12月5日は北野天満宮のもみじ苑で御土居(おどい)のもみじを楽しみました。
御土居は豊臣秀吉が天正19年(1951)に京都の周囲に築いた土塁や堀です。
御土居は豊臣秀吉が天正19年(1951)に京都の周囲に築いた土塁や堀です。
現在10ヶ所が残りいずれも史跡に指定されています。
中でも、北野天満宮の御土居が当時の原型を最もよく残しています。
その目的には「防衛・堤防・洛中と洛外との明確化・寺社勢力との分断」があったと言われています。
北野天満宮の御土居は最も西側に築かれ、現在の紙屋川は水量が少ないですが、当時は暴れ川として氾濫を繰り返していて、その堤防の役目が大きいと思われます。
短期間での普請工事でしたが強度や排水にも考慮した強固なものでした。
また、頂上部には竹などの樹木が植えられ強度の向上がはかられています。
また、この時期には方広寺大仏、及び大仏殿の建設、寺町通の新設と大規模土木工事が平行して行われたていて秀吉の天下人としてに権力、京都改造の意気込みの程が分かります。
いつもはお茶処で老松さんの菓子とほうじ茶の接待がありますが、今年はコロナ禍の中で、お菓子は受付で渡され、なるべく自宅で頂くように言われました。
しかし、御土居のもみじ狩りの余韻を楽しむかの様に多くの方がほうじ茶で一服されていました。
この後、北野天満宮の境内を巡ります。