4月6日、主要伽藍を拝観し、御朱印を授与して頂く為に食堂(じきどう)へ。
2024年 草場一壽 陶彩画展が5月11日まで行われています。
陶彩画とは、一言で言えば、有田焼の手法を用いた焼き物の絵画です。
昨年は延べ10万人超の方がご観覧になった人気の個展で今年で6回目を向かえるそうです。
東寺を日本初の密教寺院とされた弘法大師空海は、今年の干支・辰(龍)とも縁が深いと言われています。
空海が唐の長安で真言密教第七祖・恵果大師に師事して密教の奥義を伝授されたお寺は青龍寺といい、他にも龍王を呼んで雨を降らせたという雨乞い伝説が各地に残っています。
作品には立体感があり、見る角度や光の当て方でまさに"七色"に変化して見えます。
熱心?に見ていると受付の方が親切に制作方法を教えて下さいました。
この"七色"の色彩は土に釉薬を混ぜて焼くのだそうです。
それぞれの位置ど色彩が違うので大変な労力が要るそうです。
食堂と講堂の間には夜叉神堂があります。
かつては南大門の左右には夜叉神像が置かれ、旅人が拝まず通ると罰が当たっていたとの言い伝えが残っています。
その後、中門(現在の金堂前燈籠辺り)の左右に移され、中門が1596年(慶長元年)に倒壊した後、現在の夜叉神堂が建てられ安置されたそうです。
東が雄夜叉(本地文殊菩薩)が西が雌夜叉本(地虚空蔵菩薩)。
夜叉神像は、弘法大師空海の作とされ、歯痛を治す神として親しまれている。
実際の神像は宝物館に安置されています。
次に宝物館を観賞します。
高さは6メートル弱、千本の手が光背のように全身を覆っていました。
平安時代の中頃、醍醐寺を開山した聖宝(しょうぼう)が食堂(じきどう)の本尊として造立、開眼供養は、宇多天皇が行幸し華々しく行われたと伝えられます。
鎖を編んだ鎧を着た兜跋毘沙門天立像(国宝)です。
目を見開いた勇ましい形相は、武装した中央アジアの人物のようです。もともとは、平安京の入口である羅城門の楼上に祀られていたという兜跋毘沙門天。平安末期に人々の手で東寺に運ばれてきました。
兜跋毘沙門天の足元を支えているのは、地天女と二鬼。
対面して右が尼藍婆(にらんば)、左が毘藍婆(びらんば)です。
王城鎮護の役目を果たしていた兜跋毘沙門天ですが、いまは財宝と福徳の神様として信仰を集めています。
かっては羅城門の上に安置されていたと伝わる中国・唐伝来の毘沙門天さまです。
何度も火災や兵火で焼失している東寺ですが、その度に時の権利者により再建されて来ました。
国宝の大師堂です。
駒札にある様に弘法大師のお住まいであった所で正面の須弥壇には大師像が、裏堂には大師の念持仏と言われる不動明王像(国宝)がお祀りされていますが、残念ながら秘仏で東寺のお坊さまでさえ、見た事がないそうです。
境内西端には「小子坊」があります。
駒札にあるように昭和9年(1934)に建てられた東寺の貴賓館です。
木曽の総檜造で障壁画は京都画壇の重鎮・堂本印象によるものです。
灌頂院(重文)です。
東寺に取っても大切な施設で、密教の奥義を伝えるための「伝法灌頂」や天皇の安泰を祈願する「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)などが行われます。
通常非公開ですが、後七日御修理法の法要後、内部に入る事が出来ます。
八幡社殿です。
東寺の神宮社のひとつで、弘法大師は嵯峨天皇からここ東寺を下賜された際にも、地元の産土神を大切にされていたのがよく分かる社殿です。
ここからの五重塔の風景も絶景です。
八島社殿です。
ご由緒は駒札をご覧下さい。
南大門(重文)です。
九条通に面する南大門は東寺(教王護国寺)の正門で、数ある東寺の門の中で最大の規模を誇ります。
幅18メートル余、高さ13メートル余の大きさで、切妻造本瓦葺、三間一戸の八脚門(やつあしもん)で、慶長6年(1601)に三十三間堂(蓮花王院)の西門として建てられたものを、明治28年(1895)に教王護国寺(東寺)の南大門として移築したものです。
主要伽藍だけでは無く、周囲の堂宇にも長い歴史の変遷を感じる世界文化遺産「東寺」です。