師走に「一年は早いですねえ」という常套句を”あいそ”で必ず使う者ほど信用ならない人はいないが、それは別として、個人の体内感覚として、今年の月日の速さは異常である。
もう3月が終わろうとしている。
つぼみはふくらんでいたのだが、やっと近所のもくれんもきれいな花を開いた。赤紫と白。
梅は場所によっては、こないだの雨で散っているけど、種類によってはこれからが本番という樹も多い。
昨夜帰宅が0時を回った。好きなインパルスのコントを暗闇で見て明け方になって眠りに堕ちた。
いざ目覚めると、一週間の溜まった疲れが押し寄せて立ち上がれない。
朝、TBSラジオで堀尾さん&長峰さんの放送を掛けながら横になってお茶を飲みウトウト。
次に目覚めると、永さん&外山さんのラジオになっている。
悶々と寝たり起きたり苦しんでいるうちに昼。
不調感から脱せられず、そのまま久米さんの「ラジオなんですけど」に突入。
ごはんを食べて、お風呂に入り、外にやっと出られたのは15時。
外は春特有のぼんやりした陽気。不明瞭で調子狂う。最近またもや現れ出した離人感覚の一部はこの陽気のせい。
カメラを持って歩き出すが、いまいち精神がドライヴしない。
バスを使いつつ街を歩くが、色も風景もぼんやり濁っている。歩いているうち、腰痛がひどくなり歩けなくなる。
夕方、店員さんの真面目さが好きでよく入る古本屋さん。二冊買う。
読みたいと思いつつ見送ったものをメモする。ドストエフスキー、河合隼雄、田辺聖子、宮台真司、小林弘幸、”ぶたぶたの本屋さん”、アッコちゃん、丸尾末広、寺山修司。
池田清彦さんという方と、本を通じて初めて出会う。構造主義生物学の路を歩く教授。
お店で本を選ぶとき、ぱらぱらとめくったページの文章に、今日買うべきと判断した一節。
ごく一部、本のイントロ。
「小学生の頃、夜中にふと目が醒めて、やがて自分も死んでしまうんだと思ったら、恐ろしくて涙が出てきた経験をおもちの方は案外多いのではないだろうか。案外どころではなく、この国では一度としてそういう経験をしなかった人の方がむしろ稀かもしれない。大人になって日常の様々な雑事にまぎれているうち、人はだんだん純粋な死の恐怖を忘れてくる。いや、そういう言い方は正確ではないな。正確には忘れたフリをするようになると言うべきか。
五十歳を過ぎても、純粋に死ぬのがこわいと言い切れる哲学者の中島義道のような素直な人は別格として、多くの人は、死ぬのがこわいと口にするのは何となくはばかられるような気持ちになってくる。社会というのは純粋な恐怖と純粋な欲望を隠蔽する装置であるから・・・」
自分の中で、この数年よみがえってきた事柄とリンクする。
今、半隠遁できているのも含め、影響を受けた中島義道さんを引き合いに出していることも、この本を手に取った理由の一つ。
歩き出したときはコートも暑いくらいだったのが、夕方からは着てきてよかったという具合の冷え込みになる。
■The pop group 「We are all prostitutes」1980■
おれたちは娼婦だ
あらゆる人に値段がついてる
おれたちはみんな娼婦
みんな値札をぶら下げている
生き延びるために、いつわりを学ぼうとする
侵略 競争 野望 消費者ファシズム
資本主義は、地上で最も野蛮な宗教
デパートはわれわれの時代の大聖堂
自動車の大群もその大義に殉じる殉教者
子供たちはおれたちに反抗し、立ち上がるだろう
なぜなら、おれたちは責められるべき者
なぜなら、罪があるのは、おれたち一人一人だから
かれらはおれたちに新しい名前をさずけるだろう
おれらの名前は、偽善者・偽善者・偽善者