ノシロナオコ×池田光宏「a CHAIR by the WINDOW」(@中野区、RAFT、4/19)
小さなギャラリー、10人弱の観客。高さと幅が180cmほどの白いスクリーンが床の高さから垂直に立っている。そこに裏から照らされ七色の光が回る。その裏にノシロナオコは椅子と登場する。ムーヴメントはきわめてミニマル。椅子に凭れて腰が落ちる、とか、横倒しの椅子にのってじわりと体を変化させるとか。何分、シルエットなので、こちらの得るものも限定されている。三十分くらい経つと、その「与えなさ」が面白いかな、と眠る代わりにチラと思わされるが、どうなんだろう、結果として(四十分ほどの作品)。椅子との関係において、タスクな縛りは乏しい、だから身体は自由を得る。となるとその分、身体の自然が運動を発生させることになる。その自然は、観客をおどろかせたり、不意打ちを掛けたりは決してしない。はっとする時間もはっとする空間もないまま、「出」と「入り」の間だけがわずかに、その貧しさを与える図々しさとともに、観客に興味を抱かせる要素になる。なのだから、2時間くらい延々とやって、その真ん中だけを観客に味合わせるみたいにすればいいのに、と思った。初対面の当人にそう恐る恐る告げたが、あまり反応は良くなかった。
小さなギャラリー、10人弱の観客。高さと幅が180cmほどの白いスクリーンが床の高さから垂直に立っている。そこに裏から照らされ七色の光が回る。その裏にノシロナオコは椅子と登場する。ムーヴメントはきわめてミニマル。椅子に凭れて腰が落ちる、とか、横倒しの椅子にのってじわりと体を変化させるとか。何分、シルエットなので、こちらの得るものも限定されている。三十分くらい経つと、その「与えなさ」が面白いかな、と眠る代わりにチラと思わされるが、どうなんだろう、結果として(四十分ほどの作品)。椅子との関係において、タスクな縛りは乏しい、だから身体は自由を得る。となるとその分、身体の自然が運動を発生させることになる。その自然は、観客をおどろかせたり、不意打ちを掛けたりは決してしない。はっとする時間もはっとする空間もないまま、「出」と「入り」の間だけがわずかに、その貧しさを与える図々しさとともに、観客に興味を抱かせる要素になる。なのだから、2時間くらい延々とやって、その真ん中だけを観客に味合わせるみたいにすればいいのに、と思った。初対面の当人にそう恐る恐る告げたが、あまり反応は良くなかった。