すっかり家探しにくたくたになる中、ブログも更新速度遅く、実に「いい具合に」誰も見なくなった。
元々、独りゴトの世界の住民なので、それはそれで結構な事だ。
***
土曜日、かたちんばは家の事で迷ってAに連絡を取り、遭うことになった。
待ち合わせは有楽町のINZのHMV。
クラフトワークのCDを見ていると、Aは現れた。
Aはこの土曜も仕事だということで、池袋から電車に揺られてきてくれた。
***
酒を飲み、家の話をしながら、話は音楽の方に行った。
Aは、現在46歳、キング・クリムソンの大ファンだ。
「スターレス&バイブル・ブラック」と「太陽と戦慄」いずれが一番イイかファンとしては迷うところだが、追い詰められるとイイものが出来るところから「スターレス&バイブル・ブラック」が1番だと言う。
じゃあ、私=かたちんばのYMOの1番は?
と聞かれ、自分は「BGM」と答えた。
一方、Aは、「テクノデリック」と答えた。
Aは、久々に「BGM」を聴いて、「こんなにも苦しく荒れた音楽だったとは」と思ったという。
それに比べて、「テクノデリック」は、本来の自分らのペースを取り戻して、生き生きとしているという。
多分、「BGM」は息苦しいのだろう。
その認識は自分も共通している。
ただ、自分は、その痛々しさが好きだ。
リアルタイムで同時進行でこの2枚を経験した自分にとって、「BGM」は他人にとても勧める気にはならない。
1980年の第二次ワールドツアーを終えたカラダで、年を明け1981年1月からスタートした「BGM」の録音は、3月21日を発売日と決めた強行軍の中行われた。
最終のカッティングを含めればさらに時間は無い。その時間の無さに、歌詞カードが間に合わないという事態になった。
極めて実験的な色合いの濃い、制約多きレコードだった。
時間が無いことから、様々な制約によって構成された、タイムリミット重視の音楽作りである。
つまりは、ある一定時間がきたら、出来がどうあれ、「ハイ、そこで終わり!」ということで打ち切るという荒い手法が取られている。
ジョン・ケージの4:33になぞらえ、各曲の時間・分数を最初から決めて、作っている曲がどうあれ、その時間が来たら、そこで「カット」するという手法。
全体構成も、プロデューサーの細野さん含めて、一体どうなるのかわからない暗中模索の中、録音は進行したという。
はたから録音の見学に行った者たちはみな「一体どんな音楽に仕上がるのかさっぱりわからない?」といっていたという。
その不透明な中、唯一の光は、細野さんが「次は絶対いい物が出来る」という確信だけだったと言っていいと思う。
***
とにかくぐちゃぐちゃした不安定な不完成の音楽をある時間を経て、強引にある時間リミットが来た段階でカットし、それをパッケージして「BGM」という商品にしてしまうという、実に過激な手法で、このアルバムは構成されている。
未だ謎の多い、何度聴いても不思議な感じを覚えるレコードは、ここに由来している。
その「BGM」が僕は1番好きである。
***
Aは、「日本で唯一”バンド”らしい”バンド”だったのかもしれない」
という。
自分は、ビートルズの洗礼を受けることは出来なかったが、YMOの衝撃を浴びることは出来た。
僕にとって唯一、革命的な存在であり、自分の人生でYMOは「革命」そのものなのだ。
Aと酒を飲みながら、そんな事を思った夜だった。
元々、独りゴトの世界の住民なので、それはそれで結構な事だ。
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土曜日、かたちんばは家の事で迷ってAに連絡を取り、遭うことになった。
待ち合わせは有楽町のINZのHMV。
クラフトワークのCDを見ていると、Aは現れた。
Aはこの土曜も仕事だということで、池袋から電車に揺られてきてくれた。
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酒を飲み、家の話をしながら、話は音楽の方に行った。
Aは、現在46歳、キング・クリムソンの大ファンだ。
「スターレス&バイブル・ブラック」と「太陽と戦慄」いずれが一番イイかファンとしては迷うところだが、追い詰められるとイイものが出来るところから「スターレス&バイブル・ブラック」が1番だと言う。
じゃあ、私=かたちんばのYMOの1番は?
と聞かれ、自分は「BGM」と答えた。
一方、Aは、「テクノデリック」と答えた。
Aは、久々に「BGM」を聴いて、「こんなにも苦しく荒れた音楽だったとは」と思ったという。
それに比べて、「テクノデリック」は、本来の自分らのペースを取り戻して、生き生きとしているという。
多分、「BGM」は息苦しいのだろう。
その認識は自分も共通している。
ただ、自分は、その痛々しさが好きだ。
リアルタイムで同時進行でこの2枚を経験した自分にとって、「BGM」は他人にとても勧める気にはならない。
1980年の第二次ワールドツアーを終えたカラダで、年を明け1981年1月からスタートした「BGM」の録音は、3月21日を発売日と決めた強行軍の中行われた。
最終のカッティングを含めればさらに時間は無い。その時間の無さに、歌詞カードが間に合わないという事態になった。
極めて実験的な色合いの濃い、制約多きレコードだった。
時間が無いことから、様々な制約によって構成された、タイムリミット重視の音楽作りである。
つまりは、ある一定時間がきたら、出来がどうあれ、「ハイ、そこで終わり!」ということで打ち切るという荒い手法が取られている。
ジョン・ケージの4:33になぞらえ、各曲の時間・分数を最初から決めて、作っている曲がどうあれ、その時間が来たら、そこで「カット」するという手法。
全体構成も、プロデューサーの細野さん含めて、一体どうなるのかわからない暗中模索の中、録音は進行したという。
はたから録音の見学に行った者たちはみな「一体どんな音楽に仕上がるのかさっぱりわからない?」といっていたという。
その不透明な中、唯一の光は、細野さんが「次は絶対いい物が出来る」という確信だけだったと言っていいと思う。
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とにかくぐちゃぐちゃした不安定な不完成の音楽をある時間を経て、強引にある時間リミットが来た段階でカットし、それをパッケージして「BGM」という商品にしてしまうという、実に過激な手法で、このアルバムは構成されている。
未だ謎の多い、何度聴いても不思議な感じを覚えるレコードは、ここに由来している。
その「BGM」が僕は1番好きである。
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Aは、「日本で唯一”バンド”らしい”バンド”だったのかもしれない」
という。
自分は、ビートルズの洗礼を受けることは出来なかったが、YMOの衝撃を浴びることは出来た。
僕にとって唯一、革命的な存在であり、自分の人生でYMOは「革命」そのものなのだ。
Aと酒を飲みながら、そんな事を思った夜だった。