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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

作詞家・秋元康 (『新人類図鑑Part2』)

2009年08月29日 | 80年代文化論(音楽)
秋元康は、現在京都造形芸術大学の副学長を務めている(この文章、ひとつ前の記事でぼくが取り上げた「職人」と「キワモノの職人」の違いに似ていて面白いですね)。ちなみに、この大学の大学院の院長は、浅田彰。「神々」と「新人類」が、大学院長、学部副学長を担当しているのである。(あとこれ面白いなあ、浅田は「芸術が自閉的なものであってはならないと信ずる私たちは、芸術を社会に向けて大きく開いていきたい、それによって社会を変えていきたい、と願っているのです。」と言い、秋元は「誰も何も変わらなくていい。むしろ、今まで築き上げて来た芸術大学としての信用と誇りは変わらないで欲しい。」と言っている。)

浅田は、もともと京都大学の助手というポストで『構造と力』を出版し今日に至るまでずっと大学人であったのだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、秋元までが大学にポストを得る時代なのである。ぼくが思考のOSうんぬんなどと言っているのは、このことが気になっているというところがある。自分が学生に何を与えられるのか、と同時に何を与えてしまうのかということはしばしば考えるし悩むところなのだけれど、良くも悪くも、教員というのは、思考のOSを学生に植えつける存在である。80年代文化の担い手が2009年の18-22才(が中心の学生たち)を教えているのである。このことについて、ぼくたちはまじめに考えた方がいいように思う。秋元副学長という話題について、アカデミズムの敗北、などということを声高に主張する人がいてもいいと思うのだけれど、声は小さい。なんとなく、大学経営という言葉に曖昧に縛られ、曖昧に甘えているのが、大学教員(1年半して専任経験ありませんが、そんなこと思ってしまう)。ぼくは個人的には、アカデミズムだけが優れているとも思っていないので、アカデミズムの素晴らしさを伝える教員はいるべきだと思うけれど、それ以外の思考のあり方の魅力を伝える者がいてもいいと思っています。ただし、そのクオリティは高い方がいい。少なくとも、もし、そのクオリティがもはや起動しても機能しない古いOSだったら意味ないよね、と考えるべきだと思っています。検証する必要有りと考えるわけです。

で、そういう観点から調べるならば、今日の秋元のエッセイを読み込むべきなんだろうけれど、ここはあくまでも80年代文化論ノートなので、80年代の秋元の発言に絞って読んでいきます。今回は、『新人類図鑑Part2』での発言。興味深かったのは、おニャン子についてのコメントと、とんねるずについてのコメント。

◎おニャン子の基準
「筑紫 おニャン子の基準というのはなに?
 秋元 やっぱり素人らしさですね。菊池桃子のときもそうですけど、今、山口百恵みたいになりたいとか、松田聖子みたいになりたいとか思っている子というのはだめですね、きっと。なんか色がついている。一番カッコいいのは、私はべつに芸能界なんかに入らなくても、パパとママがいるから、みたいな、そういう子のほうがいいわけです。
 筑紫 いままでは違ったよね。にこにこしてても、裏にものすごい大人の顔がある。
 秋元 そのドロドロした部分が逆にパワーになっていたんですけれど、今は、若い子たちがそういうのだとつかれちゃうんですね。」(pp. 134-135)

この「素人」に価値を感じる状態というのは、一体何なんだろう。「ウブ」(自然)が技巧を通して発揮されていたのが松田聖子的ぶりっこだとすると、それがわざとらしくなってきてしまったというのはまずあるだろう。表のウブを支えているのは裏に隠れた「ドロドロした部分」というのに、ひとが飽きた。菊池桃子(「卒業」(作詞秋元康))や斉藤由貴(「卒業」(わー、こっちは作詞松本隆))が「卒業」という同タイトルの曲でヒットチャートを賑わしたのが85年。この2人は、当時求められたリアルな「ウブ」の典型例だろう。ぶりっこの時代とリアル「素人」の時代の違いは、例えばソフトフォーカスを多用する写真の時代と肌の若さを強調する写真の時代の違いとして、何か語れるのかも知れない。菊池桃子のこうした写真に当時の中高生は、ドキドキさせられた。ある種の少女愛好の雛形になった形式に違いない。

これは、別の仕方で考えるならば、近代的な努力が評価された時代と、努力が意味を喪失しもともとの性能・能力が評価される時代との違いであるといえるだろう。ほんとうにそうなのかは分からない。努力というものがより巧妙に隠されるようになったと考える方が妥当かも知れない。あるいは、努力をしその努力を巧妙に隠しても出てしまう「素」に魅力を感じる時代と考えるべきかも知れない。ともかくも、「素」が見えているということ、つまり「本当は/にこういうひとなんだ」という様が見えているということが、重要な時代になってくる。裏読みとそれによってはじめてあらわになる素。ハプニングの時代ということでもあるだろう。

◎とんねるずとシャイ
「秋元 とんねるずが代表する今の若い人の笑いというのは、シャイなんですよ。すごい照れ屋なんですね。昔の古い漫才をやろうって、練習するでしょう。非常にうまいんです。うまいんだけど、恥ずかしい部分をわざと拡大してやるんですね。それでわざとアナクロ的なネタをやるのがおかしい。古い漫才をこいつらはわざとやってんだ、というところが見えないとだめなんです。昔の芸人さんは、芸にのめり込めたわけですけれどね、照れとかそういうのなしに。とんねるずみたいなのは、そういう芸人を演じているとんねるずを笑ってほしいみたいな。覚めているというか、シャイというか。」(p. 130)

「筑紫 あなたのいう「その後の世代」のシャイさというのは、どこからくるんだろう。
 秋元 シャイさというのは、みんなの個性がなくなって、他人よりちょっとでも変わったところがあると、いじめられたりすることに対する自己防衛だと思います。……ほんとは目立ちたいんだけど、周りを見て、できるだけ同じことしよう。「その後の世代」というのは、だから観察力はすごいんですよね。」(p. 131)

先述したことだけれど、「ウンコ」もらしたら翌日「昨日、ウンコもらした○○です」と先回りして言ってしまうといった振る舞いこそ、僕らの世代の特徴と秋元が言っていたのを思い出す。自分のする振る舞いはすぐに他人によって(自分が望むのとは違う仕方で)読まれてしまう。読まれてしまうくらいならば、そっちの方にアンテナを張り巡らせて自分から先にその解釈を言ってしまう。その身振りを秋元は「シャイ」と言う。
気になるのは、他人の解釈が一個の時代の振る舞いじゃないかなということ。みんなが共通に何かを何かとして思うということが社会の中に簡単に起こると恐らく考えていたからこそ、「ウンコ」の例を最良の例として秋元は考えることが出来た。けれども、今は、そうした共通のなにかを見出すことが難しい。いや、共通のことはあるのだろうけれど、あまりに陳腐に見えてしまって、語るに足るものと思えない。解釈が多様化している今日のような時代には、そうした一個の解釈という分かりやすいゴールを場に与え、見る者をコントロールすることこそ、お笑い芸人やプロデューサーに求められている仕事になっている。ある意味では、わざと陳腐なことをしているわけだ。
「業界」という80年代後半の幻想は、当時こうした一個の解釈を捏造するのにとてもうまく機能したのだと思う。「業界」的にはこの解釈が正しいという幻想は、非業界的な一般人をとりまとめる力になっていた。「同じ」という幻想も、そうしたものの捏造によって保たれていたのだろう。

このことと、とんねるずのファシズムについては、関連しているように思う。とんねるずの存在は、秋元以上に決定的に当時の若者の行動規範になっていた。

「中森 で、さあ、今日の読売ランドのとんねるずなんだけど、あの「青年の主張」はすごかったよね。日章旗がうしろに立てて全員総立ちで、完全にあれは冗談という名前を借りた大マジでさ……
 野々村 あれはさ、根っこに何もないことに使ってるからいいんであってさ、イデオロギー装置に使ったらあんな危険な奴らはないよね。あるのは純粋ファシズム機械だからさ。
 田口 だってさぁ、ワルキューレがなってヘリコプターがとんで来た時に世界のヒューズが飛んだもんね。一瞬青ざめたよ、ホント。浅間山荘と地獄の黙示録とナチの行進といっしょにグワーンと。スーパーファシズムだよね。空から「お前ら、どこ見てんだヨー」だもんね。
 野々村 あれは感動だよ、やっばり。」(『新人類の主張』p. 43)

「野々村 [とんねるず「母子家庭のバラード」を引き合いに出しつつ]ニューミュージックが悲しいところってさ、状況と組み合わせていろいろステージでしゃべるからさ。イヤじゃない、そういうのって。とんねるずがスゴイところってさ、ニューメディアの時代にあって、「メディアは装置である」という考えを徹底させてくれるところだよね。だからメディアに応じて声も松山千春になるわけ。全員で泣くためには松山千春でないとまずいわけよね。パロディをパロディ化していくっていう高度なテクノロジーが彼らにはあるから、どんどん意味性が無くなっていく。ただの装置、すごくきれいな、透明なとんねるずという装置が残るんだよね。」(『新人類の主張』pp. 43-44)

とんねるず「青年の主張」
とんねるずのうた1985-1992(「母子家庭のバラード」が見つからず)

さて、次はとんねるずですかね!

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