Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ポスト・シアター(@BankARTstudioNYK)

2005年10月31日 | Weblog
の公演を見た。

「SkinSITEs」
15分ほどの作品。会場の駐車場にある青い鉄の扉。それがスクリーンになる(正確には、扉は取って代わりにスクリーンが貼ってあり、そこにもとの扉の映像が映っている)。縦長の扉がスクリーンって、奇妙だけれど、日常のなかに映像が貼り付けられている感じは凄く面白かった。基本的に映されるのは、人間のからだ。ぐちゃぐちゃに複数のからだが絡まり合ったり。ひとりの女性がはだかでウロウロしていたり。最後には、その女性らしきからだがスクリーンに直にめり込んでくる、すなわち、スクリーンはゴムのようになっていて、裏から体を押しつけスクリーンが凸になるのだった。「痛快」に見えるはずのこの試みは、しかし観客が正面からそれを見ていたために十全な効果は起こせなかったというべきかもしれない。でも、映像の可能性が随分クリアになってきた、と思わせた。スクリーンは、どこでもいいのだ!と(この点、横トリに展示してある高嶺の作品にも該当するわけだ、砂場をスクリーンにする、っていう)。

「6フィート・ディーパー」
五メートルほどのスクエアな空間を縁から眺める。といった会場がやはり駐車場に作られていて、そこに移動。舞台?には砂が敷かれていて、そこから突如女性があらわれる。墓場から出てきたゾンビー?ロイ・フラー的な衣服のダンスをみせる、多分これはカウボーイのアトラクションの一つのようだ、砂=砂漠と同様、北米西部の世界を感じさせる。さて、次に現れたるは「鞭」。なにすんだろと思ったら、激しい「バンッッ!」の音。銃声のようなそれは、鞭から発せられたものだった。そこから15分ほどはひたすら、この音の恐怖に観客は怯え続けなくてはならない。基本的には、観客に害が及ぶことはないという暗黙の約束事を唯一の頼りに、しかし命に関わりそうな激しい鞭の音と運動は、あまり「しゃれ」になっていない。感覚を脅かす作品、ということになるのだろうか。カウガールな風貌の女性の魅力とその鞭の激しさとが、アンバランスにぼくを刺激(いたぶり)続けた。あーこわかった!