不退寺を後に海龍王寺へと来ました。
山門を入ってからの参道はなんとも風情があり、"奈良大和路"と言う雰囲気が漂います。
和銅3年(710)に平城京に遷都された際、藤原不比等がこちらに邸宅を構えたのが海龍王寺の始まりです。
不比等の死後、境内は光明皇后の皇后宮となり寺院は「皇后宮内寺院」となります。
海龍王寺の本堂です。
聖武天皇・光明皇后は遣唐使の留学僧・玄昉(げんぼう)が天平7年に帰国すると最新の仏教や鎮護国家の基礎となる仏教政策を学んだ玄昉を重用し、こちらの住持に登用します。
ご本尊は鎌倉時代の十一面観音菩薩立像(重文)です。春の公開は3月23〜4月7日と5月11日〜5月9日までの予定でしたが、幸いにもこの日も厨子が開かれており、お詣りする事が出来ました。
寺伝によると光明皇后自ら刻まれた十一面観音をもとに鎌倉時代の慶派の仏師により造立されたと伝わります。
非常に美しい観音さまです。
文化財指定は受けていませんが、鎌倉時代の毘沙門天立像です。
室町時代の愛染明王。奈良市の指定文化財です。
海龍王寺のメインの西金堂(重文)です。
創建当初奈良時代の建立で、鎌倉時代、明治時代に修理を受けていますが天平時代の建築様式をよく伝えている建物です。
西金堂の中に安置されている国宝五重小塔です。
創建当初から西金堂に安置されている天平時代の五重塔としては唯一の建造物です。
高さ4.01mの小塔ですが、創建時には東金堂にも同様な小塔が安置されていたと考えられ、本格的な「東西両塔」の代わりに安置されたと考えられています。
国宝の区分で「工芸品」ではなく「建造物」として、昭和26年に国宝第18号に指定されています。
光明皇后もご覧になられた塔と思うと感慨深いものがあります。
この詫びた雰囲気がいいですね。