いよいよ念願だった醍醐寺始まりの地・上醍醐へと向かいます。
平安時代の末期に院政をしき「地天の君」として絶対的権力を掌握した白河天皇(上皇)の賢子皇后の陵墓があります。
成身院 通称「女人堂」にお祀りし、こちらで入山料を払います。
上醍醐への登山口にあたり、かっては女人禁制だったのでしょうか?
昔は女性はこちらから山上の諸仏を拝んだそうです。
三丁程登ると太閤秀吉が花見を楽しんだ「醍醐の花見」の地「槍山」の平坦地があります。
さすがに天下人ですね!我々庶民の様に桜の樹の下にシートを敷いての花見ではなく、高台から桜を見下ろして花見を楽しんだそうです。
修験道の行場でしょうか?水飲み場があります。
一丁(約109m)事に石碑があり山上までの目安になります。
山上までは二十丁(約2200m)の工程ですが結構キツイです。
約1時間で上醍醐の寺務所に到着。
しかし、伽藍まではもう少しあります。
新緑の美しさを癒やされながらさらに登ります。
清龍宮拝殿(国宝)です。
室町時代の建物で寝殿造りが用いられた気品ある建物です。
清龍宮本殿です。
拝殿からは見る事が出来ません。
山裾の傾斜地に建っていて清水寺本堂と同じ懸造りになっています。
有名な「醍醐水」です。
理源大師聖宝が山上に建てられた隠遁の地です。
大師は霊力によりこの泉を発見されました。
今もこんこんと湧き続けていて飲料水にもなります。
准胝堂があった場所です。2008年8月24日の未明に火災により惜しくも焼失しています。落雷が原因だったそうです。
今もこちらの准胝堂に准胝観音さまが居られたら、間違いなく西国三十三所観音霊場の一番の難所になっていたと思います。
(和泉市にある四番札所の施福寺もなかなかの難所です。)
「准胝堂再建地」の看板があり将来、准胝堂が再建されるようです。
国宝の薬師堂です。
薬師堂は上醍醐の中心伽藍で延喜13年(913)醍醐天皇の御願堂として建立されました。
以降、900年以上にわたり山上の厳しい風雪に耐え抜いた貴重なお堂です。
五大堂です。
五大堂も延喜13年(913)醍醐天皇の御願堂として建立されました。
数度の火災に遭い現在の建物は昭和15年に再建されたものです。
如意輪堂です。
お堂は理源大師聖宝が上醍醐を開かれた際、准胝堂とともに建立されたお堂です。
現在のお堂は慶長11年(1613)の建立で如意輪観音像をご本尊に脇の間に毘沙門天と吉祥天がお祀りされています。
最後は開山堂(重文)です。
醍醐寺の開山・理源大師聖宝をお祀りしているお堂です。
最初のお堂は延喜11年(911)に建立されましたが、後に焼失し鎌倉時代にも再建されましたが荒廃したようです。
現在のお堂は豊臣秀頼により慶長11年(1606)に再建されたものです。
開山堂付近が醍醐山頂で標高450mです。
平安時代の末期に院政をしき「地天の君」として絶対的権力を掌握した白河天皇(上皇)の賢子皇后の陵墓があります。
こちらにあるのは知りませんでした。
遠く大阪平野が望めます。
ほとんどの仏さまは下の醍醐寺に遷座されていますが、国宝や重文の建物は見応えがあり上醍醐まで登って来た価値は十二分に感じた参拝でした。