こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年11月7日 月曜日 リハビリ・音楽 井上陽水「夢寝見」'90

2011-11-07 21:09:43 | 音楽帳
87年以降、精神のカケラががあちこちに散乱した状態のまま、大学時代は進行した。

何も寄る辺なき身の中、空虚を埋めるべく日々夜になるとせっせと絵をひたすら描いた。
クスリをやりながら。

しかし、船出の時は迫っていた。
昭和と東西冷戦が終焉し、そしてバブルが崩壊し、時代は静かに次の地点の見えない未来に向かっていた。

船出間際の最後の年末が近づく頃。
深夜、クロスオーヴァーイレヴンに、12時からはジェット・ストリームを聴いていた。
当時は、コーナーがあって新譜を紹介していた。珍しいことに。

そこで、ある週にスザンヌ・ヴェガをエア・チェックし、別の週には、同じカセットテープに井上陽水の「ハンサムボーイ」を録音した。

ウィキペディアで確認すると、このアルバムは、1990年10月21日の発売。
その少し後に聴いたのだろう。

ただ、このアルバムには、当時CMにかなり流用された曲が色々入っていて、既に知っている曲も多数あった。
陽水、達郎は、クルマのCMではよく使われていた。

昭和天皇が体調を崩された後に、自粛ムードの期間があった。
日々、夜中、NHKには、クラシックをバックにして、その日の昭和天皇の体温・血圧等の数字が画面に乗る日々が続いていた。

日産のCMでの「くうねるあそぶ」は(たしか?)糸井重里さんのコピーだと思うが、クルマが走る中から陽水が「お元気ですかあ?」と顔を出して言う場面があったが、その音声もある日を境にカットされた。
口は開いているが、音声が消えていた。
そんな時期を思い出した。

***

ジェット・ストリームでもかかった「夢寝見(ゆめねみ)」が好きだった。
コーラスで妻、石川セリのヴォーカルがこの曲を一層妖しいものにしている。
当時、このMTVをヴィデオに録画したが、どこに行ってしまったか不明。
ただ、曲のデジタル感と共に、そのMTVの原色使いの美しい映像は是非、購入して手に入れたいほどの作品だった。

このアルバムでは、古い頃からの縁である細野さんがベースとシンセを弾いている。
コシミハルさんもシンセで参加。
デジタルのプログラミングは藤井丈司。
このデジタル感と色鮮やかなシンセの音の美しさは逸品。

CDそのものは、大阪に行って初めてマランツのCDプレイヤーを買って以降に聴くことになるが、よくカセットで夢寝見~自然に飾られて~長時間の飛行を聴いた。



青いまぶたのシャドウが 瞳の影を彩る・・・
ホテルの広い窓から 無数の星がまたたく・・・

ハイウェイを滑るライトが 魅惑の夜へ流れる・・・
行方知らずでいいから 二人で恋をさまよう・・・

with Moon Light Lover
with Moon Light Lover
when, I'm in Blue ・・・


(コーラス)
言わないで Sing it,No-One Making Love,It's Beautiful
言わないで Sing it,No-One Making Love,It's Beautiful
言わないで Sing it,No-One Making Love,It's Beautiful


ながい口づけ交わして 都会の海を漂う・・・
別に愛してないから 未開の声でささやく・・・

with Moon Light Lover
with Moon Light Lover
when, I'm in Blue ・・・

***

自分が大嫌いなカラオケ。むかしむかしの当時、新入社員でもあり、その頃はやむなく巻き込まれた若い頃。歌わざるを得ない場面があった。
好きな陽水の歌を選んだりしたが、絶対にうまく行かない。思うようには歌えない。
そういう経験を通じて理解したのが、陽水だから歌えるんだということ。陽水が歌うからこれらの曲は輝くのだと。
普通の凡人が歌っても、唯一無二の陽水の世界にはならない。
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2011年11月5日 土曜日 リハビリ・音楽 サイキックTV '83

2011-11-05 14:01:24 | 音楽帳
金曜日の夜ともなると、電車の車内では立ちながら「ガクッ」とひざをやっている立ち寝の人を幾人も見る。
たまたまか?
座る人も、ぐったり寝ている人に見えることが多い。
疲れもピークなんだ。

だけれども、一方で、仕事していないのか?元気なのか?ケータイかゲームをいじくりまくりの人が大多数。


3・11後、もうすぐ8ヶ月が経過する。

東京の街は、震災があったこと・放射能が降り続くことを忘れている。
御歳暮、年賀状販売、クリスマスに向けたデコレイション・・。
節電・・ということで明かりを間引いていることは続いているが、それ以外は平成といった感が、今の東京。


ネットに行くと熱気に包まれて活動している人々に出会う。
自分には、そういうチカラが既にない。
器量が狭いからだろうが、自分のことすら出来ない自分。
日々をなんとかしてしのいでいくだけでチカラ尽きてしまう。

***

3・11後、やたらと「頑張る」というコトバを耳にする。
過去震災後生きて存在しているだけでも十二分に「頑張って」いるのに、そういった言葉を使うのはやめた方が良い、と言ったことがあった。

と、いいつつ、つい無意識に使っていることもあり「いかん」と思うことがある。
普段、自分はこのコトバをかなり意識して回避している。

街を歩けば「がんばろう!〇〇・・・」という文字が目立つ。また、スポーツには顕著だが、この言葉が濫用されている。
たまに見るテレビもこの言葉がよく使われている。
日本人の勤勉さをある面では表しているのかもしれないし、ほかに相当する言葉が無いからかもしれない。

***

日々をなんとかしてしのいでいくだけでチカラ尽きてしまう自分は、やはり音楽や本に自分の内面的な潤みを発見し、若干のチカラを得ている。

大きな声で叫ぶよりも、静寂感持って少ない言葉が、場を吸引するように。
何かそういうチカラの方に自分は傾く。
飛ぶチカラの無い者は、じりじりとカメのように歩く。

先日、紹介した2004年友人に上げたコンピレーションCDにも入っていたが、サイキックTVの曲。
1983年2枚組で発売された彼らのファーストアルバム「テンプルの豫言」。

「ただよいのセレナーデ」というメロディアスな曲は、渋谷さん・教授のサンストでもかかったが、当時3500円くらいで購入した。

購入したは良いものの、不気味さと聴き込みの足りなさから、中古レコード屋さんに売ってしまった。
その後、かなりを経て2000年代に入って、CDで手に入れてから、再び聴いたのだった。

***

YMOの1980年写真集「OMIYAGE」で教授が最近好きなレコードとして上げていたアルバム、クラフトワーク「放射能」・イーノ、マンザネラ等のユニット「801」と並んで掲載されたスロッビン・グリッスルに初めて出会う。

思えば、「Bー2UNIT」を作るに至るバックグラウンド、教授の脳の中にあった音楽像の一部。
リーダーであったジェネシス・P・オーリッジと教授は、「OMIYAGE」にも掲載されているが、ツアーの会場で初めて合い、ジェネシス「ライヴの最中、キミのシャツばっかり見ていたよ」教授「このシャツ、上げますよ」とその場で脱ぎ、ジェネシスが来ていた戦闘服と交換した。


スロッビン・グリッスルを聴いている頃、マーティン・デニー風にジャケット仕立てした「スロッビン・グリッスル・グレイテスト・ヒッツ(でした、失礼)」というギャグLPのバック写真に、ジェネシス・P・オーリッジがYMOシャツを着ているモノクローム写真があった。

この後、彼らは分裂し、クリス&コージーとサイキックTVに別れた。
サイキックTVは、そのユニット名通り、精神・宗教といった側面に重きを置いた。

その後、ジェネシス・P・オーリッジは、日本に夫婦で来日しては、宗教的祭事をステージで行なったり(裸の全身に針を刺したり)、ジェネシスが妻に整形し・妻がジェネシスに整形するという性別・容姿を逆転させる「アート?」を始めたり・・・
どうも付いていけなくなった。

***

「テンプルの豫言」の2枚目は、とても静かな音楽が多い。
「サイキックTVのテーマ」として8曲収まっているが、パート1のピアノとクラリネットの曲が好きで、2004年のコンピレーションCDに納めた。

YOUTUBEには、このパート1と共にパート2がアップされていた。
パート2は、人骨で作られた笛で奏でた音楽。
「テンプルの豫言」には、こういった民族音楽や宗教的匂いが強い音が収められていた。

自分はあくまで、リラックス出来る音楽として、このパート1を好んで聴いている。

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2011年11月4日 金曜日 リハビリ・音楽 ネイキッド・アイズ「Always Something・・・」'83

2011-11-04 22:06:22 | 音楽帳

■Naked Eyes 「Always Something There to Remind Me■



ネイキッド・アイズのデビューシングル「オールウェイズ・サムシング・ゼア・トゥ・リマインド・ミー」のヒットは喜ばしいことだった。
それは、実質的にこの音を創っているトニー・マンスフィールドへの拍手。

「ロマン神経症」(1981)「ボク、大丈夫」(1982)で、幸宏の片腕として名盤に仕立てたのも、トニー・マンスフィールドの力量と、彼に影響を受けた幸宏からの信頼ゆえのこと。
教授のサウンドストリートで1981年にかかったニューミュージックの「While You Wait」。
鈴木慶一ら玄人ミュージシャンに絶賛されたトニー・マンスフィールド率いるバンド=ニューミュージックも、いくら音楽的に素晴らしくてもセールス的な実績を残すこと無く、不遇な目に会っていた。

その彼が、素朴でメロディアスな音楽をプロデューサーとして展開し出したのが1982年。
マリ・ウィルソン、キャプテン・センシブルの素晴らしいアルバム。
そして、このネイキッド・アイズで、イギリスのみならずアメリカのチャートにまで侵食し出す。
これは、後に手がけることになるAーHAの布石のようなもの。

バート・バカラックの曲をトニー・マンスフィールドが仕立てると、こんな豪華で可愛く夢一杯のサウンドになる。
ドラムマシン、キーボード、ヴォコーダー、グラスの音・・どれをとっても、いかにもトニー・マンスフィールド然としたサウンド。
プロフィット5を使いこなし、独自の音を産み、多くの人に影響を与えたトニー・マンスフィールドの音。

要は、クレジット上はマリ・ウィルソン、キャプテン・センシブル、ネイキッド・アイズとなっているが、全てトニー・マンスフィールドが居なければ成り立たないドリーミーな音楽。
彼の音楽的に卓越した才能を世界が受け止めたことは、とても幸福な瞬間だった。
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2011年11月3日 木曜日 リハビリ・音楽 ヴァージニア・アストレイ「Waiting to Fall」'85

2011-11-03 14:51:18 | 音楽帳

■Virginia Astley 「Waiting to Fall」■

秋には、やはりヴァージニア・アストレイが聴きたくなる。
クロスオーヴァーイレヴンでエア・チェックした「ウェイティング・トゥ・フォール」の純粋無垢さ。

たいてい純粋無垢なピュアを目指そうとすると、そうでは無い音楽に出来上がる。
もしくは、如何にも作り物めいたところに行く。結果、実りの無いつまらなさに行き着く。
そんなものを感じさせない、というのがヴァージニア・アストレイそのものの存在感を示している。


83年10月1日に日本発売された「プロミス・ナッシング」で初めてヴァージニア・アストレイの存在を知る。
ジャケットの美しさにまず惹かれ、その後、クロスオーヴァーイレヴンでかかった「過ぎ去りし夏」の音像が深夜自分をいざなう。

鐘が鳴り、鳥が鳴く空気の中、遠くからやってくるピアノ、そして少年少女とヴァージニア・アストレイのコーラス。
絵画的で映像が頭に浮かぶ。
秋の並木道を歩いている風景。
木漏れ日、樹木、紅葉、土の香り。

主には、エア・チェックやジャニスから落としたカセットで聴きながら、なかなか見つからなかったレコードを、足を使い減らしてせっせと、彼女のレコードを探し出す。


これはジャニスで発掘した「プロミス・ナッシング」のCD盤。


裏面の写真には、古い洋館、草むら、花、少女、いかにもヴァージニア・アストレイの世界。

***

「ウェイティング・トゥ・フォール」は、勝手に「秋を待つ」と頭で訳しているが、彼女ならではの静謐の世界。説明は一切要らない充足。

先週末、某世界的大会社さんに行くのに、密閉された空間から出て、しばし歩き・秋の風情を楽しんだ。
漂う秋の香り。自分が一番好きな季節。


樹木


湊橋から臨む川の風景


信用金庫のポスターのかわいい絵に目が止まる


傾く日差しの中のすじ雲
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2011年11月2日 水曜日 リハビリ・音楽 カラー・フィールド 「シンキング・オブ・ユー」'85

2011-11-02 22:33:18 | 音楽帳


秋、というより、ボクは冬に聴いていた記憶が強い。
シングルで発売されたカラーフィールドの「君を想う」。

■Colour Field 「Thinking Of You」■


1983年生まれたニュー・アコースティック・ムーヴメントとは、何だったか?
ただのアコースティックとどう違うの?
と言えば、前者は、70年代終わりから爆発し世界を包んだテクノ〜エレクトロニクスの嵐への反動であり、そうでは無い地点に自分の居場所を求めていたことが、音楽シーンの中に波紋のように現れた現象だった。
そういう時代の中で存在した音楽をそう音楽界はくくった。

音楽は時代と無縁では無い。
画家が、その絵を評価されないまま不遇の時代を過ごすことと同様。
アートが産まれた時代と変わった時代に再評価、と言われるのは、時代の有り様と音楽が持つ位置付けが変化し、その中で見えてくる・聴こえてくる響きが異なることを意味する。

カラー・フィールドも、た・ぶ・ん・・・ニュー・アコースティック・・・と語られるのだろう。
ボクは、そういう意識は当時無かった。
ただ、この曲の持つみずみずしさやほのあかりには癒された。
貴重なる12インチシングルの温和な小さな世界。

時は、既に不幸な80年代中盤の行き詰まりに入っており、ニュー・アコースティック・ムーヴメントと現れた幸福感ある時代とはニュアンスが異なっていた。
テリー・ホールという人は、時代に敏感で、スカ/2トーン・ブームの中心でスペシャルズに居たかと思えば、その後にはファン・ボーイ・スリーを創り、そしてその後に、このカラー・フィールド。

当時、自分が夢中になって週末に見ていた土曜の夜の「オールナイトフジ」。
そのバックに、この「シンキング・オブ・ユー」がかかったシーンを思い出す。


確か女子大生2人が、憧れのイギリスに行き・現地のファッションや風土を紹介したコーナーでこの曲がかかっていた。トラディショナルなものに憧れて、ジャケットやセーターを買っては着ていた自分。
そのイギリスでニック・ヘイワードにインタビューして、リラックスしたその部屋でニックがギターを弾いて2人に曲をプレゼントした。なんという贅沢。

そうだった。それを仲介し、通訳をしていたのがトシ矢嶋さんだった。
2人の旅先案内人を勤め、当時のディスコにも連れて行き、3人一緒に踊っていたシーン。

日本は超情報世界の渦の中に呑み込まれていくなか、そのイギリスの穏やかな様は、遠い憧れの夢のような感触だった。
本当の現実は、イギリス労働者たちを包んだ不幸が、スミスの出現を産んだように、決して平和なんかじゃ無かったが、TVを通して見た世界はそうでは無かった。

***

当時「シンキング・オブ・ユー」をクロスオーヴァーイレヴンでエアチェックしたカセットテープの次の曲は、ダリズ・カー(ミック・カーン&ピーター・マーフィー)の「ライフロング・モーメント」。
それとは違うカセットだが、ヴァージニア・アストレイの「ウェイティング・トウ・フォール(秋を待つ)」と合わせて聴いていた。
浪人時代の浅い段階。音楽を聴くことで、現実から逃避していた。

去年の暮れに読んだ本「狂いのすすめ」に、こんな狂った世界をまともに取り合っていたら自滅してしまう、そう書いてあったのとリンクする。
精神面でもし「現実」に逮捕されずに、逃避して逃げ切れるならば、せいぜい逃げた方が良い。
発狂してもおかしくない時代に、誰も助けてなどくれはしない。
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2011年11月1日 火曜日 リハビリ・音楽 オルタード・イメージ「シンキング・アバウト・ユー」'83

2011-11-01 22:04:57 | 音楽帳


今夜の夜想曲は、オルタードイメージの「シンキング・アバウト・ユー」を選んだ。
「君を想う」。

■Altered Images 「Thinking About You」■


オルタードイメージに初めて出会ったのは、渋谷陽一さんのサウンドストリートだった。
女性ヴォーカルと数人の男性というユニットはよくあるケース。
そして、その中で、そのユニットを魅力的にさせ、特徴付けるのは女性ヴォーカル。

初めて聴いた頃は、まだ自分にもキャピキャピした音が聴けた頃だったが<などと言いつつ・その間は2年位しか離れていないが>、クレアちゃんのヴォーカルが容姿含めて飛び跳ねていた。
クレアちゃんの原色派手派手な格好とヴォーカルは、後の戸川純やシンディ・ローパーに繋がっていく。

1983年8月に発売された「BITE」というアルバム。
日本盤の邦題は「モノクロ・ムーヴィー」。
そのジャケットで、クレアちゃんが全く180度ガラリと変わった様にまずは気づく。


元々、素顔はキレイな顔立ちをした可愛い子だったが、ここではオードリー・ヘップバーンを模している。

この「BITE」のジャケットを見るより前に、ボクは先立ってシングルカットされた「ラヴ・トウ・ステイ」を幸宏のオールナイトニッポンで聴いた。幸宏「ボク、クレアちゃん好きなんですよねえ。」かたちんば「ボクも!」
トシ矢嶋さんがロンドンから幸宏あてに送っていた新譜。
(後に、細野さん・幸宏が言っていた。
トシさんが当時最新のオススメ曲を集めたカセットを、ロンドンから定期的に送ってくれたものに、大いに刺激を受けた、と。
そして自分らの音楽の方向性にも影響した、と・・・)

雰囲気が変わって、オトナのムードを漂わせた曲「ラヴ・トウ・ステイ」。
とても、ゆったりした曲調が美しい。
AMラジオからカセットに録音したものだったから、音質はそれなりだったが、何度もこの曲を聴いた。

その後、FM東京の夕方「(確か?)軽音楽をあなたに」で、Bー52’Sの「ワーミィ」、キッド・クレオールのコーティ・ムンディのソロなどと一緒に、4〜5枚のアルバムが紹介されて、全部録音した。
「BITE」からは4曲くらいだったと思うが、全体にゆるやかな揺れる音の様に酔った。
後にアルバム全曲を聴いて、まだ過去のキャピキャピ感残る曲も入っていることを知るが、ジャケット写真と静かな曲のイメージが圧倒的に大きくて、すっかり惚れ込んでしまった。


1983年の秋は、このカセットテープで「BITE」の美しい曲たちを聴いていた。

このアルバムは、真逆のイメージを打ち出すことで聴衆を引き付けようとするプランに沿ったものだったが、それでも自分はまんまとそのワナに喜んでハマって「ああ、良い曲やなあ・・・」と浸っていた。

結果的には、このアルバムがオルタードイメージ最後のアルバムとなった。
LPレコードを持っているのに、CD化されたモノまで飛びついて買った。
一体、どこまでハマるのやら・・・、と神さまは天から嘆くだろうが、ボクはこのアルバムでのクレアちゃんの柔らかい曲が今でも好き。

たぶん、未だにこの瞬間のクレアちゃんに恋をし続けているのだ。
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