柳・日本の橋・・・目が悪くなるなか、キャンバスにのせた絵の具と筆。
荒々しい筆の転がりと、狂ったような色使い。かすれて塗られていない箇所・逆に絵の具のかたまりがこんもりとそのまま凝固した箇所。

【「キスゲの花」1914~1917年作品】
多くの人は注視して観ていなかったが、私が引っ掛かりを持ったのは、このフロアに掛かった絵たち。肉々しい絵につい急に吉田カツを想い出す。それくらいに、この時代の絵は従来のモネの絵画への印象とは異なる躍動感。

眼が悪かったモネは、これらの絵の全体像を、睡蓮の連作のようにして、微細な印象を表現すべく練磨した神経では描いていない。色や形をきちんと認知していたかは分からない、ある意味筆の成すがままに任せたはずである。ただ、絵とはそういうものであり、偶然が成した痕跡を一定距離や時間が、その佇まいを醸造する部分がある。
そこに一定の作業が作り上げた集積物が在る、という姿。

ある印象を形として成そうとした画家が、それを離れて、もう一つの絵の在り方に渡り・移っていったのは別段おかしくはない自然の成り行きである。
絵にはルールはない。自由だからである。
そんな自分の勝手で一方的な解釈で見られた70・80代の作品コーナーこそが、昨日の自分のめっけものであった。

そして、肉眼と紙ではおおいな違いだが、この時期作品のポストカードを買い、外に出た。
絵が好きで来ているのかどうか定かでない人が群がる場所を離れ、外に出るとすでに陽は沈んでいた。
とにかく静かな場所へ。。。と森に入り込んでは歩き巡り、たばこに火を付けた。

人が居ない方向へ。
上野公園から鶯谷、入谷、下谷、三ノ輪を通り越し、日本堤、山谷を抜けて島まで歩く。時折雨が降ったりやんだり。

暗い道で聴き通したひさしぶりの「ポセイドンのめざめ」が素晴らしく良かった。
”プログレッシヴ・ロック”という呼称が一般に使われるが、ほかに使う言葉がないからそう呼ぶんだ、というのがよく分かる。
キング・クリムゾンという唯一無二の音楽はロックという概念ではくくりようもない。それはピンクフロイドもイエスもELPも同様だが。

暗い道とか外の電飾・街灯とあいまった世界がシャッターを押させるうちに、「ポセイドン」はじぶんをオルナタティヴワールドにいざなっていった。

■King Crimson 「In the Wake of Poseidon」1970■












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年12月13日 日曜日 「ニューウェイヴ・カセットシリーズ ② 1981年11月20日」 

2015-12-14 00:19:54 | 音楽帳

カセットをシリーズ化し出した、その2巻目。
A面1~4曲目はNHK-FM「軽音楽をあなたに」から。すべてライヴであり、レコードにはない魅力的なヴァージョン。
この日、学校からまっすぐ帰って、夕方聞きながらエアチェックしたものだった。

この4曲は、新譜「URGH!MUSIC WAR」に収録された曲。
新譜と言っても、実際この2枚組LPが国内発売になったのは9月21日のこと。

そして、5・6・7曲目は、クロスオーバーイレブンからの曲。
この並びを視て「そういえば・・・」とカセットテープを今年買ったラジカセに入れてみると、記憶は正しかった。
実際は8曲目が入っている。

途中で切れたためにインデックスカードに記載は無いが、ジャパンの「マイ・ニュー・キャリア」が入っている。ティム・ブレイクの音が細くなって行き、消えていく後に出てくるジャパンへの繋がり。その合い間にある静けさの中のFMノイズ。
それがわたしには絶妙で、切れてしまった曲を消さずに残していた。

■Japan 「My New Career」(Old Grey Whistle Test, Dec. 1980)■

ひとりきりになりたいなんて
思ったことはなかったくせに
とにかく僕はそっと家を抜け出して
ここまで来てしまったんだ

南に住む人々は
ささいな人生の浮き沈みを繰り返しながら
まっすぐ前を向いて歩いてる
確かな足取りで

彼らが僕たちの唄をうたってる
外の人々には何も聞こえないけれど
彼らが僕たちの唄をうたってる
僕の新しい人生のはじまりに

やっと気づいたんだ
違う生き方もあるということに
船が港に着くたびに
出発の時はやってくるのだから

南へ行けと彼らは言うよ
太陽は僕の町には沈まない
僕を物憂い気分にさせるのは
この熱風の中の疾走

僕は誰ひとり傷つけたりしていない
ことに 君を傷つけるような真似は

1981年すり切れるほど聴いたジャパンのLP「孤独な影」。1980年作品。
デヴィッド・シルヴィアンがこの曲を創ったのは、まだ21歳。

すでにジャパンとしての4作目。
少年の中で鬱屈したものを表現として昇華させ続け、相当な自己との闘いの末、到達した4枚目。この方向感はすでにこの時点で確固たるものとなっており、その後進むべき道を明示している。

LP「孤独な影」は、じぶんの中でも(YMO群を除いた)生涯の100枚の中の一枚である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする