こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : 夏が終わる

2010-09-18 18:00:29 | 雑記帳
9月15日(水)仕事はお休み

堂々と休んでいながらも、暗くじめじめした部屋に籠っていた。
雨が降っていた。

撮りだめた、みうらじゅん先生&安斎肇さんのラジオ番組のmp3を聴いていたが、一向に気は晴れない。
その中に、一緒になって入っていけないのだ。
いつもなら入っていけるのに・・・。



自分の「内なる世界」が「空虚」もしくは「ウツ」に染まっていくさまは、幼少の頃から慣れ親しんで来た感覚だが、時が数十年経っても変わらないことに、いまさらながら嫌気がさす。

すっかりほとんどTVを全くゼロといって言い程見なくなった生活・・・・。
新しい「げーのーじん」も「はやり」も全くわからなくなってしまった。
「わかる必要もない」からそれでいいのだが。

全ての情報源をネットとラジオから得る生活も随分と長くなった。
というか、一人の時間が長くなった。

こんな1人暮らしも4年近くなると、ヤドカリさんみたいに、自分用の殻が背中にはえ始めるかのようだ。
ヤドカリさんになれるなら、なりたいが。

***

じとじとと、じめじめと、部屋でひたすら横になっていた(-_-#)。

小沢がやぶれ菅が勝とうが/押尾学がシャバに出た途端に射殺されようが/田代まさしがつかまろうが・・・・・・

まったく、僕のまわりの風景は、なんら変わらない。
その「なんら変わらない」事は、ずっとそうである。
政治がどうなろうが・芸人がどうなろうが・・・・自分のリアルな現実に影響することはない。

そんな事よりも、この雨はいつやむのだろうか?という目の前のナマの現実の方がリアルである。
政治と自分の幸せはまったく連動しない。

***

昔、中国の特別区「深セン」に出張した際、とある電車のとある駅で降り、駅前の人・人・人・人・人の渦に取り囲まれた事を思い出した。

貧乏なフリをした女が(ウソの・回しものの)赤子を抱いて、空き缶を僕の胸に突き付けてカネを入れろとくるわ、わざとぶつかりに来るわ・・・・・・。

そんな群衆を目の前にして、日本円で1万円あれば人一人殺すのはたやすいという特別区「深セン」の現実がわかり寒気が走った。

そのシーンにおいて、僕は、『数億人分の1人』でしかないことが迫ってきた。

たかだか自分1人がこの世から消えようが、誰も困らないし・誰にもわからない・・・
そういう中国という国の怖さを思い知った。

その出張の帰り、飛行機が成田空港に着き、そこからスカイライナーで上野の駅前のいつもの雑踏にたどり着く。
その幼少からなじんだ駅前の雑踏を見たとき「ほっ」として、自分が日本人で居て良かったという実感がわいてきた。

「人権」という事はこういう事なんだという事を思い知った。

それと同時に、日本の人1人を・1人大事にしていた内にこもった日本独自の文化・過去鎖国をしていた日本の文化と裏腹にして、近時の周囲の国に自国を売り払おうとする人々・・・・



僕らはその境目に立っているが、結局、政治がどうなろうが、周囲の国に自国を売り払おうとする『売国奴』ばかりが増える一方で、それと共に、不幸になる人ばかりが増えるだけで、浮かばれることがない。

そんな中、ヒタヒタと、だんだんとそんな不幸が、自分に向かって距離を近づけていく音は聴こえる。。。。。

***

戦後65年が経ったが、この国は本当に壊れようとしている。

わたしは、かたちんばであり、他人からすると相当な「変わり者」らしい。

会う全員が全員、そういう「レッテル」を貼る。

かつて一緒に仕事をしていた人が、その部下に僕を紹介するのに、
「カンタンに概略像を描くとしたら、中島らもさんをイメージ」したらいいそうである。

らもさんは好きだし、生前はリリパッド・アーミーの芝居をよく観に行ったし、ある種光栄な事である。

わたしは現実に日本人であり、日本という国が好きである。
しかし、なぜかそれを『愛国』というコトバに替えたとたんに『右翼』と変わる。
その話をみんな回避しようとする。
てめえは、その国に保護され、人権を守ってもらっているクセしやがって!!!

「かたちんばさんって、右翼なんですって?」と聞かれると素直に応える。

「そうだよ。わたしは右翼ですよ。」と仕事であっても応える。

***

雨は、夜まで降っていた。
そして、僕は籠もっていた。

僕の家には、数百枚のCDがあるが、聴いていないCDはたくさんある。

山積みにしながら、買いはしたもののおばさんたちの衝動買いよろしく、眺めている一方で、何かのきっかけ・発火点がないと聴かないものである。

そんなふざけた事を、十代の中学生の僕が見たら『なんという贅沢を!』と怒る事だろう。

しかし、彼と今の僕には30年という距離がある。

彼と僕の間には、さまざまな距離がある。

***



持っていながら、ロクに聴いていなかった「ファウスト」のCDを、次第に夕刻迫り・夜に向かい暗くなっていく中、初めて聴いた。

1曲聴いて「んんん?」と意外に良い感触があったので、次々に聴いていった。

音として、ロック的なギターやドラムが混じるのだけれども、決して汗臭い匂いがせずクール。
形式は明らかに「ロック」なのだが「ロック」と感じない。
さすがジャーマンと納得。

***

僕らの世代は、今のように、あらゆるサービスで持って「買って下さ~い」と「タダで音楽が聴け・海外音楽情報が手に入る」事などなかった。

レコード屋さんの店頭で、何度もそのジャケットを眺めながら、雑誌から切り抜いた評論などを参考にして中身を想像して、購入可否決断を迫られたものである。

それが「凶」と出るか「吉」と出るかは、神のみぞ知る世界だった。

思えば遠くへ来たもんだ。


9月16日(木)

朝、どしゃぶりの雨。

茅場町で降りると止んでいた。
雨はゲリラ的なものだったようだ。

朝から予約した歯医者。
また、のこぎりのような音の響く中、1時間以上掛けて治療。

仕事はいろいろ問題あれど、冷淡に済ませ、22:50帰宅。
ビールを呑み、かき揚そばを作り食べる。



特に、おおごとは無かった1日。


9月17日(金)

この日も同じようなもの。



3連休前という事で、その明けた日の対策が仕事の中心だった。

淡々とすませ、22:00に帰宅。

面倒くささとだらしなさが、点けた明かりの下、リビングの散乱する様を明白にする。
少々暑くて、洗濯機にシャツにくつしたを入れると、ラジオのスイッチを付け・パソコンを付ける。

1ヶ月に1回会うクリニックの先生に言われた事を思い出す。
「脳に栄養を与えないと、いくら抗鬱剤を飲んでも、神経伝達物質にならない。
マメ・チーズ・リンゴといったものを食べる事。」

納豆をこねて、たんまり食べる。
缶ビールを数本呑む。

睡眠薬を多めに飲むと1:00頃、眠りに堕ちた。


9月18日(土)休

なぜかタイマーが平日通りセットされていた。
そのおかげで、睡眠薬たんまり倍がけで飲んだのだが、ふだんと同じモーニングコールの嵐で、ふだんより早く起きてしまった。

夢を見ていた。
昔、近くに居た役員Uさん(上司の上司の上司)が「いやいやいや~。ご無沙汰ねえ~っ。」と柱の陰から、昔通り豆乳パックをストローで呑みながら現れて、カラダ叩かれる悪夢だった。
その人は、既に役員では無いのだが、今は悠々自適のせいか?もしくは、当時飲んでいたバイアグラのせいか?
俺ら=ボロボロ隊よりアンチエイジングされ、若返っていた。

「Uさん、顔若返ってますが、プチ整形しましたか?」と、夢の中で聞いたが、答えてはくれなかった。

昔、夏~秋に恒例化していた、Uさんの親戚が静岡で営んでいたミカン畑にミカン取り&大バーベキュー大会の記憶が、こんな朝の夢に出て来てしまったようだった。



缶ビールを近くのコンビニエンスストアに行く。
天気が良い分、それなりの温度にはなろうが、明らかに空気の匂いに「秋」を感じた。



どうやら、やっと夏が終わろうとしているようだった。

***

家でラジオを聴きながらビールを呑み、寝たり起きたり。。。。

幸福な休みを部屋の中で過ごす。
コメント (2)
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