Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ローザス『デッシュ』(@さいたま)

2007年04月11日 | Weblog
金曜日に、18:30-20:00表参道裏のNadiffで、松井みどりさんとのトーク・イベントがあります。再度告知します。無料で予約も不要です、ふるってご参加下さい。

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松井みどり「マイクロポップの時代:夏への扉」出版記念
トークイベント ~マイクロポップと身体表現~

■ 松井みどり(美術評論家)×木村覚(ダンス評論家) ゲスト: 泉太郎(アーティスト)
  4/13[金] 18:30-20:00 (入場無料・予約不要)

現在、水戸芸術館にて開催中(~5/6)の同名展覧会は、この10年の新しく生まれてきたアートを紹介するもので、美術評論家・松井みどり自身の現在における集大成と言えます。
この「マイクロポップ」を現代アートだけではなく、他のジャンルとの時代表現としての共通点を探ぐる試みとしてトーク・イベントを開催いたします。
コンテンポラリーダンスや前衛的な音楽の新しい表現との共通点を眺めつつ、「マイクロポップ」とは何か、「マイクロポップ」表現とは何かの議論を深めていくことが出来ると考えております。ぜひ、ご参加ください。
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インド系音楽(コルトレーンの「インディア」含む)5曲をバックに(フロントに?)淡々と踊る今回の公演は、ほとんど見所と思えるところのないまま、1時間半(A席、6500円)が消費されてしまった。単にフォルムの内に身体を昇華してしまうバレエやモダンダンスとは一線を画するものの、時間や身体のライブなテンションを引き出すこともなく、故に個人的なルールを黙々とこなすだけの、実に極私的なダンス。かろうじてフックがかっていたり、かろうじて美しかったりスピーディーだったり、ユニークだったとしても、なんだかそれはある種の「コンテンポラリー・ダンス」らしい運動のフレイバーを感じるってことにすぎず、元祖が自分を反復しているのにつきあわされている、という気分にさせられる。単線的で実にストイックなフォルマリストのダンス。それをごり押しする奔放な身振りが、ケースマイケルの人気の核であろう「乙女っぽさ」を感じさせ、さらに一層、付き合わされている気分になってゆく。凄いプレーンな気持ちで言うんですけれど、これよりも矢内原美邦や康本雅子のダンスの方が面白いよなー、ダンスのクオリティとして、運動に対するアプローチとして。また、特に今回感じたのが、トリシャ・ブラウンからの影響。かなりベタに、ブラウンではないかこれは、と思わせるところが散見された。でも、ブラウンの方が良いのではないか、面白いのではないか、と思うんですよ、横並びにした場合に。全体を通して、音楽に聴き惚れていました、ぼくは。コルトレーンいいなあ、当たり前か。菊地成孔氏の日記に以前、ケースマイケルがコルトレーンの妹アリスに曲を使いたいと願い出たところ、やんわり断られていたというエピソードを書いていたっけ。サルヴァ・サンチェスという若い男の踊り手がソロをそのコルトレーンの「インディア」で踊るのだけれど、そして、このダンスはこの日のささやかな見所ではあったけれども、ね、これでは、巨人の掌の赤子だよな。