今日も朝に夜にコートを着ていたが、正直「脱いでもいいかな」と思った。
最高気温は20度まで上がり、どう考えても春の到来。もう逆戻りはしないように思う。(そういうと戻るのだが)
相変わらずおでこのシワを気にしていたり、甘いものが欲しくなったりもあって、仕事をしながらイヨカンを食べたり、帰途でトマトとアボガドを買って帰ったり。パスタをゆでて、それと食べようと思って。
そう言いながら、土曜が仕事だったせいで中途半端にたまった衣類を洗濯する。
ずいぶんと行動が身軽。
帰った室内は19℃を指している。気温や季節が変わると、人の行動や暮らしは自然と変わるもの。
水ぬるむ、という言葉があるが、水が手に痛かった時期を過ぎ、つべたいけどその水のつべたさが心地良い温度に変わった。それこそが春の訪れ。
四季を与えてくれたこの地での幸福は、毎年こんな境い目を味わわせてくれること。季節が変わるたびに、出会えたものたちへの記憶と感覚を呼び覚ましてくれる。
■ジョニ・ミッチェル&ウィリー・ネルソン 「Cool Water」1988■
アルバム「レインストームとチョークの痕(あと)」より
大学時代はほとんど自分自身に向かい合う精神治癒とリハビリの旅期間で、音を遠ざけていた。そんなこの時期出会えた数少ないひとつが、ジョニ・ミッチェルのこのアルバムだった。
当時、明かりを消した真っ暗な部屋で椅子に座って、この曲を聴いていると気持ちが沈静化した。
初めてジョニ・ミッチェルを意識したのは、渋谷陽一さんの著書「音楽が終わったあとに」に記された文章。
渋谷さん自身がこの文章の最後に書いているが「まるでラヴレターのようになってしまった」という言葉に出会って、高校時代の自分はグッときてしまっていた。
あるいは、もう一つの記憶。
最高潮まで上り詰めたジャパンを自ら解散させ、自らの孤独を背負う覚悟を決め、その道を歩き出したデヴィッド・シルヴィアン。その彼が1984年秋・初めてのソロアルバムを出した際、教授のサウンドストリートにゲスト主演したときのこと。
選曲した1曲目がジョニ・ミッチェルの「トーク・トゥ・ミー」だった。ジャコ・パストリアスが弾くパオパオするベースが、なんとも印象的な一曲。
それ以来、渋谷さんやシルヴィアン同様、ジョニ・ミッチェルへの魅力は未だ体内で続いている。
微細な音の触感、波紋のように広がる世界。