京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

信長の城 安土城を訪ねて

2021年06月03日 08時59分00秒 | 日記
 5月26日は朝日カルチャーセンターの現地講座「信長の城-安土城を訪ねて-」に参加しました。
講師は滋賀県立大学名誉教授の中井均先生です。



JR安土駅から徒歩で安土城址へ。摠見寺受付で入山料を払い登城道を登ります。











登城道の左手には"伝羽柴秀吉邸"が右手には"伝前田利家邸"跡とされる二段構えの立派な石垣が残っています。

先生はこれは"どう考えてもおかしいです。"と、"多分、信長の下御殿だろう"と解説されていました。

当時の織田家臣団の筆頭家老は柴田勝家です。例え登城道に沿った一等地を占めるのであればやはり柴田勝家でなければおかしいそうです。

ましてや安土城築城当時の秀吉と利家の身分は織田家臣団の中でまだまだ低いことから考えて、「これは間違いです。ありえない話」との先生の解説です。





登城道には数体の石仏が転用石として使われています。
本丸に近い石垣は信長時代の石垣で保存状態もいいそうです。

ただし、天守を初めほとんどの建物は"本能寺の変"後に焼失しているので火を浴びた石垣や礎石には変色やひび割れが目立ちます。





織田信雄四代の供養塔です。







二ノ丸の一角には信長の供養塔がお祀りされています。









いよいよ天守閣跡に来ました。
かっては地下1階地上6階の天守がそびえていました。





天正7年(1579)の完成からわずか4年で焼失してしまったためか、城に対しての資料や文献が少ないのが現状です。





平成4年に開催されたスペインセルビア万博に出展された天守5階、6階部分の復元も想像の域を出ません。





安土山の琵琶湖側には多くの蔵が立ち並んでいたようで信長がいかに琵琶湖の水運を重視していたのかがわかります。









信長が創建した摠見寺の三重塔と仁王門です。本堂は惜しくも焼失していますが、このふたつの建物は創建当時の建物です。
建設を急いだのか、ふたつの建物とも寺院や神社から移築されたものだそうです。

初めての安土城跡でしたが中井先生の解説のもと、いい見学が出来ました。 









次回は浅井三代の居城・小谷城を訪ねます。