二条城前のHOTEL THE MITSUI KYOTOでランチを頂いた後、市バスで北野天満宮へと来ました。
茶会の好きな秀吉は、北野天満宮でも大規模な茶会を催しています。
庶民も参加する事の出来る"開かれた茶会"でした。
当時は一週間の予定でしたが何故か一日で終わっています。
楼門を潜ると花手水が綺麗に生けられています。
コロナ禍の中で手水鉢が使えない副産物かもしれないですね。
本殿前の三光門です。三光とは言いながら"星"が無いので"星欠けの三光門"とも言われています。
"星"は天上の北極星のことで実際には描かれていないと言われています。
本殿前には"密"を避けるためでしょうか?早くも"茅の輪"が設けられていました、
"茅の輪"を周り半年の穢れを落とし本殿で残りの半年間も元気で暮らせるよにお祈りしました。
新緑を求めて史跡"御土居"へ。
6月も末になり北野天満宮のもみじも新緑から深緑へと変わってきています。
近年に出来た展望台から本殿の複雑な八棟造の屋根が見えます。
最初は本殿だけだったでしょうが道真公信仰が広まるにつれ、次々と増築されたのでしょうか?複雑な構造です。
単純に土塁を築くだけではなく、水抜きの穴も備えた本格派なものです。
流石に"土木工事大好き"の秀吉らしい工事です。
豊臣秀吉が京都改造で築いた御土居は
①洛中と洛外とを区分するため。
②洛中を川の氾濫から守るため。
③洛中を外敵から守るため。
④犯罪者を洛外へと逃がさないため。
と、様々な目的があったようです。
御土居の東側を流れる紙屋川(天神川)も鴨川同様にかってはよく氾濫をおこす暴れ川だったそうです。
御土居の大欅で樹齢は600年と言われています。
秀吉による御土居の工事を見守ってきた"生証人"ですね。