■昨夜から今朝■
13日の金曜日夜、極寒。と言ったら笑われるだろう。
夜に仕事場を出ると、身を切るような空気。耳が痛い。
しかし、しょせん”とうきょう”なぞのさぶさは、寒い地域の土の上に住まう人の比ではない。
ただ、その空気をずっと生きてきた。
ところが、島に戻ると寒さはさほどでもない不思議。煮物を温ため、お湯割りを呑む。
頭ばかりが勝手に暴走し飽和の末、くたびれて眠る。
いつだってそうだが、今日は珍しく9時間近く眠る。太りたい、そう無理をして食べると少しは体力になるようだ。
起きると、今朝も良い天気。
社会は”出口無し”の2015年世界とは思えないおだやかで静かな青空。
その世界を離れるべくワープをする。
別の意味でどん底だった1981年から1982年の年明け後。
希望は無く必死な日々だったが、救いがあった。当時は受験さなか。過ぎ去ったから比較が出来る。
■冬・1~2月■
2月は、当時も今も、春へのキャンペーンが始まる時期。
ビール会社は、クソみたいに「右にならへ!」とこの後の日々は「春ビール」広告になっていく。
まあ、テレビを見ない自分には、今ではそのしつこさは余り影響はない。
壇れいさんはかわいいと思うが、CM自体がステレオタイプでつまらない。
季節が変わろうとすることに応じて広告を打ち出し続けることには、もう何の感覚も覚えない。商売という車輪しか視えない。
そうは言っておきながら、街を歩いていて、そんな広告を見るとついシャッターを切ってしまう。
それでも病魔に憑りつかれておらず「まし」だな、と思うのは、よどんだ隣組社会の群衆のなかならぬ、解放された放浪のさなか、街でそんなポスターに出会うことくらいだろうか。
1982年1月から2月にかけた寒い時節。
スケジュールされた受験日から受験日の波間。つらい孤立無援の鬱の闇。
そんなさなかでも、一条の光はあった。
当時をひも解くために、録音したカセットテープ、それにホームページ「アルコ堂」をめくり教授のサウンドストリートのページを見ると、当時自室で録音テープを聴いていた像に近づいていく。
1月12日放送の中で、教授がCM用に作った曲を掛けてくれた。
春の化粧品「パーキージーン」。
■資生堂パーキージーンCM■
CM短秒の間に聴こえるヴォイスは鈴木慶一さん。そのバックの女性の掛け合い声はスーザン。
日本語の語りは、言うまでもない小林克也さん。
当時のコマーシャルには、15秒なり30秒の間の夢があった。
コマーシャルに出てくるお姉さんにときめいたり、映像と音楽は魅惑的だった。
ビデオももっておらず、さまざまな制約下にあって、目に焼き付け作業をしていた。
そうでした!CMといえば車・ビールとあと…
そう、お化粧品の事をすっかり忘れていました。懐かしいです。
今日の作業BGMは「MOON RIDERS CM WORKS 1997-2006」+「冷えたビールがないなんて」に決定しました。
あと幸宏さんのスーパーニッカとカシオCZとチオビタとかも…細野さんのコンタックとか教授の日本生命とか、あーっ書いたらきりがありませんよね(笑)。よく固まってました。
それではよい休日を。
「ん?もしや」と反応。
そしてクレジットを確認したり雑誌で情報を確かめると教授であり、ユキヒロさんであり、細野さんであり…という嬉しい発見。
数年前に教授のCM仕事を集めたCDを買ったら、「中華三昧」のスタジオデモが入っていて涙。
さてPJですが、あのメイクパレットは自分で好きな色や種類を組み合わせるので非常に画期的で便利だった。
もっとも私がたまに化粧をすると、はっきりした顔だったゆえに「なんだかニューハーフのようだ」と男子に揶揄されましたが。
ムーンライダーズにそんな編集盤があること、知りませんでした。教えていただいてありがとうございます。
それで想い出したのが、ビールだったか?のCM。
男女3人の若い外人と浜辺のシーン。武川さんの「とにかくここがパラダイス」。
CDは持っていないのですが、「あの夏」の切なさが記憶のなかでたゆたいます。
おっしゃるように、記憶に刻まれたCM音楽は指折り数えていったらキリがないですね。
時系列で、紙に鉛筆で書いていって、ここに起こしたいところですが。。。
keronさんも、良いお休みをお過ごしください。
クレジットがあればよいのですが、何の表示もないけど気になって仕方がないもの、たくさんありました。今でもナゾなものがあります。
一部は、80年代のどこかで発刊されたCM雑誌を買い、めくってやっと分かったものもありました。
しかしCMは当時視れども、手に入れられる視覚はありませんでした。お酒はそのような歳ではなく、化粧品は性別上ありえないし。。。(数年後デュランデュランが出てくるサントリーの「Q」は、高校生のクセして隠れ呑んでいましたが)
「自分で好きな色や種類を組み合わせるので非常に画期的」だとは、使う女の子でしか分からないこと。そういえば、当時教授はお化粧をしていましたが、使っていたのでしょうかねえ。
「Q」(笑)私も相当お世話になりました。
あれ、典型的な安酒で、飲むと確実に悪酔いしましたね。あと私は家飲みは「タコハイ」でしたね。
なんであの時代は「酒」と「音楽」になっちゃうんでしょうね。
ま、今でもですけどね。
単純に安かったからです(苦笑)。
私はそれ以外に「コブラ」というやつを呑んでいました。
「樹氷」というものもありましたね。
『酒を呑む』という行為そのものに憧れていたので、そうなったわけですが、私も四月の魚さんへ同様かなり苦しみました。
昨夜は久しぶりに、静かに外で呑みましたが、やはり一人で部屋で呑んでいるのが好きです。